思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

ハンドルネーム

2005年07月19日 | Weblog
ハンドルネームを決めた。
「天道(てんとう)」
天の道と言うとすこし大げさだが、天道虫とも通じる。
あるサイトの姐さんが、名付け親。
姐さんの何人目かの弟子になった。弟子の頭文字にはすべて「天」が付いてるみたいだ。

遊びに、付き合ってる。

アスベスト 石綿

2005年07月18日 | Weblog
アスベストの吸引による癌の死亡事例が急激に脚光を浴びてきた。
吸引後の発病までの潜伏期間が20~40年と長い。しかも自分が吸引したかどうかも分からない。発病の引き金になる吸引の量も定かでない。
しかもアスベストは空気中に飛散しどこまでも飛んでいく。

過去建材として大量に使用され、それらの建物が大量に解体される時期が近いという。
これから大量のアスベストの飛散が懸念される。
一体一般庶民はどうすればいいのか。
過去10数年前に、人体への危険が世界中で問題になった時期に、日本でも建材への使用を禁止する法案が作られたにもかかわらず、建設業界が国会議員に働きかけて廃案にされていた。

人命よりも資本の利益が優先された。
こういうニュースに出会うたびに腹が立つ。
健康で文化的な生活を送る権利はどのように保証されているのだろうか。

自殺者は3万人以上の高水準が続いているとか。
10人に1人は自殺を考えたことがあるし更に何人かは現実に実行行動をしたとか、アンケート結果が出ている。その傾向は30代後半から40代前半の女性が多いのは分かるような気もする。

人間性を無視した利益優先の経済優先社会がもたらした後遺症だろうか。
日本社会はまだまだ大人になれない状況が続いているような気がする。

今日は祭日?

2005年07月18日 | Weblog
曜日の感覚が次第に薄れていっている。
特に祭日が忘れやすい。
車でいける床屋に行ってきたが、家を出た途端に、月曜日なのに道が混んでないなぁと思いながら運転しつつ、待てよ、月曜日は床屋休みかなと思ったが幸いにして営業していた。
今、今日は祭日と気がついた。先日作った日程表を画面で見て分かった。

先日あるカラオケグループの発表会に女房の関係で参加した。女房は司会も兼ねている元気おばさん。
そのビデオが送られてきたが、それを見ていて感じた。
自分の老いは確実に進行している。頭頂部の禿げ具合のことだ。
いつも正面からしか見ていないから、「まだまだっ」と思っていたが、照明があらゆる方向からあたると目立つなあ。最初のお辞儀でまずしっかり頭頂部認識、短髪にしたけど少し伸び始めると禿の回りがしょぼしょぼと毛が生えてかえって禿が目立つ。
それで床屋に行こうと思い立った。

何だ、禿を気にしてどうなる、というなかれ。
やはり老いの象徴だ。

バスツアー当たり外れ

2005年07月17日 | Weblog
昨日京都に行ってきた。バスツアーに参加。もひとつだった。
京都高尾の川床料理、はも料理、涼しいはずが涼しくない。確かに「はも」はあったがお粗末。
高地にあるので3~5度は涼しいときいたが、35度から5度低くても30度、やはり暑い。
鞍馬寺、ケーブルカーで暑い待合室で散々待たされた。
3連休の初日とかで混雑、休日は関係ない身だから曜日の選択誤り。
四条通りの祇園祭宵山は10年ぶり。人ごみを見に行ったようなもの。自由時間の2時間半ほど、人並みに押されながら歩いてきた。
京都の夏は腹が立つほど蒸し暑い。

京都は紅葉の季節が一番よろしい。
暑がりの汗かきは祇園祭なんか見に行くもんじゃない。

今回のバスツアーはハズレ。


酩酊状態

2005年07月14日 | Weblog
焼酎のオンザロック1杯で酩酊状態。
独りで飲む酒は早く酔いが回ってくる。
グラスの中は氷だけ残った。
アルコールを注ぎ足すのも面倒になった。

酔いが醒めないうちに眠りにつこう。
おやすみ。

監視社会

2005年07月14日 | Weblog
ロンドンテロの実行犯4人が、張り巡らされた監視カメラの追求によって特定された。
それ自体は正しいことかもしれないが、何かしら監視社会の恐ろしさを予感させられる。

我々個人の行動もその気になれば監視カメラで特定される。
UEのテロ対策会議でも、個人のメール・電話の記録を一定期間保管することを義務付ける云々のことが検討されているみたいだ。
そんなことが悪用されるようにならないとは保障できない。

会社時代の携帯電話の通話先一覧表を思い出す。
携帯電話を会社が貸与し、使用は業務連絡に限定。不正使用を防止するため通話先の詳細一覧を請求書に添付してもらっていた。
当然不正使用のオンパレード、自宅に何度も私用電話する、業務に関係ない相手と長話、そんなことが通話先一覧から判明する。
パソコンのメールも監視している会社がある。私的なラブラブ会話もすぐばれる。

国家がその気になれば国民の監視体制を強化することが可能になる。
・全員の指紋と顔写真を登録管理する。
・住民基本台帳の登録管理
・自営業の所得の把握体制(サラリーマンはすでに管理されている)
・個人の一生の履歴をコンピューター管理する
 (犯罪暦、家族構成、結婚離婚、思想傾向、病歴、学歴、職業暦)

科学技術とコンピューターの進化によって、国民の隅々まで管理することが可能な時代になった。
監視社会には生きたくはない。
そうならないことを望みたい。








女のおしゃべり

2005年07月14日 | Weblog
男より女のほうがはるかにおしゃべりだ。
女房を見ていてもそう思う。特に女房は。
見知らぬ人でも臆せず話しかけるし、話題はどんどん発展して、見知らぬ人故か互いの秘密まで話してしまう様子。
打ち合わせが終わって帰った後もまた電話して長々と裏話を続ける。
非難し慰めあい愚痴を聞いてもらい聞いてあげる。
突然寡黙になったと思ったら、差し歯が外れていたという笑い話までついている。

先日、朝1時間ほど出かけたが、エレベーターの前で数人のヤンママが話し込んでいる。多分近所の小学校に通う子供の母親だろう。
1時間後に用事を済ませて帰ってきたら、同じ姿勢でまだ話し込んでいる。
公園デビューなんて言葉もあるから、おしゃべり社会に飛び込んでいくのも結構大変なことなのかもしれない。

このようにして女はいろんな人生をおしゃべりを通じて同時体験する。
たいていは体験を話合っているだろうから。
おしゃべりによって人生経験が豊富になる。社会性も増す。いろんな人の経験を踏まえて並大抵のことではへこたれなくなる。
危機への対処法も学ぶ。
アメーバのように群れを成して生きているような感じを受ける。

しかし、おしゃべりは所詮アメーバの世界という感じも受ける。
黒柳徹子級になると人生のそれなりの裏づけがあって感ずるところもあるが。




有無を言わさずに

2005年07月14日 | Weblog
最近は、人生を左右するような決断を迫られることもなくなった。
妻が勝手に旅行先を決めて、「一緒に行くの? 行かないの?」と有無を言わさぬ決断を迫るくらいか。答えは「一緒に行きます」に決まっているが。

元来保守的で、現状に甘んじたい性格の私でも、人生の節目には有無を言わさぬ決断を迫られる事柄は多かった。
若い時、臆病で小心者の私は大きな決断の前では、いつもストレスで震えていた。
間違った決断もあったが、後悔はしていない。
人に押し付けられたものではなく、自分が選んだ決断として受け入れてきた。
1度や2度間違っても、何度でもやり直しは利く。
やり直しが利かない間違いもあるが、それはそれで心にしまっておけばいい。

人生は選択と決断の連続とも言える。
実際は今この瞬間にでも選択と決断を迫られている。
大きな目標を持つならば、今何をしなければいけないか、それをやっているか、
こうして書いていること自体が自分で選んだ選択の結果である。

信じてベストを尽くした決断なら後悔することもない。





監視カメラ

2005年07月12日 | Weblog
今朝の新聞で読んだ。
イギリスは国中を300万個の監視カメラで覆われている。
特にロンドンは市民が外出すれば平均300回監視カメラに撮影されるらしい。
北アイルランドの長いテロの歴史があり、テロ対策として個人のプライバシーよりもテロ防衛を優先してきたとか。

1日300回撮影された映像を丹念に結合すれば個人の1日の行動はだいたい辿れるだろう。
浮気調査もその気になれば出来る。
しかし、犯罪者はそういう監視体制を知っていれば裏をかく行動をする。
今回のテロは世界に誇るテロ防衛体制をあざ笑いながら実行された。
プライバシーを犠牲にして構築された防衛策は何の役にも立たなかった。

私が住んでいるマンションもエレベータ内に監視カメラが設置された。エレベーターの壁面とか階の表示部分にイタズラ書きしたり傷つけたりする行為を防止するためということであった。
管理人室のモニターテレビに常時写っているのが見える。
エレベーターに1人の時は、思わず誰にも見られていないはずの行動をしたりするが、ハッと監視カメラのことを思い出して見られているんだという意識が蘇える。

それが近未来なのかと思うと嫌な感じに捉われる。
個人の住居内までは監視できないだろうが、家を1歩出れば監視カメラに監視されながら生活することになったら耐えられないだろう。
行動様式も変化するに違いない。見られたくない行動はとらない。見られても良い行動しかとらない、そんな行動パターンになる。

自由に笑ったり泣いたりも出来なくなる。
人に知られたくない密かな行動も出来なくなる。
そんな監視社会は来ないことを祈りたい。

動物番組

2005年07月11日 | Weblog
テレビの動物を扱った番組を良く見る。
テーマは生命の不思議さだ。

生物に仕組まれている生命の循環維持装置みたいなもの。
卵を産み温めて、孵った生命に餌を与えて育てるその方法の多様さ。
一定の期間が経てば固体は消滅するが、生命を延々とつないでゆくための仕組まれた営み。

生命の輪廻を見ていると、どうしても神に近い概念に行き当たるような気がする。
生命をつないでゆく行為は全ての生命が持っているが、何故そうできるのかの説明はつかない。
生命の根源を科学が解き明かす日は永遠に来ないような気がする。

生命はどうして始まったのか、これを思い始めると眠れなくなるなる変なやつです。