藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

深山 霞の「霞的心」  柔道界も暴力沙汰なのかい

2013-01-31 10:09:24 | 社会・経済

柔道界も暴力コーチが存在して、問題が表面化した。

もともとスポーツ自体が暴力が発生の原点である事をみんな忘れている。

サッカーは、敵の首を蹴って遊んだことが原点であり、陸上競技の大半や、アーチェリーや、柔道も原点は敵を倒す武術の進化したものだ。つまり、純粋に技術だけを取り出し競技にしたものである。当然にそこに暴力を否定するルールが自ずから出来上がり、現代スポーツと呼ばれ始め、オリンピックによって、より洗練された。

諸外国では、コーチや監督の選手に対する暴力が、判明した時点でスポーツ界から、永久に追放されるそうである。日本だけがなぜかそこが甘い。

その一因が、「相撲」なのではないだろうかと思い始めた。国技と呼ばれながら、明治以来、どの様な進化があったのか定かでない。対戦方法などは、変革したことは事実であるが、基本的なところで、全く変化していないように感じる。

数年前にリンチにより、死者まで出した事件があったが、その後改善されたようであるが、土俵上での取り組みはそうでもなさそうだ。「相撲」人気の凋落の一員はそこにあるような気がしてならない。特に「張り手」などは、禁じ手にすべきではなかろうか。 暴力の最たるものではなかろうか。嘗て大関「雷電」には「張り手」を禁じ手にしたそうである。

全てのスポーツ界が、一つ大きな勘違いをしているように思う。スポーツ(体育)が「人間性を育み成長させる」と思っているのではなかろうか。

「知育」、「食育」、「体育」それぞれが独立したものであり、どれか一つを極めると必然的に他の分野が高まるものではない。ここに落とし穴がある。いい例が今回の柔道界の騒動であり、大阪の高等学校の問題であり、嘗ての大相撲の事件なのである。

「体育」を教育現場から切り離し、国の組織もスポーツだけを扱う省庁を作り厳正に対応すべきではなかろうか。

「知育」は文部科学省、「食育」は厚生労働省、「体育」は?。やはりスポーツ省を作るべきなのではなかろうか。

いまや、大きな決断の時を迎えているように思う。

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深山 霞の「霞的心」  北国さんの記事に思う

2013-01-30 20:43:02 | 社会・経済

20歳代前半期、秋田県の中山間部に存在する「阿仁マタギ」に、非常に興味を持ち図書館に存在する「マタギ」に関する本を読みあさった時期がある。自らも数冊の本を購入したが、民俗学的にも非常に面白く、縄文文化を現代に引き継ぐもののように感じたことが、昨日の感がある。「阿仁マタギ」の狩猟道具や、装束が「有形文化財」に指定されたそうだ。「北国さん」から知らされて、改めて「マタギ」文化についてその歴史的意義を国が認めたことに喜ばしく思う。

お名前は忘れたが、嘗て四国に竹細工の「人間国宝」の方が存在されたが、技術の伝承は為されているのであろうかとふと思った。

と言うのも、広島県の県北部山中には、嘗て「山家」と呼ばれる、流浪の民が存在し、山口県の東部の山間部を西の端とし、岡山県の氷ノ山を東の端とする一体を流浪しながら生活した民が存在した。その流浪の民の持つ技術は、炭焼きと竹細工であり、冬の積雪時には炭焼きを行い大量の炭を生産して、砂鉄の「タタラ」を下支えし、春になると、村々を巡り竹細工で生計を立てていたようである。

私の妻は中国山地のど真ん中の生まれで、小学校低学年までそうした人が存在したことを記憶しているようである。

私も小学校の低学年時代、広島市の周辺部の街にやってきたその手の人と交流したことがある。私の育った街は、歴史的に古く「神功皇后」まで遡る。街の名前も「神功皇后」によって付けられた。

街の山側半分は完全な農村で、日露戦争の為に惹かれた「山陽本線」が新市街地を海側に作り出し、不思議な形態の街であった。

その街の、山陽本線を見下ろす山に、ある日一人の男が犬3匹とともにやって来た。仕事は竹細工である。出来上がった竹細工は、駅前の闇市で売っていた。その男は、半年ほど、小屋掛けした住居で生活していたが、彼が連れていた犬が子供たちの間で「日本狼」だという噂が流れていて、確かに精悍な姿をしていた記憶がある。一度だけ私自身が、その犬の事を尋ねた事があったが、答えは、「山犬」と答えただけであった。そして、「山犬でないと熊が出てくるから」といった。

秋祭りが終わる頃、突然にいなくなった。彼が生活していた山の持ち主に、後年そのことを聞いたことがある。その山の持ち主は、「あー山家の人、彼は5年に一度くらいの割合でやって来て、うちの竹やぶの竹で仕事をしていたなー」と懐かしそうに言ったことを思い出した。しかし、私が見たのが最後であったらしい。どの家にも彼の作った笊や、テミがあった。丈夫で、使い勝手の良い物であったが、私が成人する頃まで存在したことは事実である。凝ったものは、節の部分を生かした絵柄があり、美術品といっても良いくらいであった記憶がある。

その後、義務教育の普及がそうした人たちを定住化させ、タタラ製鉄も廃ったため、「山家」の存在ができなくなったようである。

彼らとともに、「日本狼」も滅んだのかもしれない。

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アスベスト患者日記  今日の起床時体温

2013-01-29 05:14:33 | 日記・エッセイ・コラム

午前四時半、起床。目は覚めるが、就寝時右をしたにしたのだろうか、右半身が痺れている。普通の痺れではない。動かそうとすると、軽い痙攣を起こす。この痙攣は、体調不調時には、頻繁に筋肉に発生する。

過去を思い出して見たが、私の場合も55歳頃が体調の転換点であった。建設現場で4階まで、一気に階段を上がれなくなった。この頃からは、肺機能の低下があったのであろう。一番困るのが、体重コントロールである。10日間ベッド生活をしたら、7kg体重が増えた。食事量は朝食無し、もしくは食パン一枚。昼食無し。夕食栄養バランスを考えて、タンパク質と野菜が中心である。カツオのたたきなどが一番良いが、毎日では飽きる。夕食の量を減らすと異常にコーヒーが飲みたくなる。これが良くない。いずれにしても、7kgの減量に、半月間の絶食に近い状態が今日から始まる。

今ひとつ気づいた事がある。低体温である。55歳ころから、35.5度が平熱になった。36.5度になると発熱状態である。病院では熱がないと診断され、解熱剤が処方されない。すると、後を追うように40度代の発熱となる。いやはや困ったもので、一日に二度同じ病院を尋ねる事になる。

中皮腫で家族を亡くされた方に聞いてみると、私と同じような傾向が見られたようである。

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アスベスト患者日記 あいも変わらぬ四時半起床

2013-01-28 05:20:17 | 日記・エッセイ・コラム

午前四時半には目が覚める。若き頃よりの習慣は恐ろしい。どんなに体が痛んでも、この時間を過ぎることはない。睡眠薬を飲んでも一度はこの時間に目が覚める。

呼吸機能が低下すると、どういった現象が体に起きるのか、誰も記録に残してくれていないことに気付いた。

どんなに検索をインターネットでやってみても出てこない。出てこないことは記録した人が居ないのであろう。

以下は、私なりに気付いた点を書いてみるので、そのような症状の方は、「石綿肺」や、「肺がん」を疑って見られると良い。ただし、同じ症状が存在しても、医師の診断能力に差があり、発見していただけないことのほうが多い。専門医が全国にあまりにも少ない。

1・睡眠時に口を開けて睡眠し、朝起きると口中が乾燥している。

2・夜間に喉の渇きが激しく目が覚める。

3・目覚めの時頭脳がよく働かない感じがして、頭痛がする。

4・朝、体の太い筋肉に、痛みを感じることが多いい。

5・朝階段を下りるとき太ももが辛いが、二度目からは苦にならなくなる。

6・食欲に極端なムラができる。

7・坂道が登れなくなる。平坦路は比較的普通に歩ける。

これらの体に起きる現象は「肺がん」にも言えることではなかろうかと思えるが、未だに誰も 記録していない。

今朝の目覚めも、同じ感じであったが特に倦怠感が激しい。昨日特段の何かをした記憶はない。むしろ一日ベットの中で本も読まず、天井を眺め全国から寄せられる相談に対応しただけだ。

携帯電話とは実に有難いもので、ベットの中でも相談に乗れる。

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アスベスト患者日記  幾日ぶりかの床離れ

2013-01-27 21:50:30 | 日記・エッセイ・コラム

幾日ぶりかにベットから離れて、文章を書いてみる気になった。

この一週間以上、ベットを離れて生活できなかった。3度の食事を作る以外の行動が不可能となった。どうもアスベスト患者の悪化の進捗状況は、階段を一段ずつ落ちる感じであるようだ。

滑らかな曲線で悪化するような感じではなさそうだ。昨年友人が中皮腫で他界したが、55歳で仕事をリタイヤした理由は、体が動かなくなったからで、67歳までの間12年間苦しんでいたようである。結婚して55歳でリタイアする前の数年間から、中皮腫と診断される前まで、アルコロールが入ると暴力が出たようである。体の辛さを暴力で表していたのではなかろうかと推測している。私は数年前からアルコールを絶った。自制が効かなる自分を感じたからである。

それは、地球に根が生えたような体の重みと、筋肉の痛みを感じるようになったからである。タバコはある日吸ったまま寝込んでしまい、布団に穴を開けた。その日以来すっていない。4年を向かえる。この4年を振り返ると、どうも私の場合、階段を一段ずつ転げ落ちるように、体力が衰え、それに比例して体重が増加する。肺呼吸係数が衰えるとともに、体重が増加していく。エネルギーの燃焼機能が衰えている実感を感じ始めたのは昨夏ころからではある。一段と進んだ。

それだけに、自分に残された能力の限界を感じつつ毎日の活動に当たるしかない。

私の携帯電話 080-6318-4554 は24時間「石綿被害者」の相談用に手元を離すことはない。

特に、建築現場管理者、造作大工、塗装工、電気工事工、内装工(クロス貼り工)の方、を始め全ての建築職種の方、自分だけは、大丈夫と思わずに相談いただきたい。「健康管理手帳」・石綿は健康管理のために存在している制度なのです。一年に2度、肺を中心に精密な特別健康診断を無償で受けることができる制度なのです。

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