朝早くから奥様は冷蔵庫の片付け。 特に冷凍庫は長時間抱え込んでお掃除されたようだ。 昼前突然に、今日のお昼は 「うな丼」 と宣告された。 「うな丼」? 何時買い物に行ったのだろうか?・・・ 冷凍庫の底から、それはそれは、何時の物か分からぬ 「かば焼き」 が出てきたようである。 味付けは済んでおり、以前食した残り物が、冷凍庫の底でお眠りになっていたらしい。 酒を加えて温めて、熱いご飯の上に乗せ頂いたが、果たして明日の朝まで・・・生きていますやら。
先週は忙しかった。 何故かと言うと、全て台風のせいである。 それは簾。 暑さ対策の簾だが、先週は台風の来襲で、全て取り外し。 台風が過ぎ去れば、急いで取り付け。 一人でやるのは大変だが、だれもテゴに来てくれない。 仕方なく一人で頑張った。 そりゃあそうだ、家庭内別居状態なのだから当然である。 奥様の難聴は半端ではない。 いっしょにテレビを見ると頭が痛くなる。 そこで私は二階に避難。 広めの八畳を独り占めである。 TVにビデオ、パソコン2台、事務机3台、勝手気ままな生活なのである。 欠点は一つ。 日当たりが良すぎて夏には死ぬ思いなのだ。 昨年は何とか凌いだが、今年は対策の立て直し。 簾を下まで張り巡らして・・・・・。
太陽様にはご遠慮いただく所存なのだ。 処が、今年は早々と台風のお出ましとなった。 厄介である、簾の撤去。 過ぎ去れば、復旧。 今回は予行演習の気分だったが、幾度も重なると・・・・。 台風の発生が少ないように寝るまえにお祈りでもしようかの心境である。 いずれにしてもほどほどが一番良い。
来年は、終戦70年。 被爆70年である。
私も70歳になるが、今回の選挙で「時代が変わった」と、認識せざるを得なかった。
戦前、選挙権は成人男子のみに与えられていた。 どこかイスラム国家と似ている。 女性の権利などなく、家長制度に縛られていた。 結果、一部の人間に政治が牛耳られて、多くの国民が戦争の犠牲となった。
その理由は、「資源の確保」、「国体護持」であったように授業教えられた。 この授業は、どうも眉唾だった様に思えてきた。
「財閥の金儲け」・・・。この一言に尽きるように思われてきたが、どうであろうか。 ここ十年の「政界」の動きは、この「財閥の金儲け」を巡る攻防であったに過ぎないようである。 「雇用法」改悪が其の取っ付きであったようである。 非正規雇用を増やし、企業の利益を上げやすくする。 この事により、国民の多くは危機感を持ち、政権交代させたが、民主党は其の「改革手段を間違えた」為に、一気に国民の信頼を失った。
その一端が、「東京電力」の株主救済に見える、「一兆円」の公的資金導入による、言わば国営化である。 「原発事故被害者救済」より、「資本家保護」が、先行し市民の救済が遅れた。 「官僚」がそっぽを向いたのも一理ある。 国民が「疲弊」すれば、其の矢面に立たされるのは、「官僚」であるからだ。
公務員は「税金泥棒」・・・と言われる。 そこで出てきたのが、官僚主導の「景気回復」の掛け声の下の、「バブル経済」の演出だ。 経済のマイナス成長期の方が、「年金生活者」には良かった。 デフレの方が「低所得者」には生活しやすい。 このことは「資本家」にとっては困る。 低賃金で人は使えるが、企業利益が上がらない。 企業利益が上がらないと株の配当が出来ない。 役員報酬も取りづらい。
「安部政権」は、禁じ手の「国債乱発」、「金利の引き下げ」の、綱渡り政治を始めた。 上手く行けば良いが、下手をすると「経済」の「地獄落ち」となる。 其の時、国民の目先を「他に転じる」方法を準備し、体制の護持を狙う。 海外派兵である。 其の事が、航空機、艦船の増産であり、三菱を始とした財閥企業の増益策になる。 先だっての、中距離旅客機のお披露目の時に、其の開発費1800億円の内、600億円が国から助成されたと報じていた。 其の過程も奇妙であったように感じた。
戦前、戦中を生き抜いてきた方々が、少なくなった今日、戦争に対する嫌悪感が薄らいでいる。 其処に大きな落とし穴が待っている。
「国民のより大きな不幸」、戦争の足音が近づきつつある。 若き有権者は、このことに気付くべきである。
「人間貧しさには、耐えられる。 しかし、それは平和であればこそである。」
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*夜明け前の私が住む町。自民、公明の中に埋没した野党のようだ。
選挙も終わった。 野党の惨敗である。沖縄の皆さんは、賢い選択をされたようだ。
世のため人のために、「政治家」になるのだから、自我を捨てて、野党共闘が出来れば勝てていた選挙である事を、沖縄の皆さんは示された。
これからの四年間は、弱者が泣く時代が続く。 「其の覚悟」で、投票に行かなかった人達よ、自業自得と言うなかれ。 貴方の一票がこの様な時代を作った。
戦前の、「軍閥と財閥」の為の政治と戦争で、弱い国民が如何ほど苦しんだことか。 残された手立ては、「アベチャン」の蹴躓きを待つのみである。
ところで、我が家の奥様の「猛勉強振り」をお見せしたい心境である。 「横の物を縦にもせず」の勢いで、英語の辞書以外興味が湧かないらしい。
食事と、毎朝のウォーキング以外は、寝ているか「八雲の英語原文」の前でうなっているか、である。 そして食事の前、突然に「英単語」を発して、「なんという意味」と問いかけてくる。 辞書に載っていないという。 名詞に ly、yを付けて形容詞にするくらいの知識くらいしかない私に聞いて頂いても・・・・・。
昨夜来、私への宿題が 「背中」に乗っかったままである。
何と盛り上がりの無い選挙戦ではあった。
野党候補者の貧弱さや、具体的政策の見えない選挙ではあった。
代替エネルギー問題や、憲法九条など野党が連携して訴える事がなさ過ぎた。
昨夜のうちに再び雪化粧。奥様は長靴に防寒着て、これから投票に行くそうである。
私は午後に少しでも、気温が上がってから出かける心算である。
中皮腫で亡くなられた、「Sさん」の裁判資料を読み込んだり、奥様が夢中に成られた「小泉八雲」の、英文の質問に答えるために調べ物をしたり、まさかこの年末に、気忙しい思いをするとは思ってもいなかった。
「THE NUN OF THE TEMPL OF AMID」を読んでみて、何だか中学生程度の英語でも、十分に理解できるのではと思い始めた。
残念ながら五十五年前の教科書が無いので、ネットで中学生用教材の古本を取り寄せてみる事にした。CD付きが数百円で手に入った。
何だか家庭教師つきの本が、送られてくるような感じがしてならない。世の中は大きく変わったように思えて成らない。
学ぶ気持ちさえあれだ、学校の先生より確かな発音と、間違いの無い教材で学ぶ事が出来る。
何だか義務教育制度も、今後変わっていくであろうと思われてきた。