ハイボールって今流行っているらしい。今日は舞阪尽くしのカニ(後輩の永田君に知らせてあげようかな)と生シラスが美味すぎる。だから食べ物で癒すなって・・・←コラ~
目覚める・・・覚醒する・・・ニュータイプ?
センスや才能という言葉はあまり信用していない赤い水性@部屋。
誰にでも能力があり、それは、毎日鍛えて、その能力を信じてしっかりと温めていると、突然その力が目覚め、能力が覚醒すると思っている。毎日真剣に向かい合っていると、突然、自分の中に変化が起きてくる。
覚醒がはじまった生徒は顔つきが変わる。当たり前だが、顔が変わるわけではない。普段はアホ面(オイオイ
)をしていても、人の話や指導を聞くとき、音楽に向かうときの目や顔つきが変わる。このときは、本当に良い顔をしている。質問の内容が変わる。そしてその時を境に、急激に上達していく。
ここに来て覚醒し始めている者が出始めていることに気づいた。もちろん全員ではない。しかし何人かは確実に目覚めはじめている。目標をもった時、そして『なりたい自分』を描くことができて初めて、『なれる自分』が目覚めはじめるのだろう。
1年生でもコンクールに出る者、出ない者がいる。コレは技術だけではなく、今の分担しているパートによるものだから、仕方がない。
コンクールに出る1年生はゆっくりと段階に合わせた基礎ができない。自分の力以上のことを要求されたり、無理をしたりするので精神的にもつらい。
コンクールに出ない1年生は自分の練習時間がある。でもどちらかというと、放っておかれることが多くなってしまう。緊張や不安を感じることが少ない反面、充実感という点では少し不満足になる。コレはどこの学校でもいつの時代でも同じだろう。
両者には決定的な違いがある。コンクールに出ている者は、少しのミスやブレでも許されない緊張、県大会や東海大会という上位のレベルの高い中での空気を味わう。これは別室で練習するといっても、「あっ、間違えちゃった」「ここの指わからない」などと、のんきなことを言いながら練習するのとでは、全く違う。
コンクールに出ている者とそうでない者、実は技術は大して違わない。しかし、この生活を一ヶ月間、毎日送っていたら1年後(もっと早いかもしれない)の覚醒に大きな影響があるのではないかと思う。
上手くなるには、上手くなる性格がある。上手くいく思考がある。上手くならないのにも、上手くならない性格・思考がある。
わかっても、わかっていなくても返事だけすれば怒られないだとか、おとなしくしていればいい、決まった時間だけ言うことを聞いていればいいというような、そんな表面的な真面目さではない、ほとんど覚悟に近い、のめり込む自分と『なりたい自分』を見つけることができたとき、覚悟が覚醒へと変わるのだと思う。そして、これは誰も育ててくれない、自分でしか育てられない。