一昨日以来、パソコン不調。どうもこのパソコン持ち主の体調に合わせ作動するようである。というのも、体調不良時に不思議と静電気が大量に発生し、パソコンに触ると火花が散るのです。この所こんな現象が頻繁に発生し、パソコンがメルトダウン。パソコンに触るのが恐ろしくなりました。現在二台のパソコンを修理中ですが、一台はどうにも再インストールを拒否しています。部品一つ一つには問題が無くどうもパソコンに帯電している静電気の仕業らしいのです。ウエットシートで隅から隅まで丁寧に拭いています。さて我が家の奥様「あかね」本日退院を迎えました。午後にも帰宅します。皆さんには、入院中御心配をかけました。この場をお借りしてお礼申します。去る25日「中皮腫と家族の会」を開催しました。皆さん展望の無い闘病に気丈に立ち向かわれている姿は、痛ましい光景でした。参加いただいた二名の市議会議員も今後広島市政として何が出来るか真剣に取り組んでいただけることなり、一同力強い味方を得たようです。中国地方の中心都市から、アスベスト問題について、発信される事が今後の展開に大きな影響を与える事は間違いの無い事です。やっと、行政の場で本格的に被害者救済という具体的方法について議論される事となります。今後の展開に期待したいと思います。
本日11時から脱原発の署名集めを街頭で行った。広島市議会きっての若者で、未だ独身の彼の誘いに乗り、被爆者として協力する事にした。街頭演説は、過去何度も経験しているが、署名集めは始めての経験である。寒風の中、議員はマイクを握り、私が署名を集める。その間3時間。多くの人たちの書名を頂いた。署名集めをしながら、新宿西口に立たれておられる、一人デモの皆さんの事を思い出していた。案外道行く人たちは、脱原発に関心をもたれているようだ。島根原発3号機が完成間近かになりつつある。後の超大型の原発を稼動させてはならない。原発に関する資料を色々調査していてある事実に気づいた。日本にある電気メーカで、原発に係わっているのは、今の所2つのメーカーだけのようである。日立電気、東芝の二社だけのようである。同級生の一人に松下電器今のパナソニックに勤めていた人間がいる。昨日電話で久しぶりに話し、その中で、質問してみた。なぜ原発関連の事業をやらないのかと。彼曰く、松下幸之助の、「不確かな技術は世に出すな」の一言で、原発関連事業には、積極的には参加しなかったようである。世界に売り込んでいる原発も、日立、東芝が中心であるそうだ。また宇宙開発も、日立、東芝が積極的に参加しているそうである。宇宙ロケットの姿勢制御分野での両者は世界水準だそうである。それはひとえに、いつでもミサイルに応用できる技術で、その技術の水準をより高める為に、宇宙にロケットを国の予算で飛ばし続けているそうである。言うならば、大陸間弾道弾の開発を人工衛星の打ち上げで培っているというう事である。ある面日本は、軍需大国なのである。自衛隊の保持する戦車は世界最強の実力を持つそうである。我々の知らない所で着々と軍事国家が形成されつつある事に危機感を持たなくてはならないように思う。持てば何時の日にか、使いたい人間が現れる。それを許しては成らない。原発のその軍事国家の形成の一部と捉えることが出来る。ウラン濃縮技術など、日本にとってそんなに難しい技術では無いそうである。遠心分離機の能力は国際社会の中でトップを常に維持しているそうである。国際社会が日本の遠心分離機を入手したがる一因は、いつでもウラン濃縮に転用できる能力を秘めているからだそうである。それにしても、トップメーカーに長く在籍した人間の知識の豊富さには驚いた。
最低でも、年間40万人の石綿での肺癌中皮腫患者が発生する事が予測され、それが40年間続くとされる。それらに対し、労災適応を行えば、労災保険は破綻を来たし、社会保障の一角が崩れ去るからである。年間40万人という数字には、隠し数字があり、中皮腫一人に対し、原発性肺癌の発生が一人としての計算であり、学者によると、原発性肺癌はその数倍発症する事が常識としている。放射線治療や抗癌剤治療の技術的進歩は目覚しく、肺癌は不治の病ではなくなりつつある。その中で、石綿が起因する肺癌、中皮腫は回復の見込みは無い。抗癌剤の効果が期待できず、ただ石綿による肺癌、中皮腫の発症には特徴があり、片肺に集中する事である。発症当時片肺を全摘出すると、余命が長いという結果が出ている。つまり、人間の肺の使用には偏りがあり、両肺を同時に使うのは、一部のスポーツ選手に限られ、一般市民は常に片肺を主に使い生活しているようである。左右同じように存在する臓器、腎臓もその様に機能しているらしい。そこで、腎臓移植が移植医療の中で、成功率の高い医療となった理由が存在するらしい。それにしても、今後石綿裁判は頻発して行くであろう。全国被害者同盟的な組織が形成される日が、近いように思う。
昨日、東京地方裁判所は、埼玉県の男性石綿肺癌患者に対し、労災の認定と国の基準が不当であると断罪し、労災不認定を取り消し、厚生労働省の通達を救済の道を狭めるものとして、処分の取り消しを命じました。私が予測した事が、現実に起きこれこそが、司法の正しき判断だと感動しています。また、今日は原爆被爆者の新たな救済策も提示されました。国がいかなる姑息な手段を講じようとも、司法の場では、その様な手段は通用しない事を肝に銘じるべきです。脱原発も、時の流れとして、当然に司法の場にさらされる事となるでしょう。その時国は、100%の安全性が担保されない限り、再稼動を認めない方向に、司法の判断は向かうと思います。なぜなら、その後における悲惨な事故を未然に防げなかったとき、司法の信頼を著しく損なう事になるからです。今日本は、法治国家として、機能していけるかどうかの大きな峠に差し掛かっているように思います。大阪市長が考えているほど、国民は馬鹿ではありませんし、一時的現象として、そうした行動を許す事があっても、必ず正しい所に導かれていくように、社会正義は成熟しています。国民、市民を甘く見ると、今回の裁判のように、討手返しの結論が司法の手により示されるのです。三権分立の原則が、ようやく機能し始めた感があります。今後も、この様な裁判例が山積みされるでしょう。さし当たっては、東京電力の賠償問題でしょう。どの様な姑息な手段で、被害者に対応すても、いずれの日にかその責任を全うしなければならない日が来る事を、肝に銘じ行動して欲しいものです。
今週に入り、体調コントロールに失敗したようである。60%の肺活量で出来る範囲は、おのずと限られている事は、十分承知していたが「やるときはやる」。それがいけなっかった。反省しきりである。現在、厚生労働省では「石綿による疾病の認定基準に関する検討会」座長 森永健二 にて、労災認定の基準の見直しを始めた。現在の労災の形態を維持するには「石綿患者の切捨て」以外に道が残されていない実情から、いづれ行ってくる事は予測できた事です。石綿の恐ろしさは財政までも蝕む事で、通常の労災とはかけ離れた数字が予測され始めたからこそ、検討に入ったのです。胸膜肥厚が存在し、かつ60%の肺活量でも労災認定をしない国の感覚のずれが合法的に追認する形をとろうとしています。おそらく今後、石綿訴訟が頻発し、原爆症訴訟と同じ過程をとるのでしょう。いずれ国が敗訴する事は明白ですが、時間稼ぎをしたいのです。また国民に対し、裁判所の決定というお墨付きが必要なのでしょう。土木建設業の大幅な業績落ち込みが、労災保険の収入の大幅な落ち込みとなり3.11震災で大きな出費が今年3.11以後発生してきます。この付けを一番切り易い「石綿患者」に向けてきた、政府の姿勢に対し不信感を持ちました。民主党政権の限界点なのでしょう。いずれ裁判で覆される事は承知の上での行動に思えてなりません。これからの方向ははっきりしてきました。消費税然り、弱者切捨ての原理しか、お役人の頭には無いのです。給与の20%カットでも自分たちの地位は保全されますが、弱者の歳出が20%増えると、後期高齢者の多くが飢えにさらされる事になることは、間違いないことです。