tosiyorino_hitorigoto

年寄りの独り言

第五福竜丸

2013年03月22日 | 原発再稼動

第五福竜丸とは、1954年3月1日に、アメリカ軍が太平洋上のビキニ環礁でおこなった水素爆弾実験によって発生した多量の放射性降下物(いわゆる死の灰)を浴びた、遠洋マグロ漁船の船名である。

第五福竜丸は米国が設定した危険水域の外で操業していた。危険を察知して海域からの脱出を図ったが、延縄の収容に時間がかかり、数時間に渡って放射 性降下物の降灰を受け続けることとなり、第五福竜丸の船員23名は全員被爆した。後に米国は危険水域を拡大、第五福竜丸以外にも危険区域内で多くの漁船が 操業していたことが明らかとなった。この水爆実験で放射性降下物を浴びた漁船は数百隻にのぼるとみられ、被爆者は2万人を越えるとみられている。(詳しくはWikiで)

第五福竜丸の無線長だった久保山愛吉がこの半年後の9月23日に死亡した。

NHKニュース 1954年(youtube) (※もう著作権ぎれだと思うが?)

新藤兼人監督、宇野重吉主演の映画「第五福竜丸」もつくられる。

だがこの大騒ぎにもかかわらず後に米国は被爆国への「平和利用」名目で原発導入をはかる。

原子力時代の死角ー核と日本人 原発導入の源流

この原発の平和利用と称するキャンペーンには某新聞の社主が大いに関わったとされる。

原発・正力・CIA 機密文書で読む昭和裏面史

 

 

 


最新の画像もっと見る