雪と氷の季節がやって来た。
四国山地に初雪の予報が出た週末、通い慣れた皿ヶ嶺の森へ出掛けた。
残念ながら標高1270mの皿ヶ嶺の森は、薄く霧氷が着氷する程度だった。
それでも雪山シーズンを待ちわびた多くの人が、
この市街地から、そう遠くない森を訪れていた。
森のアイドル、Nさんとも久しぶりにお会いした。
「今年、初霧氷ですね」と訊ねると、
「そうね。薄いからもう融けかけているけど、竜神平北側の尾根道は大丈夫よ」
と笑顔で教えてくれた。
融けかけた霧氷は、それなりに撮りようがある。
氷のプリズムは七色に輝くのだ。
でも、それには輝く太陽の陽射しが必要。
あいにく黒い雲が掛かり、陽射しを遮っている。
諦め半分でキリキリ底冷えする冬枯れの森を歩いていた。
Nさんの言葉通り北側尾根は、白く枝を覆う霧氷が融け残っている。
望遠レンズに切り替えて、着氷の枝を撮っていると、
氷の世界を一変させる光のハレーションが起こった。
キラキラキラキラ…氷のプリズムが舞い、
光の粒子が虹色のハレーションとなって氷の世界に舞い降りていた。
絵に描いたように狙い通りである。
たまには、こういうことも起こる。
そのためには何度も同じ場所に通い続け経験知を重ねることだ。
それが色んな自然条件への臨機応変な対処法として身についてくる。
なんてね…(笑)
竜神平を周回して湿原へ入ると西側の落葉松林の霧氷も融け残っていた。
午後の湿原をトレランの若者たちが横切り、
下山の森では瑪瑙(めのう)採集の学生たちと出会った。
皿ヶ嶺に瑪瑙が出るなんて初めて聞いた。
「玉髄が出て来るのだ」と採取した緑色の石の断面を見せてくれた。
紅色の縞模様が浮き出たものを瑪瑙だと思っていたが、
石英の結晶が色んな形で浮き出て来るらしい?
どんな世界もそうだが、石の世界も極めればディープ。
中国王朝の権威の象徴である玉(ぎょく)の話も最近、聞き齧ったところだった。
下山の途中から懸念していた古傷が痛み始めた。
経年劣化によるものなのか?寒さによるものなのか?
痛みは一晩寝ると引いたが雪山シーズンを前にして不安材料を抱えてしまった。
怖くて、ちょっと病院へ行けない…
結果次第で、諦めなければならないものの代償が大き過ぎる。
http://buzzap.jp/news/20171120-xmas-tree-kobe/
こういう打ち上げ花火みいたな一過性の消費を煽るイヴェントは無くならないですね。
150年も生きた命をクリスマスイヴェントの客寄せパンダとして消費してしまうなんて…
なんとも愚かな。
住友銅山の遺構のある西赤石にはアケボノツツジ開花と
秋の紅葉(南側斜面に四国一の落葉松林が広がります)の頃に何度か出かけました。
懐かしく拝見しました。
初雪の予報も、思ったほど気温が下がらず山の稜線に薄く霧氷が着氷する程度でした。
本来なら堂ヶ森へ入るつもりでしたが、
二週間前くらいから右足首の違和感と痛みが、山や散歩の途中でありました。
以前、骨折した右足首関節に関わる何らかの痛みだと想像はつくのですが、
しばらくすると痛みは消え、日常生活に支障がないので放置していました。
でも、さすがに雪山に単独で入って、途中で痛みに動けなくなると最悪です。
今回は様子見で近場の皿ヶ嶺の日帰り登山としました。
それは結果的に正解だったようです。
登りは大丈夫でしたが下山は痛みに真面に歩けない状態でした。
これも一晩寝ると痛みは消えるので、骨折箇所が剥離したわけでは無さそうです。
「古傷の痛み」という表現が適当なようです(笑)
身体に受けた損傷は100%元に戻るわけではありませんからね。
年齢を重ねて代謝機能も衰え、色んな箇所の不調が出て来るのは、受け入れるしかない現実だと思います。
徐々にではありますが、経年劣化してゆく自分自身の身体を受け入れるようにしています。
厳冬期の雪山撮影行は、もう無理なのでしょうね…辛いけど。
待つこと・・・理解は出来ているのですが、実践できない。
瑪瑙、始めて聞きました。地学を取っていたのですが・・・さぼり学生でしたから仕方が無い。この分野も面白いですね。
ランスケさんの興味の連鎖は非常に興味が湧きます。
古傷、気をつけてください。
私も右肩に古傷があります。
先日、MRIを撮りましたが、ひどくなるようなら手術とのこと。
少し痛みがあるのですが、行くのをためらっています。
霧氷の林、すばらしい!
無彩色の世界に彩を添える桜の開花と世界を真っ白に変える初雪の頃は、
心ここに在らずの不思議な高揚感がありますね。
銀世界の伊吹山で一人浮かれてラジオ体操するmisaさんの姿がありありと思い浮かべます(笑)
いつか見た、あの日の真っ青な空と煌めく霧氷樹の光景に還っているのでしょうね。
映画「メッセージ」や「ミスターノーバディ」を続けて観たせいで、
時間は一方向へ不可逆的に流れるのではなく、
フラッシュバックするように幾度も行きつ戻りつしているのではないか?
と考えるようになりました。
私には何度も思い返す、一つの光景があります。
10歳くらいの光景です。
時間は循環しながら、そこに戻ってゆくように思えてなりません。
残り少ない時間を考えたら、幸福な妄想です(笑)
それが色んな自然条件への臨機応変な対処法として身についてくる」
思わず手を叩いて頷きました
嘗ての師匠に何故同じ場所に通うのか問いただしたときと同じ答えだから・・・
こちらも天気予報から遅い出発にして新車を走らせたのですが独特の雲が立ち込めて瓶が森はホワイトアウト状態
青空がのぞいたのは10分ほどでしたか
伊吹山でラジオ体操して(笑)
主人の待つ車に戻りました
もう一回走ってみます、歩き足らなくて・・・