NHK BSプレミアム番組「美の壺」で、日比谷公園の「鶴の噴水」が取り上げられたらしい。 ブログつながりの「はなてぼ」さまの記事でそれを知った。 「ないたあかおに」の作者、濱田廣介が大正十一年に出版した「大将の銅像」の中の一編が、「噴水の鶴」の話である。 実在の噴水を描いていたとは知らなかった。 昭和四十八年、上京の機会に日比谷公園を散策、「鶴の噴水」を見てその姿の不思議さに、えも言われぬ感動を覚えたことは確かである。 その時友人は、「冬のこの噴水の方がまだ素晴らしい」と言っていたのを思い出した。 台座にツララが下がり風情が増すそうである。 今日一日かけて「鶴の噴水」を調べてみた。 明治38年にこの噴水は作られたそうである。 作者は東京美術学校の津田、岡崎の両氏だそうである。
先の戦争中、金属供出の煽りを受けて、一時期撤去されていた。 戦後復活したときは上部の鶴のみの姿で、唐金の台座は石に代わっていた。 心ある東京都の職員が噴水の上部をどこかにこっそり保管していたらしい。
この職員は、文化財としての価値を感じていたのであろう。 装飾された噴水としては日本で三番目に古いそうである。 長崎「諏訪神社」境内の噴水が、日本で一番古い事は長崎を訪れたときに知ったが、年代から言って、この「鶴の噴水」を、漱石や鴎外が眺めていたことになる。 彼らの感想は如何なものであったであろうかとふと思う。
戦争とは、こうした文化的価値のあるものまで引きずり込んで破壊してしまう。 広島の町は、一発の爆弾ですべての文化財を破壊しつくされた。 戦後「平和都市建設法」により、広島平和公園が建設されたとき、正面に大きな噴水が作られた。 被爆者が水を求めて死んでいったからである。 慰霊碑の周りも水で満たされている。
明治38年、この日比谷公園に噴水が作られたのはいかなる理由からであろうか。 今一番興味のあるところである。
ちなみに日本一古い噴水は「兼六公園」であることは皆様ご存じのとおりである。 加賀100万石の権力を見せつけるために作られたそうだが、はたしてそのような理由であろうか疑問である。