厳粛な気持ちで今、書いている。やりきれない気持ちで、書いている。家族を無くした人々、2万以上の人が、消えた3.11、3年前だ。筆舌に尽くしがたいと、逃げては、もの書きの値打ちはないと開高 健さんから、小言を喰いそうだ。親兄弟を無くした人々、慰めて済むものではない。
東京でも、激しい揺れだった、自分は、三階のオフィスの扉があかず、2日間、缶詰で過ごした。水を扱っている会社でもあるので、ボトルの水と残った食料を腹の足しにした。しかし、電話も通じず、家族の安否も自由ではなかった。電気が点いて、テレビを見て驚いた。日本がまる焼けになっている様子で、東北の津波は、20メートルの高さで襲ってきたと報じた。恐怖が走る。所属している特派員クラブの外人は、すべて、日本を離れた。どうしてか、原発のメルトダウンが始まり、250キロ圏内は、放射能の犠牲になるからだという。恐ろしい話だ。コックもメイドも、コレスポンデンツも、禿鷹の金貸しも、すべて、東京脱出、北京や東南アジア、欧米に飛んだ。記者は、死んでもいいや、東京で死ねるなら、本望だと腹を決めた。しかし、子供や孫たちを考えると複雑だった。だから、子供たちには、九州の親戚に、避難するよう指示を出した。
東北では、そんな悠長な場合は、なかったのだ。家族が、消えて、娘や孫や、母や父や祖母や家族を捜し求めていたのだ。被災者の気持ちを少しでも、身の感じる余裕がほしかった。自然との対話が、途絶えた時、人間のもろさ、はかなさが身にしみる。
3.11は、日本を消滅させ、ここを再生の時に革新を起こした。尊い人間の命を犠牲にした再出発の息吹を今、感じたいが、国家は、残されたわれわれは、本当に、大震災の復興を実行しているのか、犠牲者になった人々に、顔を向けられないような気がしてならない。深い傷を負った残された人々、悲しみは、とても3年くらいでは、消えるののではない。いや、一生、消えるものではない。海に流れる涙は、海のしょっぱさより、もっと、しょっぱい涙が交じっている。悲しみの涙が、あふれて、海神をおののかしている。
3.11に、また、再び、起こる可能性のある東海地震や東京直下地震をだぶらせてみる。怖い話だ。これを運命と決めきれるまでには、心の準備も必要であろう。しかし、最善の対策を怠っては、3.11に犠牲になった人々に、会わす顔がない。国家と国民は、いまこそ、災害対策の知恵を表に出して、団結し日本国を守るべきであろう。
3.11で犠牲になった人々に、衷心から冥福を祈り、題目を送り続ける。黙祷、厳粛な気持ちだ。
全国消費者国民運動連絡協議会
全国オンブズマン連絡会議
全国ゴルフ会員の権利を守る弁護士団シンポジューム
国際ゴルフ記者クラブ協会
日本時事新聞社
Eagle Eye readers20万人会