昨日のことです。大日堂の禰宜さんの講演を拝聴後、S先輩と郷土の古道(巡見使道・殿様道)を探し古道は見つかったのですが、一つの神社がどうしても見つかりませんでした。
渓谷に人だけが渡れる散策用の「天狗橋」が架けられています。
この「天狗橋」を国道側から渡り終えると、このような説明が掲示されています。
「杉沢」とは「夜明け島」の事です。夜明け島に住む天狗が一夜で「天狗橋」を架けてくれたので「天狗神社」を建てたと言われるのですが、その「天狗神社」がいくら探しても見つかりません。
もしかすると「天狗橋」を渡ってからではなく、向こうの国道側にあるのかもしれません。新たな探求課題が生じました。どなたか「天狗神社」の場所をご存じの方はお知らせ下さい。
「天狗橋」について一言。この「天狗橋」から下を覗くと大変深い渓谷です。
この「天狗橋」は江戸時代に架けられていたことは確かですが、明治になって取り外されたしまいました。現在の観光用の橋が架けられたのは最近の事です。
江戸~明治の紀行家・絵師・庭師の「蓑虫山人」が描いた「天狗橋」です。当時も凄い渓谷で欄干がなかったので大変怖かったと思います。この絵で注目したいことは大きな川の右岸に道があって左岸に渡って左岸に道があることです(注、右岸とは川上ら川下を見て右側が右岸です)。現在の国道には天狗橋は無く(東北自動車道にはあります)、左岸を上ってきてそのまま右岸に渡ることなく進みやがて「笹の渡りの橋」で左岸に渡ります(江戸時代には「笹の渡りの橋」はありませんでした)。
江戸時代にあった「天狗橋」がその後無くなったのは、明治18年から始まった工事で現在の国道が完成(明治20年)したからです。
この渓谷にかかる橋を考えるととても複雑です。江戸時代の街道、現在の国道、東北自動車道、そして鉄道の橋です。一番橋の多いのが東北自動車道で5橋で高い所を通っています。江戸時代の街道が少なく2橋です。
江戸時代の地図4種や「一の渡り橋普請奉行」や「天狗橋普請奉行」が残している古文書(石田家文書)を調べて、この渓谷のおおよそが分かりました。
「一の渡り橋(最初の橋)」には、「橋」の他に「舟着き場」も準備されていたことが石田義兵衛の書いた図を見ると分かります。
橋があるのに何故「舟着き場」まで準備しているのでしょうか。その答えはここの地名が「碇(いかり)」ということにありそうです。江戸時代は川が溢れる、洪水になることを「いかる」と言いました。ここは川を渡ると重要な道が左右に道が分かれる交通の要所です。そこで、洪水で橋が流されても舟で川を渡れるようにしていたのです。
当時の「道奉行」「橋奉行」さんの苦労が偲ばれます