隣町史談会の現地研修会で盛岡までお出かけです。参加者は24名、ご案内の講師には私が頼まれていました。ここ4~5日は下調べに没頭していました。盛岡までの藩政期の街道を辿り、盛岡では隣町のお城にゆかりの殿様3名のお墓を訪ねる研修です。
古の街道を辿るためには、大部分が今は使われていない道を探すことであり、古い絵図面が一番頼りになるものでした。加えて盛岡までの間の市・町・村史をしっかり読むことも大切なことでした。
バスの中では終止マイクを持ってご説明、お墓では参加者と共に墓石に書かれている文字の読み取りに努めました。お陰様でお寺さんも分からなかった大きな五輪塔が、とても貴重な人物のお墓であったことも分かりました。
地輪の部分に書かれていた没年が、「□応元年」と読めたこと、俗名が「直□」と読めたことから、系図には「承応元年(1652年)、三左衛門直次、85歳、没」とあり、この方三左衛門家の初代の方のお墓であることが分かった次第です。
質問にお答えしたり、お墓をご案内したりと忙しく、写真を撮る時間はありませんでした。
昼食時だけ写真を撮る時間がありました。「和のレストラン・千鳥」でおでん料理で有名なお店ということでした。
なかなかにお洒落なお店で、ゆっくりと昼食を楽しむことができました。川徳デパートのすぐ近くです。盛岡にお立ち寄りの節はいかがでしょうか。
今日は些少でも人のお役に立てて良かったと思います。思うにこの盛岡北山にある聖寿禅寺の一層部分だけの五重塔が私を引きつけ、これまでに下見と本番の二回分で計4回訪れてしまいました。来春になるともう1回、郷土史学習会から案内を頼まれてしまいました。
来春はさらに新たな発見や確かな確認が出来るようご案内をしたいと思います。例えば、この五重塔の一層部分にはたくさんの地蔵菩薩さんが入っていますので、寺守りをしておられる東さん(檀家総代)にお願いして見せて頂くとか、聖寿禅寺八角堂の中でこのお寺の由来等をお聞きするなどをしたいと思います。
隣の東禅寺は北家のお墓がたくさんあるところですが詳細は私はまだ知りません。こちらも南部家の菩提寺で盛岡藩初代利直公のお墓はこちらにあります。
なぜ菩提寺が二つに分かれているのでしょうか。知りたいことがたくさんあります。盛岡は少々遠いのですが、これから調べる楽しみの一つにしたいと思います