思いつくまま感じるまま。

身辺雑記です。
何でもありの記録
HN天道(てんとう)

秋めく

2006年09月20日 | Weblog
夜が涼しくなった。
お、虫の音か、と思ったが空耳だった。
パソコンが発するかすかな電子音だった。

演劇の台詞を覚えなければならない。
大して長台詞でもないが一向に暗誦できない。
早く覚えてしまわないと皆に迷惑をかけることになる。
特に自分にとってしっくり来ない台詞は覚えられない。
この状況でこんなことを言うだろうか、と疑問符が頭をよぎるとますます記憶のメカニズムが働かなくなる。

創作劇だし、この台本を書いた男が若い男で顔も知っている。
もう少し真実の台詞を書け、と思ったりしてますますいけない。

私自身も素人の大根役者であることは間違いないから、大きな口をたたいてないでとにかく早く覚えてしまえと自分に言い聞かせている。

何が幸せか

2006年09月19日 | Weblog
確かに人の一生は短い。
そして必ず死ぬように定められている。
どんな生き方をすれば後悔しないで死ねるだろうか。

好きなことに没頭して生きることが多分一番幸せな生き方ではないだろうか。
夢中になって時間をすごす。
気がついたらエネルギーを使い果たして死んでいた、それが一番いい。

そんな風に生きれたら
人生の意味など考えることもない。
卑下したり嫉妬したり喧嘩する必要もない。
ただひたすら生きていることさえも忘れて、したがってやがて死ぬことも忘れてただ夢中に生きる。
そんな生き方をした人は過去にもたくさんいたような気がする。

だから自分もそんな風に生きた見たらいいじゃないかと思ったりする。

飲酒運転

2006年09月15日 | Weblog
私、飲酒運転を時々やります。
車で外食したときビール1本飲んでも自分では酔ってなんかいないと勝手に思い込みます。
運転しても平常となんら変わらない感じです。

昔地方にいた時ヘロヘロに酔って運転して帰った記憶があります。
さすがにその時は車が左右に揺れていたような感じでした。
そのときもヤバイと思いましたが無事に帰り着きました。

最近は酒場でも「飲んだら乗らない」ということが話題になります。
何10万円もの罰金を払うのは阿呆らしいという理由です。
車できても帰りはタクシーという人が増えました。

最近とんでもない場所で飲酒運転の検問にぶつかります。
幸い無事に済んでおりますが。

今度の日曜日、おばあちゃんを含んで食事会があります。
この店で食事したときはコップ1杯の生ビールを飲んでも運転して帰ってました。
同乗者も注意はしません。
しかし、今回は検問に合う嫌な予感がします。
従って飲むのは止めとこうと思います。

というように飲酒運転する人は、飲んでも大丈夫という独りよがりの倫理観欠如の人間が多いです。
少しでも飲んだら運動神経・反射神経が鈍るのは実験でも証明されています。
ちょっとした油断で人を轢き殺す事故を起こさない保証はありません。
それに日本人はアルコールの分解能力が最も弱い国民だと聞きます。
日本酒をビールのように飲んで平気なアメリカ人を見たりすると痛切にそう感じます。

ということで今後運転するときは絶対飲まないと決めました。
加齢による運動神経の衰えもあるだろしね。
最近の飲酒運転ひき逃げ事件をニュースで見るたびに腹立たしくなります。
逃げないまでも絶対にその当事者にはなりたくないしね。
被害者とその家族の悲しみと怒りは償いようがない。


困った男

2006年09月14日 | Weblog
ミラーマン植草教授が今度は電車内で女子高生のお尻を触って逮捕されたそうだ。
何と今年から名古屋の某大学の客員教授として勤務していたという。

懲りない方です。
東大卒のエリート経済学者、「国家の経済戦略」と題する講義を行っているとか。
まだ45歳。
それにしてもまだ教壇に迎える学校もあるんだろうか。
もう無理でしょうね。

ビョーキとはいえ気の毒な方です。

介護問題

2006年09月14日 | Weblog
昨日の演劇サークルで聞いた話。

練習用に書いたという寸劇が紹介された。
バリバリのOLが、16年間音信普通だった母親が「私を助けて!」と現れる。脳腫瘍で完治の見通しはなく手術しても半身不随は免れないという。
仕事か母親の介護かという問題だ。

そして、それを聞いた「43歳独身」と公言していた彼女が語る。

私は年老いた両親の元に生まれました。
ひとりっ子です。
子供の頃から両親の面倒を見るのが当然のように育てられました。
父親は88歳で癌で亡くなりました。
父の入院中も、母親が大腿骨壊死の病気だったため歩けないのですべて私が面倒を見ました。
その母も少し前に亡くなりました。

その後に演劇に興味を持ちましたが、内気なために人前で演技することは考えもしませんでした。
インターネットのチャットで演劇の台本を読み合うサイトを見つけてしばらくそれを続けていました。
(彼女がひとり練習したという「外郎売り」の台詞は見事)
そして今回みんなと演劇に参加できて大変幸せです。
恋人もできました。
演劇のチャットで知り合った○○市に住んでいる人で今度会います。

彼女は自転車で40分のところから演劇に参加している。
雨の日も来るけど自転車は大変だろうと思う。

なぜか、彼女絶対に幸せになってほしいな、と思ってしまう。

環境問題

2006年09月14日 | Weblog
今日の新聞を見てギョッとするような記事が出ていた。

現在CO2二酸化炭素、つまり炭酸ガスが地表に増え続けて地球の温暖化をもたらしているといわれている。
極地の氷が解け続けている。
北欧でも氷河が少しずつ崩落している現場も見てきた。
我々が住む地域も年々気温が上昇していることを肌で感じる。
それに伴って動植物にも変化が進行している。絶滅種の増加などだ。

その炭酸ガスは文明の進歩と歩を同じくしてこの100年急激に増加し続けている。
今日の新聞記事は
人為的に炭酸ガスを凝縮して海底に貯留する技術が可能で検討段階に入っているのだそうだ。
しかも大量の炭酸ガスを貯留することが可能で現段階でも今後80年間に排出する炭酸ガスに相当するものを海底地下に封じこめることが技術的に可能とか。
それは殆ど地表に漏れ出す可能性はないという。

すでにアメリカでは油田から石油を搾り出すために炭酸ガスを地下に注入する技術が採用されているという。

なんだかひとつ間違えれば大変な事態を引き起こしそうな気がしてしまう。
今、大量に石油を中心とする化石燃料を燃やし続けてこの文明は成り立っている。
環境問題を捉えるとき、いかにして排出する炭酸ガスを減らそうかということが大きな問題のひとつだった。

今度は増えすぎた炭酸ガスを海底地下に封じ込めてしまおう、というわけだ。
科学技術で大気の成分を変えてしまおうということだ。
それによって炭酸ガス何するものぞ、どんどん燃やしても大丈夫ということにもなりかねない。
炭酸ガス排出削減の問題も飛んでしまいそうだ。

しかし、大量に海底に貯留した炭酸ガスが100年後に地表に一挙に噴出さないと断言はできない。そのとき地球は?、と考えてしまう。

本当に科学技術で自然環境、大気の成分まで地球規模でコントロールできるのだろうか。
人類生存の瀬戸際に迫る事態が近づきつつあるような気がする、と考えるのは過剰反応だろうか。

娼婦

2006年09月14日 | Weblog
世界で最も古い職業のひとつとされる娼婦。
ヨーロッパの鼻の下の長い男は、日本でよく勘違いするらしい。

今日の新聞を読んでいてある40代の女性が投稿していた。
それによると
ヨーロッパでは女性は電車の中で決して化粧したりしないという。
それをやるのは唯一娼婦で「私を買って」と電車内でアピールしていることになるのだそうだ。
そして、電車内でそれを現実に見たそうです。
日本で電車で化粧している女の子に外人男性が「How much?」と声をかけているのを目撃したそうです。
また電車で化粧していた女性が、電車を降りてから彼女について降りた外人男性からしつこく迫られたという話も何度か聞いたといいます。彼も娼婦と勘違いしていたんですね。

気をつけないといけませんね。
娼婦と思われるんですね。
特にお年は召した女性は要注意ですね。
「安く買えそうだ」なんて思われたりしますよね。

些細なこと

2006年09月10日 | Weblog
今日は「第9」の合唱のレッスン日。
梅田の駅を降りたら大雨、地下道に潜り込んだ。
女房は梅田の地下街が苦手である。方向が分からなくなるらしい。

何とか会場について練習が始まり、1時間後に10分ほどの休憩。
この休憩時間はタバコを1本喫うことに決めている。
入り口の外に灰皿のついた喫煙ボックスが2つある。

胸のポケットに手をやると「あれ、ない」、マイルドセブンがポケットにない。
百円ライターだけがポケットに入っている。
家を出るときポケットに入れたつもりが入れてなかったのかと諦めかけた。

いやまて、さっき会場に入る前に間違いなく1本喫ったぞ。
であれば、その後ポケットではなくカバンにしまったのかと思い直してカバンの中を調べても、ない。

そう思うと無性にその1本がすいたくなる。
結局何かの弾みで胸のポケットからポロリと落ちたとしか考えられない。
思えばあのタバコ確か2本か3本しか吸ってないから大部分は残っていたはずだ。
1箱300円もするのに、悔しい。

出入り口付近を落ちてないかウロウロしてみる。
受付のお姉さんがいる辺りに落し物として届けられてないだろかと見てみるがそれらしいものはない。
「タバコの落し物、届けでありせんか」と聞く勇気もない。

結局我慢した。
なんだか俺の人生に似ているな。
そんな人生を送ってきたような気がする。

無駄な抵抗

2006年09月08日 | Weblog
ベランダの植物に水をやる。
太陽の光がさす。
生命が躍動し始めるような感じを受ける。

生命の源は光と水にあるような気がする。
光とはいったい何なのか、水とは何なのか。
そしたまた大気とは。
生命は地球という環境にのみほんのつかの間滞在している偶然かもしれない。

エネルギーとか重力とか、時間とか、突き詰めて考えると永遠の謎の迷路に迷い込むような気がする。

無駄な抵抗に似ている。