未希さんは、。。。。。。。。。叫んでいた。
津波がきます、急いで避難してください。津波が、きます、急いで避難してください。必死に叫ぶ、役場の三階の放送マイクを離さず、もうそこまで、襲いかかる津波にも負けず、叫んでいた。未希さんの最後の声だ。
津波は、その役場も呑みこんで、未希さんは、帰らぬ人なった。NHKが、娘と母の物語を放送してくれた。釘付けになって画面を見ていると、やるせなさと悔しさと慟哭が、一緒になって胸を痛めつけ、椅子に座ったまま、泣いていた。何不自由なく遠藤さん夫妻に育てられた未希さんは、23,24歳であろうか、とっても明るい性格で、未希さんにお世話になった人々がいることも明らかになっていた。
位牌に掲げれた写真を見ても、その優しさが伝わってくる美人だ。同じような年代を自分の子供たちは、あっという間に過ぎてしまったが、親と子の符号を重ねて、切ない気持が体を締め付ける。
母親の遠藤さんは、なんども、死を考えたそうだ。それを覆したのは、未希さんが、二十歳になっ時に、自分が、自分にかいた手紙であった。素晴らしい女性になろう、とあり、最後に、お母さん、私を生んでくれてありがとう、と結んでいる。どう思う!!!読者よ、親なら涙せずには、おれまい。
それを読んで、お母さんは、未希さんの分まで、生きようと、心に決めた。遠藤さん夫妻は、借金をして、近くの浜辺に、ペンションを開いた。その宿の名称は、「未希}」とつけた。部屋から、あれだけ怒り狂った海が、嘘のように凪り、遠くまでみわたせるからだ。記者は、近々、そこにいってみたいと思っている。
全国消費者国民運動連絡協議会
全国ゴルフ会員の権利を守る弁護士団シンポジューム
全国オンブズマン連絡会議
国際ゴルフ記者クラブ協会
日本時事新聞社
Eagle Eye readers 20万人会