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ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー
第八章 : たくさんの「本物」をみること/その7
陶芸の美術館は少ないが、長野県の松代城跡にあった版画家の 「池田満寿夫美術館」 が印象に残っている。モダンな建物で、満寿夫さんの陶芸作品がたくさん飾られていた。数年前に閉館されたようで残念だ。版画家であるが小説を書いたりマルチな才能の持ち主として、その時代の寵児であった。
陶芸作品も自由奔放な魅力的なものだった。土の塊りから土の素材感を生かした創作作品は見事なものだった。自由奔放な作品だったが、版画で基礎が出来てるので、美的な造形力が感じられた。作陶してるところを掲載してる陶芸雑誌を持ってるので、その写真をアップしよう。
私は、このような奔放な創作作品づくりに憧れていたのだが、こういう才気煥発な作品を観てからというもの、まずは、基本を知ることが必要だなと思うようになった。
陶芸の基本である食器づくりからやり直してみようという気持ちになってきたのである。そして、作陶の基本を教える教室や、参考書が少ないように思えたので、陶芸を始める人に、作陶の基本を教えたい、伝えたいという思いが次第に強くなってきた。
そのうちに、大分で陶芸教室を開くことを構想するようになった。大分の実家と継母の面倒を看なければならないので、帰省することにしてたのである。
実家は、高床式の造りになっていた。祖父の頃は小城羊羹をつくっていて、敷地も今の4倍くらいあった。かなり広かった。柱なども太く、コの字型になっていて、中庭もあり、商人家のような古民家風な二階建ての家だった。母屋を親父が相続し、叔母3人に土地が分与されている。親父は、要職を退いて大分に帰省する時に、古くなった家を建て替えたのである。昔は、近くを流れる住吉川という小さな川が氾濫して洪水になることがあった。それで、家を建て替える際に、高床式の平屋造りにしたのである。そんなことで1階のスペースが空いていた。1階は納戸と駐車場になっていた。この1階のスペースを陶芸教室に改造することにしたのである。
陶芸そのものも、家内がやってみたいと言ったことで、たまたま始めたことである。教室を開きたいと思うようになった時に、実家の1階のスペースが空いていることに気付いた。不思議に何かに導かれて来たような気がする。私は面倒くさがりやの体質だが、やらねばならないことは真面目に取り組んできた。高校時代に下宿させてもらった頃から 「親父に申し訳ないという気持ち」 が強くなっていた。
高校を卒業する時には、親父と親父の取引先の社長の二人から、タバコは絶対に吸うなと言われた。それも守ってきた。親父はヘビースモーカーで酒豪だった。私は体が細かったこともあり忠告を守れたのかもしれない。親父の忠告が効いているのか、二人の息子もタバコは吸わない。娘も吸わない。
大分に転居する時は、車で東京から瀬戸内海の大橋をわたり四国まわりで大分まで走った。途中の倉敷では、イタリア、スイス、フランス旅行で知り合った人のお家に一泊お世話になった。
翌日は、「備前焼」 の窯業地を訪ねた。備前焼のお店の女性オーナーが 「備前焼の徳利に、二級酒を入れておくと、一級酒になるんですよ」 と言っていた。備前土に関する学術書にも、備前土は遠赤外線を出すと記されていた。遠赤外線の効果なのだろう。
四国へは、尾道・今治ルート (瀬戸内しまなみ海道) で大橋を渡った。そして、愛媛県の佐田岬からフェリーで大分に着いた。車の走行距離は約 1,000kmであった。
東京~四国~大分間は車で二回往復している。二度目は児島の鷲羽山にあるホテルで一泊した。瀬戸内海の夜景が美しかった。翌日は児島・坂出ルート (瀬戸大橋) で愛媛・松山に入り、磁器の 「砥部焼(とべやき)」 の窯元めぐりをした。3,4軒ほど回った。一番大きな窯元 ・ 梅野製陶所では工場内を見学することができた。ドンブリを機械で大量生産していた。参考になった。
砥部焼きは、磁器でありながら、口縁も胴体も分厚く重たいのだが、手取り感がいい。器にはシンプルな唐草模様が描かれている。親しみを感じる普段使いの器である。ここではバーゲン品の小皿や中鉢を買った。今もよく使っている。厚くて重いのだが使い勝手がいい。飽きが来ない。
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↑↑ 励ましのクリックをしてあげてね!! にほんブログ村 陶芸ランキングでは2位、もう一つの陶芸ランキングでは4位です。
☆ 教室案内 : https://blog.goo.ne.jp/asuka1
☆ 自費出版 : 『生活にうるおいを与える食器づくり』
こういう本があるといい。こういう本が欲しかった。残りは5,6部。
ー 「陶芸」 が教えてくれる 15 のしあわせ ー
第八章 : たくさんの「本物」をみること/その7
陶芸の美術館は少ないが、長野県の松代城跡にあった版画家の 「池田満寿夫美術館」 が印象に残っている。モダンな建物で、満寿夫さんの陶芸作品がたくさん飾られていた。数年前に閉館されたようで残念だ。版画家であるが小説を書いたりマルチな才能の持ち主として、その時代の寵児であった。
陶芸作品も自由奔放な魅力的なものだった。土の塊りから土の素材感を生かした創作作品は見事なものだった。自由奔放な作品だったが、版画で基礎が出来てるので、美的な造形力が感じられた。作陶してるところを掲載してる陶芸雑誌を持ってるので、その写真をアップしよう。
私は、このような奔放な創作作品づくりに憧れていたのだが、こういう才気煥発な作品を観てからというもの、まずは、基本を知ることが必要だなと思うようになった。
陶芸の基本である食器づくりからやり直してみようという気持ちになってきたのである。そして、作陶の基本を教える教室や、参考書が少ないように思えたので、陶芸を始める人に、作陶の基本を教えたい、伝えたいという思いが次第に強くなってきた。
そのうちに、大分で陶芸教室を開くことを構想するようになった。大分の実家と継母の面倒を看なければならないので、帰省することにしてたのである。
実家は、高床式の造りになっていた。祖父の頃は小城羊羹をつくっていて、敷地も今の4倍くらいあった。かなり広かった。柱なども太く、コの字型になっていて、中庭もあり、商人家のような古民家風な二階建ての家だった。母屋を親父が相続し、叔母3人に土地が分与されている。親父は、要職を退いて大分に帰省する時に、古くなった家を建て替えたのである。昔は、近くを流れる住吉川という小さな川が氾濫して洪水になることがあった。それで、家を建て替える際に、高床式の平屋造りにしたのである。そんなことで1階のスペースが空いていた。1階は納戸と駐車場になっていた。この1階のスペースを陶芸教室に改造することにしたのである。
陶芸そのものも、家内がやってみたいと言ったことで、たまたま始めたことである。教室を開きたいと思うようになった時に、実家の1階のスペースが空いていることに気付いた。不思議に何かに導かれて来たような気がする。私は面倒くさがりやの体質だが、やらねばならないことは真面目に取り組んできた。高校時代に下宿させてもらった頃から 「親父に申し訳ないという気持ち」 が強くなっていた。
高校を卒業する時には、親父と親父の取引先の社長の二人から、タバコは絶対に吸うなと言われた。それも守ってきた。親父はヘビースモーカーで酒豪だった。私は体が細かったこともあり忠告を守れたのかもしれない。親父の忠告が効いているのか、二人の息子もタバコは吸わない。娘も吸わない。
大分に転居する時は、車で東京から瀬戸内海の大橋をわたり四国まわりで大分まで走った。途中の倉敷では、イタリア、スイス、フランス旅行で知り合った人のお家に一泊お世話になった。
翌日は、「備前焼」 の窯業地を訪ねた。備前焼のお店の女性オーナーが 「備前焼の徳利に、二級酒を入れておくと、一級酒になるんですよ」 と言っていた。備前土に関する学術書にも、備前土は遠赤外線を出すと記されていた。遠赤外線の効果なのだろう。
四国へは、尾道・今治ルート (瀬戸内しまなみ海道) で大橋を渡った。そして、愛媛県の佐田岬からフェリーで大分に着いた。車の走行距離は約 1,000kmであった。
東京~四国~大分間は車で二回往復している。二度目は児島の鷲羽山にあるホテルで一泊した。瀬戸内海の夜景が美しかった。翌日は児島・坂出ルート (瀬戸大橋) で愛媛・松山に入り、磁器の 「砥部焼(とべやき)」 の窯元めぐりをした。3,4軒ほど回った。一番大きな窯元 ・ 梅野製陶所では工場内を見学することができた。ドンブリを機械で大量生産していた。参考になった。
砥部焼きは、磁器でありながら、口縁も胴体も分厚く重たいのだが、手取り感がいい。器にはシンプルな唐草模様が描かれている。親しみを感じる普段使いの器である。ここではバーゲン品の小皿や中鉢を買った。今もよく使っている。厚くて重いのだが使い勝手がいい。飽きが来ない。
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大分市内にある数少ない 陶芸教室 「夢工房あすか」 です。
意外にも近くにあるのに気付かない人たちが多いですが、
下記の教室案内をご覧下さい。陶芸を基礎からコツコツと学ぼ~う。
電動ろくろもスムーズに習得できます。
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☆ 教室案内 : https://blog.goo.ne.jp/asuka1
☆ 自費出版 : 『生活にうるおいを与える食器づくり』
こういう本があるといい。こういう本が欲しかった。残りは5,6部。