藤森照幸的「心」(最年少被爆者、アスベスト被害者石州街道わび住い)

アスベスト被害者の日々を記録。石綿健康管理手帳の取得協力の為のブログ。

どちらが卑劣?。

2015-01-29 22:30:05 | 日記・エッセイ・コラム

「イスラム国」は卑劣であると、「安部総理」はのたまわく。 沖縄知事選や、衆議院選挙で、「自民党議員」を当選させるため、「美味しい餌」を見せびらかした。 選挙で負けると「美味しい餌」を隠してしまった。 どっちが卑劣か私には後者が卑劣に思うのだが・・・・・。沖縄県民の生活を人質にしての選挙こそ卑劣極まりない。・・・・・と私は思ってしまうのは間違いだろうか。 

既に一人の命が失われたので、あまり軽々しく人を非難すべきでない。 他人の土地にわざわざ出かけて行って、かき混ぜるほうがよくないに決まっている。 今夜十一時にも今回の事件の結末が待っているようである。 「安部総理」の思惑通りには行かぬ気がする。 ただただ「後藤氏」の生還を祈るのみである。 

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恥の上塗り。

2015-01-27 10:31:54 | 日記・エッセイ・コラム

安部総理が指導している「日本国」と、「イスラム国」と、どの様に違うのかトンと見えてこない。 

民主党が目指す物も見えてこない。 そんな中で先の衆議院選挙で、「広島三区」から立候補した「民主党前衆議院議員」が、飲酒運転で逮捕された。 言語道断である。 聞いて呆れる。 

「ちょっかい」を、出さねばならない理由など無い「イスラム国」へ、旅費を使い出かけた挙句に捕虜となり、其れを救出に向かった知人までも巻き込んだ蛮行は許しがたい。 そんな人間が戦前にもいた気がする。 

加えてその状況を知りながら、「いい格好」を決め込んだ「安部総理」の「中東外交音痴」、「政治音痴」に呆れ果てるばかりである。 問題をより難しくしてしまった。

三日ぶりに雨が上がり、気分がよくなったので小学校の「同窓会」の下見に出掛けてみた。 

本年、同級生は70歳を迎える。 安宿の温泉につかり、ゆっくりめの「同窓会」はどうであろうかと思い、中国地方で一番安いと言われている「千代田温泉」へ出掛けてみた。 なじみの経営者姉妹と久しぶりに会って談笑。

世の中変わっていた。 消費税の増税で、宿賃を上げざるを得なくなたそうである。 素泊まり「2000円」が、「3000円」になった。 上げたくなかったが、全ての物が値上がり状態の中、限界が来たそうである。但し入浴料が含まれるので、実質素泊まり「2000円強」の安さだ。 中国自動車道の千代田インターから「十分」。 広島市内へ「一時間少々」。少し足を伸ばせば、「出雲大社」、「石見銀山」・・・地元には「吉川氏館跡」や重要文化財「古掘薬師」等魅力満載の地である。

駐車場の「黒ヤギ君」だけは、ただ一人黙々と草を食んでいた。 浮世離れの「瞳」で私の顔を見て、「お疲れさん」といいたそうであった。 何だか心が休まるのは何故だろう。

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「敵の味方は敵」

2015-01-23 17:38:21 | 日記・エッセイ・コラム

 コンピューターは「東大に入学できるか」と、言う事が話題になった事がある。 チェスや将棋の世界では、既に人間が勝てなくなった。 ところが言語分野での翻訳等は、未だ人間に及ばない。 当然である。 意思を持った人間が書いた文章は、人間の意思を持った者にしか訳せない。 それでも「不完全」である。 そこで「外交文章」等は、後々の問題の発生を防ぐ為、文言の摺り合わせをする。 それでも問題が起こった時の事まで、「覚書」という「秘密文章」を作り双方が保管する。 こんなことは皆様方の方が良くご存知であろう。 

 さて今回の、「イスラム国」による「日本人人質事件」をつらつら思うに、「東大出身者」が多くを占める「官僚組織」が、コンピュータ並みの能力しかなかった事を露呈した事件である。 二億ドルの経済支援を、急遽「イスラム教諸国に対する人道的支援」と、読み替えを行ったが既に手遅れ、大きな翻訳間違いである。 イスラム教諸国で、「人道的支援」を必要にしているのは、「イスラム国」から逃亡した、「イスラム国」の反対者だと言う事が、政府や官僚に理解されていないのだ。 つまり、「人道的支援」を必要としているのは、「イスラム国」の敵であり、「敵の味方は敵」なのである。 当然の結論だ。 その敵の味方、「安部内閣」は、「イスラム国」の敵なのだ。 こんな人間的な解釈の出来ない「安部内閣」は、資本家と、「反イスラム国」の手先と呼ばれても仕方なかろう。 当然の報いは、「安部内国」を支持した「日本国民」に向けられる。 あな恐ろしや・・・・・・。

 私は海外へ出掛ける予定は無いから、あまり関係は無いのだが。 ・・・・「日本国内」でのまさかの「自爆テロ」。 「無きにしも非ず」と感じる。 敵の敵、日本の敵はまさか「北朝鮮」・・・・・。 少し考え過ぎたようだ。 しかし、国際社会では有り得ないことが起きて当たり前である。 「くわばらくわばら」。

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今日は一日中「読書」

2015-01-22 16:41:31 | 日記・エッセイ・コラム

 

 昨日に続き今日も雨だ。 低気圧が来ると、動けない。 以前一度読んだことのある、「アングレン虜囚劇団」が書棚の中をいくら探しても見つからない。 最初に読んだのは、昭和の終わり頃であったように記憶しいる。 誰かに貸し出したままなのであろうと、インターネットで再度購入した。 

 昨日早くに届き読み始めたが、「父親の顔」と「母の姉の夫」の顔が交互に浮かんできて、二人から聞いた満州時代の話とが重なり、「満州航空史話」を取り出してきた。 私の父親は「満州航空」の整備教官で、母の姉の夫は「満州航空」きっての「銘パイロット」と呼ばれた人であった。 私からすると「小父」になる。 この人は「ハルピン飛行場」の所長を兼任していた。 測量飛行をさせると日本で三本指に入ると言われたらしい。 元は陸軍航空学校で教官をしていたが、「満州航空」が作られた時に、退官して満州に呼ばれたそうである。 「ソ満国境」の要、「ハルピン飛行場」の運営責任者として着任したそうである。 「奉天~新京~ハルピン」の定期便の運行に従事していたそうである。(軍部の関係者が利用するときだけ、本人が操縦したそうだ。) 

 そんなこんなで、読み終わったのが先ほどである。 この本は表紙を開くと、著者のサインが入っていた。 びっくりである。 以前読んだときも、広島の劇団を主宰されていた方の紹介で読んだ。 当時は父親も健在であったし、あまり強い衝撃は受けなかったが、今回は少し違って見えてきた。 「お国の為」の名の元に、「赤いはがき一枚」で、極寒の地で囚われの身となった人たちの苦労が、手に取るように感じられてきた。 このまま自民党政権が続くと、「徴兵制度」の復活が無きにしも非ず。 「国家権力」を「政策」と名を変えての自民党のやり方は、先の大戦と同じ道を歩んで行きそうである。 「貧しくても良い」。 日本には「清貧」と言う素晴らしい言葉が在った事を思い出して欲しいものである。

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あさり丼

2015-01-21 18:06:59 | 日記・エッセイ・コラム

久しぶりに「あさり丼」を昼食に作り食した。 五十年ぶりである。 お江戸では「深川丼」と称されているらしいが、広島県人は「あさり丼」をあまり食さない。 偶然に何かの本で、「お江戸の深川」では「あさり」で丼を作るらしい事を知って、我流で作って食していた。 まだ小学校高学年の時の事である。 その頃から、調理は得意としていた。 昭和三十年代、広島の「太田川放水路」は未完成であった。 戦前「軍都広島」を水害から守るために「放水路」を計画したが、敗戦により計画は工事半ばで放置されていた。 その計画で対象地域の小学校は取り壊されて、生徒たちは三つの小学校に分散されて、通学していた。 この放水路は、現在は十分以上に機能しているが、私の少年時代には干潮時には川底が露出していて、「あさり」や「蜆」、「ハマグリ」、「蝦蛄」、時には「カブトガニ」・・・等、子供でも潮干狩りが出来たので、貧乏人の私は学校帰りには寄り道して、夕飯用に「あさり」を手に入れて帰宅した。 生姜と一緒に火を通し、醤油と砂糖で味付けした物を「麦飯」の上に載せただけの物だったが、大変おいしく頂いた事を思い出して、今日の昼食に作ってみた。 あまり美味しくは無い。 そのはずである。「あさり」は、「冷凍剥き身」。 嘗ての取立ての、生きた「あさり」ではないので当然である。 そうかといって、不味くも無い。 何処か中途半端なのだ。

  

考えてみると、私の食感が変わったのかもしれない。 戦後の空腹に悩まされた時期とは違い、飽食の時代である。 小学校の給食も、不味いと思った事など無い頃の事である。 脱脂粉乳のミルクなど残す人間は、同じ学年二百人余の中で数人しかいなかった。 

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