ベラはバルコニーにいた。
そして重苦しい胸の内を大きく息を吸って、一挙に吐き出した。自由よ、バルコニーの前に集まった数万人に、みなさん、自由よ!! 集まった市民は、ぞれぞれに顔が紅潮にそまり、息を吹き返した人間の解放の喜びが弾けた。自由よ、自由を取り戻したのよ。つらい、20数年が嘘のように流れ、最悪の地獄から解放された。ベラは20数年の弾圧に耐えた。仲間が、弾圧に耐えかねて、2000語宣言を反故にして、破れた。ベラは、厳然として、国家体制の嵐が彼女を襲うとも、決して負けなかった。
ベラはバルコニーにいた。
時は、プラハの春、ソ連圏傘下のチェコは、自由を求めて群衆が起ちあがった。ことは、成功したかに見えたが、当時のソ連、コスイギンは、
軍隊,戦車で電光石火に、チェコを蹂躙し制圧した。暗雲がチェコを覆い、チェコは自由がない共産勢力のるつぼに嵌まってしまった。
それから、20年、ゴルバチョフが、ぺストロイカの宣言と共産主義の瓦解が始まるまで、長い、それは、長い年月がかかったのだ。
ベラは、20年間、国家の庇護も得られず、食うためには、掃除婦にまで身をおとして、生き延びた。ただ、自由を取り戻す信念が生きがいとなって、そして、ベラはいま、解放の喜びに沸くバルコニーから、市民に呼びかけている。
その人こそ、オリンピックで金メダル7個の英雄、ベラ チャスラフスカさんである。
記者は学生時代で、彼女は、夢の中の人である。年齢は記者が6歳も上だが、ベラが、ずーーと先輩のように映る。ベラは、あこがれの天女である。ベラのプロマイドは、学生時代の6畳の部屋にいっぱい飾られていた。ベラが、20年以上も迫害を受け、顔には皺を多くしたが、サムエルウルマンが青春の譜でいうように、年月で皺は増えても、理想があるかぎり、人間は朽ちない。青春が続いているのだ。、眼の輝きは、若いときのまま、ダイヤモンドのように光を失わない。そして、74歳、今年の8月に遠い旅に出た。自分には、涙をながす余裕さえないほど、ショックを受けている。ベラを決して、忘れることはない。美しい笑顔は、永遠なのである。(記者 古賀剛大)
ベラ、ありがとう。 さあー。ゆっくりお休み。
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