気象台の桜開花宣言が今日も見送られた。 東京ですら満開だというのに、瀬戸内海の温暖な広島の桜が咲かない。 どこか変である。 私の体も変調を来たしている。 呼吸が思う様に出来ていない様である。 暖かくなれば、少しは改善されるかと思ったが、「胸膜肥厚」も進捗すると厄介なようである。
「マツダ」三輪トラックである。 昭和三十年代、広島の街を走り回っていた光景を思い出す。 いや昭和四十一年の「小百合様」の「愛と死の記録」の映画の中でも、「パブリカ」 「キャロル」 などと共に、原爆病院の前の道路を走る姿が映し出されていた。
幾年ぶりに見る姿だろうかと考えたが、思い出せないくらいの年月が経っている。
戦後、広島の復興のシンボル的三輪トラックだった。 三輪車は小回りがきくので、製材所などが多く使用していたように記憶しているが、・・・・・。
それにしても良くぞ残っていたものだ。 余程物好きな方が所有されているのであろう。 広島の交通博物館にでも、寄付願いたいものである。
因みに、日本で最初に営業用の「バス」が運行されたのは、横川駅と今私が住んでいる可部の街を走いたのが最初である。 この時、このバスは、国道54号線走ったが、数ヶ月後に太田川を挟んで別のバスが営業を始め、一年間の運賃値下げ競争の果てに、両方のバス会社共に倒産。 この顛末は「井伏鱒二」が小説で見事に描いている。 ぜひ一度ご披見下さい。 と、書いてはみたが、何という「表題」だったか、思い出せない。 オマケに、「井伏鱒二」全集が何処に仕舞われたのか不明である。 我が家のどこかに存在することだけは、「確か」であるが、奥様がお納め下さると私には見当が付かない。 ・・・・・いつものことである。