毎日社説の1月6日朝刊の記事にアテネの民主制を思い出した。
東京・日比谷公園の「年越し派遣村」に男性(55)がたどり着いたのは年明けの2日。それまでの3日間、上野公園で野宿したが、新聞で村のことを知った。群馬県の自動車部品工場の期間従業員だったが、昨年10月に景気悪化を理由に突然契約を切られ、職を探しに上京した。
「テントで寝ることができ、1日3食。本当にありがたい。人間の温かさを感じました」。男性は5日、村の撤収とともに次の宿泊場所となる東京都の施設に移動した。そこで新たな仕事探しを始める。「地方にもこうした動きが広がってほしい」と男性は願う。
アテネは市民による民主制をとっていたが、それは市民の下にいる奴隷によって支えられていた。
今の日本は30%以上の非正規雇用社員がいるという。それは雇用主にとっては社員ではなくいつでも首をきれる存在。彼らは生殺与奪を雇用主ににぎられている。それは奴隷制度そのものではないのか。いや奴隷なら生きるための食糧と屋根の下で眠るだけは保障されていただろう。彼らはそれさえ保障されていない奴隷以下の存在なのか。
トヨタグループは、経常利益を大幅に伸ばし内部留保(隠し利益)は、〇七年度は十三兆九千億円と増やしています。非正社員の汗と涙で積み増しした内部留保です。
雇用主という貴族と、正規雇用という市民、そして非正規雇用という奴隷制度を日本国が採用し、この空前の利益を上げている大企業、金融機関。あまりに悲しい現実です。
アテネで選挙権を持っていたのは市民たちだけでした。市民にとっての悲劇は流されていく先に滝がせまっていることが分かっていながら選挙権が行使できず何もしない、出来ないことです。
日本の今の状態を古代ギリシャでは僭主制といいます。しかもこのアテネでは僭主になるおそれのある者の名を陶片に記し、投票数が一定数を超えた場合、その人物に国外追放が言い渡されたという。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3250.html
このグラフは日本の現状のうすら寒さを如実に表している。
高齢者の非正規率、女性の非正規率。これらの人たちは企業の採算次第では明日にでも首を切られる人たちなのです。