ふじの国子ども芸術大学の三枝学長のお話を聞いて
・・・現在学校では国語週4時間、英語週4時間。母国語と同じ時間勉強するくらい、英語を大事にしている・・・
確かに、週4時間になって授業時数が増え忙しくなりました。
・・・インターネットにより世界の言語環境は変わり、英語しか使えない特区もあり、会社によっては共通言語を英語としているところも増えてきた。世界では20分に1言語が消えている。日本語も500年後には地球から消えるという・・・
500年後だからどうでもいいです。。。と言いたいところですが確かに今後、日本の人口が減っていくし、言語環境から考えてもっと早い時期に日本語が消えるかもしれません。近い将来、日本語は使いませんという都市が出ることは容易に想像ができます。ましてや、学校や会社では当然でしょう。
・・・IPS細胞によって、人の寿命は延びる。・・・
STAPP細胞のほうが気になりますが、それは冗談として、本当に臓器が再生するのでしょうか?ピッコロ大魔王じゃあるまいし。
・・・TPPは農作物というより、医療や教育も自由に出入りするので、厚生労働省や文部科学省の意味がなくなる・・・
ということは、資格は資格でなくなるということでしょうか?世界標準の資格が必要になるのでしょうか?免許がない医者や先生もOKになります。そう、ブラックジャックです。
知人がよくいっていました。資格、資格っていうけど、「実力がない人ほど資格が必要なんですよ」「力が本当にある人は自動車の運転免許だっていらない。相手から送迎してくれる。」という話を思い出しました。極端な例を申し上げますと、世界のオーケストラで活躍し、素晴らしい演奏をする音楽家でも教員免許がない場合、授業を行うと法律違反です。どんな素晴らしい内容であっても検定されていない本を教科書として使うことも違法です。ピアノを弾いたことのない、人前に立つと上がってしまって黙り込んでしまう人でも免許があれば、それは法的には問題がありません。
では、そんな人が教員免許が取れるのか?取れます。ペーパーテストである以上、対策があり、合格点を1点でも超えれば合格なのです。教員免許を持って一度もチョークを持ったことのない人は山ほどいると思います。逆に、教員免許を持たないカリスマ予備校教師も山ほどいると思います。調理師免許を持つことと、おいしいご飯を作れることは違うのです。F1ドライバーで普通運転免許のない人もいるかもしれません。
いつだったか、免許のない先生が授業をしていたとして問題になり罰せられたようなニュースがありました。自分の親もそうでしたが、一般の人からすると、「そんないい加減なひどいことするんだ、だから学力テストも最下位になるんじゃないの?」的になります。しかし、自分が思ったのは、「でも、その人じゃないと授業にならない学校状況なんでしょ?教育委員会もそれこそサクッと臨時でもなんでも免許を発行してやればよかったのに。。。」と思いました。
以前職員室で「先生、英検受けたほうがイイですか?」という質問に「持っていて得したと感じたことは、今まで生きてきてなかったなあ・・・」「持っていなくても損したと感じたことも今まで生きてきてなかったなあ・・・」という、身も蓋もない会話が聞こえてきました。中卒、高卒、大卒など、学校の卒業も資格です。究極の話、学校を卒業する必要があるのかという話になってしまいます。。。
まあ、牛タン屋のカレー、蕎麦屋のカツどん、おばあちゃんのぽたぽた焼き・・・など、よく考えれば、ただの専門外の素人のほうが宣伝文句になる不思議な時代です。
・・・これからの時代、自分の力で生きられるように・・・才能なんてない。不器用で下手なほうがイイ。それを長く続けることが大切。なんでもいいから好きなことを・・・オタクは天才。一つのことに没頭しちゃうことをアスペルガー症候群と言うけど、それが天才なんだ・・・
これについては賛成な部分もありますが、問題は続けるということが経済的な安定のもとに成り立つという難しさ。音楽家を目指したり、作家や翻訳家を目指して飲まず食わずの苦労をしても10年は続かないでしょう。本業が安定していて一生作曲活動や翻訳活動、演奏活動ができる人もいます。そしてそういう人に限って、専門の大学で勉強してきた人よりも上手だったりします。でもやっぱり、自分も思います。なれなかったのはやめた時。続けることが大切です。
・・・僕は教育者ではないのであまりうまく応えられないこともありますが、何か質問は?・・・
教育者というほどではありませんが、教育に携わる者として思うのですが、結局この子たちの未来は明るいのでしょうか?それとも厳しい時代になるのでしょうか?それを乗り切る力を身に付けさせるのが教育なのでしょうか?英語もできない、運動もできない、音楽も工作もお料理もできない、、、人が大多数だと思うのですが。。。TPP解禁の日本で暮らせなくなった人々が、どこか南の島にでも移民していく時代が来るのかもと思ったりもしました。そしてその島でまた集団が発生し、力の上下関係ができ、国家ができ、外交問題が起きてTPPで移民する。。。歴史は繰り返す。
『A地点から3キロ離れたB地点まで、兄は毎分100メートルの速さで歩き進み、弟はその10分後に自転車で出発し3分以内に追いつきたい。弟は毎分何メートルの速さで進めばよいか?』を『なるだけ速く進むが交通事故には十分気を付ける』とか、『そもそも兄が弟と一緒に出てあげるべき』『帰りはその自転車をどうするのか』『兄が忘れた弁当を、弟がそんなに必死になって届ける必要なはい』などといった生き方は許してもらえないのだろうか?