“中途障害を抱えて知ったこと”がたくさんある。多くの人は脳卒中などで突然倒れて何とか救命されたものの、回復の停滞感から徐々に落ち込み、うつ病を発症する人も少なくない。
障害を持たない人に脳卒中などを罹患せよとはいえないが、同じ立場になって寄り添うことはできるだろう。視力を失った人の気持ちに寄り添うために、目隠しを体験するのはそのためである。
主体性の回復、言い換えると弱い主体性をいかにして目的や希望を持ち、能動的な強い主体性を発揮するかが、障害を克服するためには必要である。
過去の自分や考え方を一旦封印し、楽しいことや希望など何でもいいから目的を持ち、それを実行に移すことが何よりも大切で、諦めないことである。
私の経験から思うのであるが、独自では希望を持てず支える他者と共にいることで立ち直ることが出来ることが多い。障害をもつ人との関わり合いを持つことで、「新しい自分」を発見する。これが、共助・共生社会につながるのではないかと思う。
結局、障害の有無に関わらず人間の原点に戻り、ひとりひとりが潜在的にもっている能力や個性をリスタートさせ、自分の能力を発揮することが大切である。すなわち、現場に赴き現物を取って現実を知るという三現主義と同様である。
情報化社会となった今日では、遠方にいても情報を共有したり指示を伝えたりできるが、現場へ足を運んで初めて気づくことが多く、障害も同じである。経験しなければ分からないのである。
元東大総長であった小宮山宏氏が、「考えただけではいけない、行動で示すべきだ」と語っており、評論家が多い世の中で三現主義を大切にしており、同じことを言っているように思った。なお、彼はアメフト関係者には有名な東大アメリカンフットボール部に在籍していたそうである。
「十勝の活性化を考える会」会員