先日、NHK「日曜スペシャル」で、“二刀流 大谷翔平”を放映していた。その中で大谷選手が中学生の時の父との交換ノートに、彼の全てがあると思った。
【父の言葉】
その1:一生懸命に走ること
その2:一所懸命に投げること
その3:一所懸命に守ること
以上のことは当たり前のことであるが、その“差”が大リーグで活躍する彼を作ったのである。彼の父は社会人野球の選手だったからセミプロで、彼が言っていることに間違いなく、その言葉を忠実に実践したことが大谷翔平選手のすごい所である。我々は大谷選手のように素直になれないから、何事も上手くなれないのである。
しかし、素直になったとしても一所懸命に頑張らないとダメなのである。一所懸命にやってもその結果がでるとは限らないが、その努力が大切なのである。甲子園を目指す高校球児と同じである。水泳選手 池江璃花子選手も、白血病になったが努力した。努力は、決して人を裏切らないのである。
知人に財務官僚だった人がいる。彼は、「自分が好きになること」が大切であると言っていたが、当たり前のことである。自分のことを好きにならなければ、努力も何も出来ないのである。そして、他人も好きにならなければならないと思っている。これが、大変に難しい。人間には、馬が合う人と合わない人がいるからである。相手が悪いわけではなく、単に馬が合わないだけであるので、お互いに馬が合うように努力すれば良いのである。
”差“に関連することであるが、差別とは人に“差”をつけ、自分とは“別”のグループとして一種の排除をすることだと思う。人間には能力や外見などの合理的、あるいは非合理的な差(違い)があることは否めない。ただ、大切なことはその事実を認めたうえで、その差によって人を排除しないことである。また、自分がそうしてほしいというように、他人の人格を尊重することである。
様々なイジメが社会問題になっているが、これも差や差別が関連していると思っている。人間は歳をとると頑固になるから人の話を素直に受け入れず、人間としての成長も止まるのである。だから人間は、何歳になっても子供のように素直で勉強することが大切である。
「十勝の活性化を考える会」会員