賀 正
新年あけまして おめでとうございます。
本年こそ、阿部政権の終わりを見たいものです。 欲に囚われた政治は、行き着く所、国民の血を流さずには結末を迎えることはありません。 平成年号の終わりを見届ける年と成りますが、皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。
2018年 1月 1日 藤森 照幸
賀 正
新年あけまして おめでとうございます。
本年こそ、阿部政権の終わりを見たいものです。 欲に囚われた政治は、行き着く所、国民の血を流さずには結末を迎えることはありません。 平成年号の終わりを見届ける年と成りますが、皆様のご健勝とご多幸をお祈りいたします。
2018年 1月 1日 藤森 照幸
午後八時。 年越しと言っても後やることは、そばを食することだけだ。 紅白も、なんだか若い女の子が行列してから騒ぎの感がして、見る気がしない。 ここは早めの年越しそばを頂いて、寝て年越しすべきと考え、おそばを頂いた。 元々、そばは好物である。 奥様とはそこが合わない。 私一人、年を越すこととした。
皆様、今年一年いろいろありがとうございました。 くる年も皆様の愛情あふれる御付き合い宜しくお願い申し上げます。
十三時、突然日が差し込んできた。 先ほどまでは「氷雨」。 奥様の気分より変わりやすい天気である。 どこかで雀の集団が騒いでいる。 今年最後の餌探しでもあろう。 スーパーの食品売り場は、正月用の食品ばかりで、私が捜しているものなど無い。 正月用品と言っても、平素食しているものが、少しばかり形をちがえてあるばかりである。 これこそ正月に食すべきもの・・・、そんな物は一つもない。 ただただ、平素の価格の三割増しで売っているばかりである。 戦後の貧しき時代を知っている私としては、飽食の時代がなんだか詰らない時代になってしまった感がある。 貧しくとも楽しい事も多いい様だ。 ミカンなど腐る暇など無く、食べていた。 いや、腐っていても食べていたように思う。 明ければ、平成の時代も終焉に向かって、時を刻んでいく。 そのことが、皆さんの幸せに向かう事となるよう祈るばかりだ。 次の年号は・・・・。 それまで命永らえたならば、三人の天皇陛下と共に歩んだこととなる。
何の準備もしていないが、大晦日がやってきました。 雪が降る大晦日は、私の記憶では小学校二年生の時以来であろう。 昭和二十九年の元旦、起きると広島市内は大雪。 積雪四十八㎝。 当時話題になったので、雪の量を記憶しています。 十日間以上冷え込み、なかなか解けなかった事が今でも思い出される。
明ければ、平成の御世最後の年となる。 今上天皇に関しては、いろいろ思い出が多すぎて・・・・・。 来年一年、健康に過ごせるように買い出しをせねばならないが、外を見ると寒ー・・・・・。 尻込みしている。 鴉君も遠くで啼いておられるところを見ると、出来るだけ低地に移動されたようである。 それにしても寒い。 室温八℃。 寒さの中、本日の行動計画作成中。
昼食は「鯒」の吸い物、「アオリイカのゲソ」のバター炒め、「厚焼きたまご」。 自生の芹を吸い物に入れて、・・・・。 「アオリイカ」がうまいー。 炊き立てごはんによく合うオカズであった。 烏賊など食べない奥様も「満足、満足」の態で、吸い物もお変わりされた。 昨日奥様には、川崎のブログ仲間から大量の「本」が贈られてきて、早速お読みである。 目覚めれば読書、食事が終われば読書の生活が奥様には一番らしい。 私はもっぱら昼寝。 食後布団に潜り込み・・・・。 暑さで目が覚めた。 室温十八℃。 太陽が部屋の奥まで入り込み、・・・
ここまで日が入ると、寝ていられません。 起きだして、夕食の準備。 「稚児鯛」の塩焼きの準備、野菜がない。 何が良いか・・・・・、いい考えが浮かばない。 レタス一玉、三百八十五円。 「うー」高いのである。 なんとしたものか・・・・・・。 五時までゆっくり悩むとしよう。