おかあさんが、「石のむろじさんが作って下さるKさん宅もこんな風に砂紋を描くことができるね」と、庭園誌に掲載されている写真を見せてくれました。確かにこうした雰囲気のお庭ができ、さらには橋の根本には州浜が予定されているので、砂紋を引く効果は更に高まると思います。そろそろ砂紋引きの道具を作ることにしましょうか。この写真の砂紋はやや幅が広いように思うのですがいかがなものでしょうか。
私がこれまで見た枯れ山水庭の最高は京都の大徳寺大仙院の書院にある枯山水の庭園です。
ここ大仙院の国の重文に指定されている枯れ山水庭は、桂離宮のような回遊式庭園(飛び石や延べ段があって庭を歩いて鑑賞する庭園)ではありません。お座敷から眺める観賞庭園です。
山の奥から流れ出る小川が次第に川幅を広げ、最後は方丈前の大海にまで至る様子を舟を置いたりなどかなり具象的に造形をしています。5枚目の写真では塀の下を川が流れており、始めてこの庭を見た時、室町期にこうした大胆な発想があったことに驚きを覚えたことを思い出します。
砂紋は川の流れの様子(波紋)を表しています。
同じサイズの用具で作られているようです。もしかすると我が家の砂紋の幅よりやや広く、深さは少し浅いかもしれません。
Kさん宅の砂紋を引く道具は、ほぼここ大仙院の砂紋と同様の幅や深さが同じ程度の用具を作ってお届けしようと思います。
いかがでしょうか
追伸・・・大徳寺大仙院について
方丈は永正10年(1513)の建物で創建当時の遺構である。方丈は禅宗建築としては竜源院と同様に日本最古のものであり国宝に指定されている。方丈の玄関の上部にほどこされている透かし彫りの細部装飾も見事である。書院(枯れ山水庭も含めて)は国指定の重要文化財である。
大林宗套(だいりんそうとう)、笑嶺宗訴、春屋宗園、古渓宗陳といった名僧が住職となる 三世住職 古径和尚は、豊臣秀吉の怒りにふれて賀茂の河原で梟首にされた千利休の首を大仙院に持ち帰り、手厚く葬ったといわれる。
7世住職 沢庵和尚(たくあんおしょう)が、宮本武蔵に剣道の極意を教えたといわれ、沢庵和尚は、漬け物の「たくあん」を考案したといわれている。
追伸2
現在の住職 尾関宗園(おぜきそうえん)さんは、多数の本を著し豪快な説法が観光客に好評な名物和尚だそうです。 私たちがお邪魔したときにこの方がおられたと思います。色紙を書いて売っておられました。 このお寺は檀家さんがないので(葬式をやらない)、こうしてお土産を売って収入としているのですと笑って話されていましたが、あの方が尾関宗園(おぜきそうえん)さんだったと思います。壁に掛けられていた書が今でも心に残っています。・・・ ○