先週の話題ですいません。12月1日(土)の夜に、NHK教育テレビで、
ETVワイド・ともに生きる「障害者生討論・自立って何や?」っていう番組をやってました。(星野ジャパンも気にしつつ・・・)
障害者を担ってきた中年以上の人たちが嘆く”若い障害者に怒りがない”
っていう内容でした。
障害をもった「若者」と「中年」がスタジオで、生討論していました。その中で、いくつか考えさせられた言葉をいくつか紹介します。
これまで、「怒り」をもって社会と対峙してきた「中年障害者」が、今の若者(障害をもった)は怒りが足りない。という言葉に対して・・・・
●中途障害者の若者 : もっとスマートに交渉したい。「怒り」を表現するやり方は、自分のスタイルじゃない。
●障害者の若者 : (障害を受け入れる社会に対して)時代が変わったんではなく、時代が進んだんだ。
●視覚障害の若者 : これまでの先輩方の努力のうえに、我々若い世代にとっていい社会になってきている。私は差別を感じない。今の社会は差別が感じにくくなってきている。
●障害者プロレスを行っている若者 : 障害者と健常者は「同じ人間なんだ」っていう、違いを無視した言葉に疑問を持った。それぞれ「違う」ってことを恐れないで、ぶつかって行くこと、違いをぶつけ合わないとダメ!
■介護ビジネスを経営している 春山 満さん : 若い人に「怒り」と「なぜ」を持ってもらいたい。当たり前だと思っていることの裏にある。当たり前じゃないことにも気付いてほしい
そして、春山さんは若者に向けて、
「障害があろうが無かろうが、社会が自分をどう見るか、ではなく自分が社会をどう見るかが大事だ」
と言っていました。
この春山さん本を7・8年前に読んだことがあり、改めてページを開いてみました。
~P33より引用~
よく考えてみてください。「常に健康人」なんて、はたしてこの世にいるで
しょうか?(略)生まれたばかりの赤ちゃんは、両親の手を借りなければ
何もできません。また、体が弱ったお年寄りも誰かの手助けが必要です。
誰でも人生の入口と出口においてこれだけの介護が必要であり、さらに
多くの女性の場合は妊娠という期間もあります。ときには脚をけがして、
一時的にせよ松葉杖をつかなければならなくことだってあるでしょう。
これで「常に健康」だといえるでしょうか?
人生という長いレンジで見ると、僕らは一時的に健康な時代を送って
いるにすぎないのです。
障がいを持っている人たちに討論って初めて見ました。 (さっく)