tosiyorino_hitorigoto

年寄りの独り言

olpcふたたび

2008年10月28日 | コンピューター
OLPC -Xo のライブCdをみてみた。

ちょっと面白い。

中身はsqueakというプログラムを使っている。昔のsmalltalkであるらしいが、どちらかといえば形はビジュアルベーシック、もっといえばmacのハイパーカードみたいなものだ。子供向きにしたおかげで、つかいにくくなっている。(直接smalltalkでもプログラムできるんだろうが?)

まだまだ発展途上?

windows版もあるし日本語バージョンもある。


squeak 画面




面白いがちょっと難しい。

さすが天才アラン・ケイといえる仕様。



ようこそ、スクイークランドへ!http://squeakland.jp/



民のかまどは賑いにけり

2008年10月24日 | 政治
 仁徳天皇の四年、天皇が難波高津宮から遠くをご覧になられて
 「民のかまどより煙がたちのぼらないのは、貧しくて炊くものがないのではないか。都がこうだから、地方はなおひどいことであろう」
 と仰せられ「向こう三年、税を免ず」と詔(みことのり)されました。

麻生太郎首相が夜な夜な、ホテルのバーやレストランなどに通い詰めていることの是非が、報道を賑わせている。

民がまがいもののビールで我慢を重ねているのに、その窮状をわかろうとすらしない宰相、これで本当にいいのか。

私は戦後の日本が急速に立ち直り、世界第二の大国までなったの要因が三つあると思う。

農地解放、つまり農家が自分の土地を手にいれたこと、農家が農村がゆたかになれた。

財閥解体、資本が分散され、誰にでもチャンスが与えられたこと。

税制、累進課税によってつねに資金が高きから下々まで回るようになった。

考えてみると、これら全部資本主義経済の原則からは離れている。つまりはGHQは、日本を資本主義経済から、社会主義経済に改革したのである。

ところが、自民党はこの10-20年間、民営化、アメリカの圧力と称してこれらを全部逆転してきた。

つまり

土地を値上がりするままにまかせて、プチ財閥をつくり。

大企業を経営統合、合併させて市場から中小企業を追い出し独占化にまかせた。

消費税を導入し、あまつさえ株主優遇税制、相続税を軽減した。

民のかまどは、消えようとしています。100万ー200万円の低所得者層は増え続け、また本当に困っています。

大都会はいいでしょう、日本は本当は農村立国のはず。農村の「じじばば」に首相はなんと話しかけるのでしょうか。農村や田舎町の窮状を国会議員の先生たちはご存じなのでしょうか。

幸い麻生さんは、余裕がおありになるそうなので、まず税制を改正して、累進課税を復活してみてはどうでしょうか。

その上で消費税をなくす。そうすれば、消費は間違いなく拡大します。GNP7-10%増も期待できるかもしれません。

かって地方自治体は競って、高齢者の医療費無料化を進めたものです。このような政策こそ、地方にまかせればいいのです。高齢者が躊躇なく病院にかかれるようになれば、地方の病院の荒廃なぞなかったのです。地方は道路ではなく、健康で住みやすい街を望んでいるのです。

国民は年金を頼りにしています。長いあいだ本当にコツコツと納め続けて、今になってあなたの年金はありませんなどと、保険庁の役人はよくいえたものです。考えてみれば、保険をおさめた記録は、保険庁にしかないのです。自分の手元には残らないのです。おさめた記録は本人にもコピーを渡してください。そしておさめた額に利子分を上乗せして、本人にかえしてもらえればいいのです。戦後ただ乗りして高額な年金をもらった人々については許すことにします。

庶民のこんな願いは、おそらく国会の高みにある方々の目と耳には留まることはないでしょうが、私にも1票ぐらいあるので、覚悟してください。たぶん共産党か、社民党かな。どっちも頼りないんだけど。


















イージス艦事故 海自側「勧告必要ない」

2008年10月22日 | 今日の問題
海上自衛隊のイージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故の原因を究明する海難審判が21日結審したらしい。
清徳丸のお二人のご冥福をお祈りします。

海自がわの主張は、「清徳丸が4時1分過ぎに徐々に右転し、(衝突1分前の)4時6分少し前に加速して右転し、あたごの艦首前方を通過しようとしたのが主因」と述べた。また、横浜地方海難審判所の理事官側が適用したあたご側に回避義務のある海上衝突予防法15条の「横切り船の航法」を否定、「清徳丸が(右転せずに)そのまま進行していれば、あたごの艦尾を無難に通過することができた」として、双方に回避動作を求める「船員の常務」を適用すべきだとした。

改めて言いたい。

「恥を知れ」

軍人なら、海のおとこなら恥を知りなさい。

「衝突1分前に少し前に加速して右転した」? 衝突1分前にはじめて清徳丸に気付いたということでしょう。気付いたのが1分前なら、衝突は回避なぞ出きるはずもありません。気付いていたなら、なにも回避動作をしなくても警笛をならせば、漁船の方で回避してくれるはずです。「清徳丸」が衝突したのは、回避動作もなにも、お二人が船内にいて、なにか作業をしていたか、おそらく居眠りでもしていたのでしょうか。それでも「あたご」側がちゃんと見張りをおこたらず警笛でも鳴らせば起きてきて、衝突事故など起こり得なかったはずなのです。

右転したのが事実なら、二人は船上にいたことになります。海に投げ出されたなら、船員なら少なくとも数時間位は海に浮いていられるからお二人は助かったかもしれません。少なくとも遺体ぐらいは発見されたはず。それが発見されないのは、船の中にいて船と一緒に沈んだ可能性が大きい。

また右転したなら、船体が真っ二つになったのは、どういうことでしょうか。清徳丸の船体をみれば、両方の船の衝突の角度、衝突の速度がどの程度であったかはあきらかでしょう。

また誰かがいってました。レーダーの衝突予防の警告音について、だれも質問も回答もしていない。これがほんとの海難審判?素人がやっているのではない。専門家たちがやっているのだ。原因の究明どころか、嘘っぱちの証言、記録の隠蔽等々もっとまともにやってほしい。

http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/081021/trl0810211929006-n1.htm

イージス艦事故 海自側「勧告必要ない」と求め結審
2008.10.21 19:27




哲学入門

2008年10月22日 | 日記
「哲学に入る門は到る処にある。諸君は、諸君が現実におかれている状況に従って、めいめいその門を見出すことができるであろう。ここに示されたのは哲学に入る多くの門の一つに過ぎぬ。しかし諸君がいかなる門から入るにしても、もし諸君が哲学について未知であるなら、諸君には案内が必要であろう。この書はその一つの案内であろうとするものである。」

三木清の哲学入門の序である。

現在は哲学がない時代、いや今の日本では忘れ去られていると言ってよい。

だが、宗教が堕落し、政治が堕落しきった現代21世紀に必要なのは、本当の人間の生き方人間のための哲学ではないだろうか。

「哲学が何であるかは、誰もすでに何等か知っている。もし全く知らないならば、ひとは哲学を求めることもしないであろう。或る意味においてすべての人間は哲学者である。言い換えると、哲学は現実の中から生れる。そしてそこが哲学の元来の出発点であり、哲学は現実から出立するのである。」

哲学がなんなのかさえ知らない。哲学を求めることさえしない人々の群れ。

 「ところで現実というとき、先ず考えられるのは我々の生活である。この現実を顧みて知られることは、我々が世界の中で生活しているということである。我々がそこにいて、そこで働くこの世界は、環境と呼ばれている。環境というと普通に先ず自然が考えられるが、自然のみでなく社会もまた我々の環境である。むしろ我々がそこにある世界は何よりも世の中或いは世間である。「世界」という言葉はもと自然的対象界でなく人間の世界を意味した。環境は我々に近いものであるとすれば、人間にとって人間よりも近いものはなく、環境は我々に遠いものであるとすれば、人間にとって人間よりも遠いものはない。 人間と環境とは、人間は環境から働きかけられ逆に人間が環境に働きかけるという関係に立っている。我々は我々の住む土地、そこに分布された動植物、太陽、水、空気等から絶えず影響される。人間は環境から作られるのである。他方我々はその土地を耕し、その植物を栽培し、動物を飼育し、或いは河に堤防を築き、山にトンネルを通ずる。人間が環境を作るのである。即ち人間と環境とは、人間は環境から作られ逆に人間が環境を作るという関係に立っている。この関係は人間と自然との間にばかりでなく、人間と社会との間にも同様に存在している。社会は我々に働きかけて我々を変化すると共に我々は社会に働きかけて社会を変化する。人間は社会から作られ逆に人間が社会を作るのである。」

われわれは、どのような環境を作ってきたのか。破壊しかしてこなかったのではないのか。

ものをものとして見ることしかできぬ人間に支配されることの不幸からいつ脱却できるのであろうか。

人間はマネーゲームを、戦争を、いつ止めるられるのだろうか。

悪漢顔 善人顔

2008年10月06日 | 今日の問題
今年は悪漢顔が主流らしい。
失礼ながら善人ぶった悪漢顔にしかみえない宮崎方面のかたも連日ニュースになっています。私は政治家の顔のことを言っているのであって、内面的なことを云々しているわけではありません。政治家は、外交交渉、国会運営、料亭接待等タフで、一面腹黒さも必要でしょう。思えば前回、前々回と早々と辞職された方々、今回引退を発表された方は、善人顔でした。国民は元気はつらつ!、男はタフでなければ、と思っているのでしょうか。選挙がまたれています。

OLPC 一人の子供に一台のラップトップ

2008年10月02日 | 今日の問題
アメリカのMITで主導で、100ドルパソコンが、売られるらしい。実際に昨年末にキャンペーンで、1台を買えばもう一台を発展途上国の子供に贈るという販売方法がとられたらしい。(実際には199+199ドル?)

ホームページをみるとなかなかかわいい、誰もが欲しくなるようなデザインである。

実際には、当初の目標だった100ドルという価格を達成できず199ドルとなっているが、クロック数366MHzだったCPUはAMD Geode LX-700(433MHz)に、メモリは128MBから256MBに、ストレージのフラッシュメモリは512MBから1GBへと、その機能を大幅にアップしているらしい。

インテルや、MSの協力が得られないため、eePCとは違って、OSはFreeのソフトを使うため、LINUXになるらしい。そのための教育的プログラムの作成プロジェクトがたちあがっている。

CPUのスピードが遅いのメモリが少ないのは、低電力におさえるためらしい。いくらWindowsよりは早いとはいえちょっと遅いかも。そのかわり、先進的なインターフェースになっているらしい。(全部らしいだ、早く実物をみてみたい。)


http://ja.wikipedia.org/wiki/OLPC

ネグロポンテは、2005年11月16日にチュニジアのチュニスで行われた世界情報社会サミットの第2フェーズにおいて、ノートPCの2つのプロトタイプを発表した。一つは動作しない形だけのモデルで、もう一つは外部の基板とキーボードを使用した未完成版であった。発表された機器は、一般的な基板を使用した荒削りなプロトタイプだった。ネグロポンテは、ディスプレイだけは三ヶ月以上の開発を要すると見積もった。動作する最初のプロトタイプのデモは、2006年5月23日に開催されたCountry Task Force Meetingで行われた。製品版では、同じサイズの個体に、より大きなディスプレイが搭載されると期待されている。ノートPCの出荷は、2006年終わりから2007初めの予定。



http://wiki.laptop.org/go/The_OLPC_Wiki/lang-ja

One Laptop per Childは、世界の子供たちの教育方法に革命をもたらすため、低価格のノートパソコン ―「XOノートパソコン」― を開発しています。私たちのゴールは世界中の子供たちに探求や経験、自己表現の機会を提供することです。

なぜ発展途上国の子供たちにノートパソコンが必要なのでしょうか。ノートパソコンは、世界に開かれた窓であり、考えるための道具です。これらは、自由な交流と探索を通じて、子供たちが学ぶことを学ぶためのすばらしい方法です。