昨日の私のブログの末尾に、「吉川 晃司」 チャリティーコンサートの事を書いた。
我が奥様と其の話になった時、「吉川元春居宅跡公園」 が整備され、菩提寺跡も発掘されて、国の史跡に指定されている事に話が及ぶと、奥様は是非とも其の場所を見たいと仰せになり始め、急遽午後出かけた。
この集落の上段部分が、「吉川元春」の居宅跡である。 この地は城址ではない。 居住した邸宅跡である。
建設されて今年が700年の記念すべき年に当たった。
昭和50年代の後半から発掘調査が始まり、其の館跡が広大な物である事が解り、さすが 「陸の吉川」 と戦国時代に勇名を轟かせた武将の館跡だと国の史跡に指定されたのが昭和61年の事であった。 その後、向かい側の山の中に菩提寺が在ったことが判明して、発掘調査されてこれもまた国の史跡に指定された。
この寺院跡も又広大な敷地であり、「吉川氏」が関が原の戦いの後に、岩国に移封された時以来其の規模等が不明であったが、現在発掘されて其の規模を見る事が出来る。
我が奥様は、いたく感動されたらしい。
満足そうに急な散策をご堪能遊ばされていた。
さて、「吉川氏居宅跡」 は広大すぎて私の安物のカメラでは納まらなかったので、
広い敷地を歩いたので、本日は一日中骨休め。
夕食も手抜きになってしまったが、奥様は久しぶりの散策で気分転換できたらしい。
本日も元気に、「臨時指導員」としてお出かけになった。
それにしても、戦国時代 「毛利家」 の中核として中国地方、四国、九州の一部を制覇していた 「吉川家」 恐るべき底力であったことが感じられる 「屋敷跡地」 はである。
因みに、「吉川氏」 の居城は、今年選抜高校野球に初めて出場した 「新庄高校」 の裏山が其の地であった。
広島を訪問された時は是非ともお訪ねください。 戦国時代に思いを馳せる事が出来ますよ。
と言っても広島からの交通の便は極めて悪い。 車ならば中国自動車道の「千代田」インターから十五分。
傍を流れる 「志路原川」 には天然記念物の 「オオサンショウウオ」が生息している。 運が良ければ見れるかも。