今日のクラブの演奏会、上手いとか下手は別にして大変感動したことがあった。小学生が中学生と一緒に演奏会をしている。そして高校生、高校を卒業して地元の活動に帰ってきた先輩、大学生、そして地域の大人・・・みんなが一つの曲に、音を集めている。兄弟で演奏、親子で演奏、孫を見るおばあちゃん、おじいちゃん(きっと中にはお孫さんに楽器を買ってくださったんだろう、ありがとうございます)、近所のおばちゃん、おじちゃん。いつのまにか吹奏楽のコミュニティが出来上がっていた。みんな江南の人々。この地域に根付き始めた吹奏楽の輪。私の町、舞阪にはまだこういうものはない。私が知らないだけなのかもしれないが・・・
最近、登下校の事件が世の中を騒がせている。当然学校関係者はその対策として、早めの下校、集団で下校、教師やPTAの下校引率、そして地域も見守り隊などの自警団的な活動をする。確かに対応としては正論なのかもしれないが、どうもこれに「そういう問題か?」と疑問を感じざるを得ない。「不審者がいるから子どもにバリアをはる」「寄り道や、違う道を歩かないように引率する」「親が送り迎えをする」どうも変だ。我々が努力しなくてはいけないのは、不審者の出ない世の中を作ることではないのか?安全な町を作る人間を社会に出していくのが学校なのでは?このことについてはまたいつか書きたいと思う。
クラブの子ども達は一緒に演奏した中学生や大人を知ることになる。高校や大学を卒業して地元に戻った青年たちは小さな小学生に目をかける。中学生はそれを見て、何かを感じる。地域の大人がそれを見守る。下校中の子どもに気づけば「おかえり」と声をかけるだろうし、子ども達も「おじさーん」と声をかける。こういった小さなコミュニティが明るく安全な町を作るのではないかと思う。
大袈裟かもしれないし、ただのきれい事だと言うかもしれないが、自分は吹奏楽に関わりながら、もしも世の中に何か為になることができるとしたら、こういう活動に対して応援することができるかもしれない。そこにはコンクールとか金賞とか普門館とか、そんなものに関係ないところで吹奏楽が私達の幸せを作ってくれる気がする。
そういえば、自分の大学のモットーは『言語を通じて世界の平和を』だった。江南吹奏楽クラブはさしずめ、『吹奏楽を通じて明るい町を』かな。
最近、登下校の事件が世の中を騒がせている。当然学校関係者はその対策として、早めの下校、集団で下校、教師やPTAの下校引率、そして地域も見守り隊などの自警団的な活動をする。確かに対応としては正論なのかもしれないが、どうもこれに「そういう問題か?」と疑問を感じざるを得ない。「不審者がいるから子どもにバリアをはる」「寄り道や、違う道を歩かないように引率する」「親が送り迎えをする」どうも変だ。我々が努力しなくてはいけないのは、不審者の出ない世の中を作ることではないのか?安全な町を作る人間を社会に出していくのが学校なのでは?このことについてはまたいつか書きたいと思う。
クラブの子ども達は一緒に演奏した中学生や大人を知ることになる。高校や大学を卒業して地元に戻った青年たちは小さな小学生に目をかける。中学生はそれを見て、何かを感じる。地域の大人がそれを見守る。下校中の子どもに気づけば「おかえり」と声をかけるだろうし、子ども達も「おじさーん」と声をかける。こういった小さなコミュニティが明るく安全な町を作るのではないかと思う。
大袈裟かもしれないし、ただのきれい事だと言うかもしれないが、自分は吹奏楽に関わりながら、もしも世の中に何か為になることができるとしたら、こういう活動に対して応援することができるかもしれない。そこにはコンクールとか金賞とか普門館とか、そんなものに関係ないところで吹奏楽が私達の幸せを作ってくれる気がする。
そういえば、自分の大学のモットーは『言語を通じて世界の平和を』だった。江南吹奏楽クラブはさしずめ、『吹奏楽を通じて明るい町を』かな。