秋はまだ本番ではないが、隣家の柿木は今年は実をつけなかった。
例年ならば、たわわに実る柿木だけれども天災を予測していたのか、実がひとつだについていない。
例年ならば隣家から「おすそ分け」が届くのだが、今年は無い。
隣家の柿だけかというとそうではなくて、町内の「甘がき」には不思議と実がつかなかった。
町内の他の柿木は、葉が青々として、やっと色好き始めた感はあるものも、「身の一つだに、なきぞかなしき」 の状態である。
自然界に命を置く者は、どこかしら危険を予知するのであろうか。
我が家の庭に植えた「トマト」も、八月二十日までは一つの実も付けなかったが、「集中豪雨」の日を境に、連日赤く熟して我が家だけでは食べきれず、知人友人に押し付けの「おくばり」をしている。
この数ヶ月ブログから離れ、ただひたすらに読書と、原発関連の資料を集めていた。 その資料を検討しているうちに、従来の「ライフワーク」アスベスト関連の裁判は、次々に被害者の勝訴となっていった。
この流れは止まることはもう無い。「脱原発」問題が次の課題だと考えるうちに、現在ある「製造物責任法」をアメリカ型に近い形にする運動が起これば、原発は自然淘汰されるという確信にいたった。
この思案をしている私のところに、二通の秋の便りをお送りいただいた。
この葉書は、青函トンネルを通って私のところに届いた。
函館市とどほっけ村からである。
鼻を押し当ててみると、微かに潮の香りがする気がした。
次の日、東京の「長屋のご隠居」様から柿をお送りいただいた。 柿好きの私が、今年は肩を落としているのが東京から見えたかのようなタイミングであった。
お二人には、この場を借りてお礼申し上げます。
私はこの数ヶ月間、「ブログ」の更新をしてこなかった。 しかし不思議なことが起こり、アクセスいただく数が多くなった。
私の奥様のブログに、コメントが寄せられて、「みどり」様のお孫様が成人になられるそうである。
広島の県立体育館での、あの少年が成人するのかと思うと感慨深い。
あれから二年、今年は特に激動の内に年末を迎えそうである。
水害が無ければこの秋にでも、広島→神戸→和歌山→焼津→東京へ「小泉八雲」の足跡を訪ねる旅を、目論んでいたが叶わなかった。
来年こそはと、目論んでいる。