赤い水性の部屋

あくまでも赤い水性個人のページですので、吹奏楽とは関係ない内容もあります。みなさんのコメントをお待ちしています。

18年度夏休み終了

2006年08月30日 | Weblog
 学生でない限り、8月を夏休みと思うのは教員くらいだな。一般の社会人はお盆休みのことをさすだろう。お盆休みなんてもうずいぶん前に感じるのだから、教員という職業、ずいぶん世間の流れとは違う職業である。しかし、同じ勤務日でも今日と明日でこれほど違う職場も珍しいだろう。店は仕事をしていてもお客さんが着ていない状態が夏休みだな。いわゆる店員はいるのに、準備中という感じか・・・

 さて、この夏を振り返る。前半はコンクールに没頭。これはどこの吹奏楽部も同じ。ただ地区大会で終わるか、県大会で終わるのか、東海大会で終わるのか、これが問題。全国大会に出る学校はまだ練習中なのだから、大変な努力だ。運動部の関係者と話していたのだが、「県大会で数試合やっただけで、8月が通常勤務よりも忙しかったのに、全国に出ている監督は他の仕事(つまり教員としての本業)をしているのだろうか?いつするのだろうか?」という話になった。確かにその通りだ。できる人は凡人よりも仕事の量がこなせるというが、物理的に不可能だと思う。高校野球の部長先生などは勤務超過だと思う。もっとも、有給休暇や夏季リフレッシュ休暇などを使って大会や練習、合宿や遠征に出ているという、休暇を取ってその時間を仕事に宛てる場合がほとんどなのだが・・・

 そうは言っても、いろいろな出会いや発見もあった。指揮者講習会では、高校時代の同級生に十数年ぶりに再会。お互いにオッサンになったものだが、その友人は間違いなく同級生の中では成績がトップで、有名国立大学にも行ったヤツだった。

 再会といえば、平成14年度の卒業生と集まる機会もあった。大学に進んだものや、就職したもの、浪人生とさまざまだが、みんなしっかりしている。でも変わらない。彼らは中日の本大会で2年連続で優勝グループに輝いている。

 ホルンのマウスピースを20本くらい、片っ端から試奏するというマニアックな体験もできた。もちろん吹いたのは生徒。本当に個人でさまざまな違いがあった。値段とは関係ないね、コレは。

 一応、プールも海も遊園地も行った。父親として落第をかろうじて免れたといえる。夏休み中に上のちびの自転車の練習を始めてあげられなかったことがちょっと残念。

 地元のチビッ子合唱の練習にも参加。実は来月に本番。大丈夫かちょいと不安。

 振り返ってみると、2度のコンクール、音楽発表会での合唱奏、自分の指揮レッスン、指揮法講座の運営、スコアリーディングの勉強会、東海大会見学(本当にすべて真剣に聞いた)、同窓会に合唱、市民フェスティバルの準備など結構充実していたかもしれない。そしてとどめは今日の一日会議
 合奏をやる気満々だったのに、中途半端に今日の練習が終わってしまったね。結局明日の準備などで、丸一日勤務になってしまい、この夏も余って捨てられる有給休暇を少しも有効活用することができなかった。家に帰ってご飯を食べた後、家族でここへ
http://www.kjp.or.jp/hp_71/

さて、明日からまた新しい気持ちでがんばろう。

あ~夏休み(プール編)

2006年08月20日 | Weblog
 コンクールの後も、研修や学校の日直、そして家の初盆などで、結局ろくに休まないまま練習再開になった。それでも、土日と学校の工事の月火で夏休みをもらった。
 舞阪町(現在浜松市)には、町営プール(だから、今は市営かな?)がいくつかあり、すべて無料で経営されている。経営というより、開放である。25mの競泳用と、幼児用の浅いプール。滑り台も一応ついている。財政が豊かだったころの産物である。なんといっても無料というは、今考えるとすごい。子供のころ、プールのそばに住んでいたので、朝からプールに行き、お昼ご飯を食べてまた夕方までプールに入っていたものだった。
 さて、上のチビは昨年より、このプールに夢中。去年買った浮き輪を引きずり出し、早速プールへ。今年初めてということで、喜びもひとしおだろう。今年は積極的に深いほうへも行きたがる。そこで事件は起きた。「よーし、お父さんと競走(競泳かな?)だ」と、クロールを。二掻きほどすると、左腕が・・・肩が上がらなくなり、やむなく棄権。2日プールに行っただけで、体中がバラバラになりそうな倦怠感。
 みなさんも舞阪のプールへどうぞ。今日は込んでいたっていっても、8人くらい。平日は監視員のほうが多いぞ。しかも、泳いで助けてくれるとは到底思えないシルバーの人たちばかり。さすが田舎のプール。今は浜松市だから、堂々と江南中の生徒も入れる。

ベスト5

2006年08月06日 | Weblog
 静岡県吹奏楽コンクールが終了した。生徒には「今日中に振り返りのレポートを書きなさいね。明日になると考えが変わっちゃうし、忘れちゃうから。直後のことを、いつまでも忘れたくないことをしっかりと残そう。」と言った手前、自分もやはり今日中に整理したいと考えた。いや、整理できているわけではないのだが・・・
 代表は高台中、富士宮第一中、富士宮第四中、富士根南中の4校。どれもすばらしい演奏だった。『あこがれ』で紹介したS先生、さすが。まだまだぜんぜんかなわない。そういえば、もう一人の憧れのT先生も転勤一年目で北陸大会に出場とのこと。ある意味、自分の目に狂いはないという、うれしいような、追いつかないなという、悲しいような・・・
 さて、今回のコンクール、結果は銀賞だが、実にいい気持ちだった。金賞や代表なら本当に最高だったのかもしれないが、代表の金賞でもいやな思いをしたこともあるので、結果と達成感は別だと思うな。
 コンクールの練習だから、苦しい時期もあったのだが、基本的には吹奏楽を楽しめたように思う。コンクールでも演奏会でも、終わったあとに、すっきりする時と、奥歯に何か挟まったままのような気がするときがあって、自分の指揮活動の中で、今回はめでたく『ベスト5』に入っているという自信がある。録音を聞いた後も、その考えは変わらないのだから、これは結構確かな感触。どの年も真剣にやっているし、手を抜いているわけではないので、いつが残りのベスト4かは書かないが、「こうこう、こうして、みんなで・・・な音楽を作ろうじゃないか」といっしょに練習し、それが本番で発揮できたときの感触。今年ほど、「ここは、みんなでいっしょに作っていこう。みんなってことは先生も生徒のみんなも全員って事だよ。」みたいな声を合奏中に指示したことはないと思う。そして、自分自身もいろいろな先生と交流したり、レッスンを受けたりして、この3年間で大きくステップアップしているなと実感しているし、これは、気のせいではないと思う。
 ただ、コンクールとは、採点競技だし、結果としての優劣はその場だけを聞いた、まったく関係のない人(つまり審査員の先生方)が総合的に、公平に下していることなので、それに従えないのならコンクールに出るべきではないと思うし、自分の手ごたえが必ずしも審査員の先生方の反応と一致しているわけではない。正直な話、今回数えた『ベスト5』の中で金賞もしくは1位の演奏はない。そう考えると、やっぱり俺の耳はロバなのか?