四時前目覚めて、ベットの上でゴロゴロ。 窓の外で雨の音がする。 十分ほどで聞こえなくなった。 いつも通り、日暮が鳴き始めた。 本日の始まり始まり。 まずは体重測定から。 むむ、なんと66kg。 ここ二十年で最低記録だ。 血圧正常値。 パソコンのスイッチを入れて記録する。 ついでに、遊工房様のブログをチョット覗いてと。 三時には起きたそうだ。地震が予感されて、目覚めたそうである。 そうだ昨夜は18時から二度夕立があった。 今朝も先程降っていたが、スズメの鳴き声と共に止んだ。 私のゴソゴソが五月蠅いのか、階下で奥様の目覚めの気配がする。 ぼちぼち朝食の準備をしなくては・・・。
沖縄知事選に敗北した事が危機感を募らせたのか、はたまた、富裕層の為の施策が余りにも目に付きすぎ始めたためなのか、この時期の衆議院選挙は理解に苦しむ。
アスベスト被害者の救済方法について、思いつくままこのブログに書き記し、一人でも多くの人々にご理解いただこうとブログの継続をしてみたのは良いのだが、この[goo]ブログの機能が、なかなか理解できない。他の書面で作られた文章を取り込めないし、写真の取り込みも聊か手間がかかりすぎる。是非とも使いよさを考えた物にしていただきたい。
さて、「アスベスト被害者」の救済については、「国の責任」が確定した事で次の段階に進む事になった。
しかしながら、「アスベスト被害者」は病状が悪化してからでないと国の「保障」や「労災」の対象に成らない。「原爆被爆者援護法」は其の点、多方面から検討されて今日の形になった。この制度は、福島の被爆者にも早急に適用されるよう願っている。是非とも福島の皆様の努力で勝ち取られたい。
其の制度は、大きく分けて二つである。
一つは、「原爆症認定患者」 で「原爆症発症者」に経済的救済される制度で有る。主に「癌」「白内障」「甲状腺障害」等が主な「症例」である。
いま一つが、「健康管理手当て」支給制度である。前がん状態、軽度の白内障、等々細かな病名が決められた対象として存在し、被爆者に其のいずれかの症状が存在すれば支給される。
福島の被爆者の皆さんに、是非とも勉強していただいて国の補償制度を勝ち取っていただき物である。
原爆被爆者の一人として応援させていただきたいと思っている。
同じように「アスベスト曝露者」にも、国の責任で救済策を作り、ただ単に労災として処理するのではなく、最高裁判所で指摘されたように、責任ある側として「被害者救済方法」を早急に確立されたい。
来年の「目標」は、「アスベスト曝露者救済法」の制定を求める全国組織を作る事に集中しようと思っている。
秋はまだ本番ではないが、隣家の柿木は今年は実をつけなかった。
例年ならば、たわわに実る柿木だけれども天災を予測していたのか、実がひとつだについていない。
例年ならば隣家から「おすそ分け」が届くのだが、今年は無い。
隣家の柿だけかというとそうではなくて、町内の「甘がき」には不思議と実がつかなかった。
町内の他の柿木は、葉が青々として、やっと色好き始めた感はあるものも、「身の一つだに、なきぞかなしき」 の状態である。
自然界に命を置く者は、どこかしら危険を予知するのであろうか。
我が家の庭に植えた「トマト」も、八月二十日までは一つの実も付けなかったが、「集中豪雨」の日を境に、連日赤く熟して我が家だけでは食べきれず、知人友人に押し付けの「おくばり」をしている。
この数ヶ月ブログから離れ、ただひたすらに読書と、原発関連の資料を集めていた。 その資料を検討しているうちに、従来の「ライフワーク」アスベスト関連の裁判は、次々に被害者の勝訴となっていった。
この流れは止まることはもう無い。「脱原発」問題が次の課題だと考えるうちに、現在ある「製造物責任法」をアメリカ型に近い形にする運動が起これば、原発は自然淘汰されるという確信にいたった。
この思案をしている私のところに、二通の秋の便りをお送りいただいた。
この葉書は、青函トンネルを通って私のところに届いた。
函館市とどほっけ村からである。
鼻を押し当ててみると、微かに潮の香りがする気がした。
次の日、東京の「長屋のご隠居」様から柿をお送りいただいた。 柿好きの私が、今年は肩を落としているのが東京から見えたかのようなタイミングであった。
お二人には、この場を借りてお礼申し上げます。
私はこの数ヶ月間、「ブログ」の更新をしてこなかった。 しかし不思議なことが起こり、アクセスいただく数が多くなった。
私の奥様のブログに、コメントが寄せられて、「みどり」様のお孫様が成人になられるそうである。
広島の県立体育館での、あの少年が成人するのかと思うと感慨深い。
あれから二年、今年は特に激動の内に年末を迎えそうである。
水害が無ければこの秋にでも、広島→神戸→和歌山→焼津→東京へ「小泉八雲」の足跡を訪ねる旅を、目論んでいたが叶わなかった。
来年こそはと、目論んでいる。
我が奥様が、月一度開催される「ハーンの会」の内容を、皆様に報告しているようである。
お読みいただいた皆様が、ご理解いただけるのか不安になり読んでみた。
先日の「ハーンの会」の会の休憩時間に一人の男性から質問があった。「草雲雀」ってどんな虫ですか?。
広島市の西の外れの、農村地帯との境目に育った私などは「草雲雀」がどんな虫であるか直ぐにわかる。 夏が近づけば、「ガチャガチャ」鳴く「クツワムシ」に始まり、「キリギリス、鈴虫、・・・・・・」加えて、「蛍」「トンボ」。 男の子は網を持ち走り回っていた時代に育った。
都会育ちで、その様な虫に接する事の無かった方々に少し資料を提供して、お気に召されたなら、「小泉八雲」の書いた「草雲雀」を一度お読みいただければ幸いである。
クサヒバリ
クサヒバリ(草雲雀);学名:Paratrigonidium bifasciatum
所属:直翅目;コオロギ科
大きさ:♂約7mm 触角が長く,約20ミリメートル
分布:関東以西から沖縄まで
生息地:草や潅木、薮の上。
発生期:年1回発生、8月下旬
越冬:卵で越冬
鳴き:フィリリリリリリリと鳴く。
特に朝に強く鳴く傾向がある。
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♂
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虫売り
まず第一に蛍、続いてこおろぎ、松虫、鈴虫、轡虫(くつわむし)等の声の良いものが売られました。
盆になると飼っていた虫を放す風習がありましたので、虫売りの季節は六月上旬から盆までの間でした。
虫籠は京坂は割りと粗雑で、江戸のものはかなり精巧に出来ていて、舟形や扇形など色々なものがありました。
「江戸見草」によれば、走り物のキリギリスが銀九十匁で取り引きされています。
(銀九十匁(一両二分)は延享(1744~48)の頃の女中の給金とほぼ同じ。)
明治の頃の話になりますが、明治四十三年頃の虫の値は、虫売りが最初に顔を見せる五月廿八日の、目黒の不動尊の縁日で鈴虫=六~七銭、きりぎりす=廿五銭、かんたん=廿銭、閻魔こおろぎ=六~七銭と割りと高価です。
これらの虫は虫屋が育てたもので、野性のものが出るにつれて値が下がっていきます。
(明治四十二年の銭湯代が大人三銭、子供二銭です。)
コオロギ
体長は10mm前後?40mmほどだが、アリヅカコオロギ、マダラスズ、シバスズなど数mmしかないものもいる。日本に分布するコオロギで最大種は体長30-40mm前後のエンマコオロギやケラ。
虫かご
江戸時代、駿河小島藩(現在の静岡市)、城下草深に住む鷹匠同心が、江戸勤番中に「蟲屋」に頼まれて作った所、評判になった。以後「編み笠」や「鈴虫籠」が内職として作られるようになり、其の収入は、小藩小島藩の経済を潤し、この頃より 「孝行をするが第一、竹細工」 の雑俳が作られるほど、駿河竹細工の名声は広がったと、文献に記されています。
ちなみに上記の「草雲雀」用虫籠は、約7万円。
因みに鳴き声は「You Tube」で聞く事が出来ます。