樹木希林著 “一切なりゆき”~樹木希林のことば~“の本を読んだ。俳優 樹木希林さんは、皮膚ガンが全身に転移して享年75歳で亡くなったが、ガンが全身に転移してから価値観も変わったそうである。樹木希林さんは、次のように書いていた。
『 病(やまい)というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう。私には、いい塩梅(あんばい)にガンというものがあるから、いろんな意味で使っているのよ。
何かを断るときときには「もうガンが大変なの」とさえ言えば、「あっ、そうですね」となるし。まあでも、病気をしてから少し謙虚になりました、私。』
樹木希林さんは、死亡の確率が高くなったことを意識してから、自分は謙虚になったと書いていた。私も10年前、脳出血で倒れて救急車で病院に運ばれたが、8時間にわたる手術を受けて奇跡的に助かることができた。私も“三途の川”を見てから、幸いにも生き返ることができたのである。
ところで、私は葬儀に参列して死人の顔を見ることがある。死に顔はみんないい顔をしている。なぜなら、死んだことで本来の人間に戻ったからであろう。すなわち、“我欲”を捨てたからだと思う。ただ、京都の御三家の1社である京セラを創業した稲盛和夫氏は、生きている時から仏様のような顔をしていたのには驚いた。
普通の人間にとって、我欲を捨てることができないのである。なぜなら、この欲があるからこそ“経済”が成り立つのであって、欲がなければ人間社会は成り立たないのだ。ただ、人間は“知足”が大事だと思っている。どのくらいの知足で満足すれば良いのか、私には分からない。
生き続けるということは、苦しいことや悲しいことなどがあって大変であるが、生きていると楽しいこともあるので、生きていることに感謝しなければいけないと思っている。
また私は、倒れて気づいたことがある。それは、「人間は他人と比べて差別をつける傲慢な動物である」ということである。先日、電話で話していた札幌に住む高齢女性も、若い時からこの差別に苦しんできたそうである。職業差別、人種差別、障害者差別などいろいろあるが止めよう。
倒れてからの自分は、同じ病気になった人と知り合いになったが、人との出会いは運命を左右することもあるので大切にしたいと思っている。その中には、同じ会社に勤めていた人、国家公務員上級職であった人、今利用している機能回復型デイサービスの人など大勢いる。
その中で障害を抱えて頑張っている70代と見られる女性に尋ねると、「過去の自分に戻りたいので、一層懸命にリハビリをしている。」との返答であった。努力は、けして裏切らないのである。
「十勝の活性化を考える会」会員