本論:復興予算は、被災住民とコンクリート族の取り合いである。
被災者は、今、2年後の仮設住宅後の住まいのことを考えているとおもわれていますが、実際は、今すぐ仮設を出るか、いつまで仮設に残るか、日々考えている事でしょう。それほど<住い>の問題は身近で、せっぱつまって、先が見えていない状態がつづいています。ほかの人も同じだと思います。
仕事の事や、商売の事、また、例えば、犠牲者の慰霊や離れて暮らす家族の事など、だれもが問題を抱えているようです。しかし、被災者は、今は、自分たちの住宅の事以外のことを言うべきではない、とさえ思います。なぜなら、津波の共通した被害とは、みんなが自分の家を流された事だからです。津波の復旧、復興とは、まず流された自宅の再建であるはずである。流失した家の再建の事を、今は、考えなければならない。他人(ひと)がそれを親身に考えてくれるとしても、適切に指導してくれるわけではない。家をなくした深刻さと復興のパターンを本当に分かっているのは当人たちだからです。
私は、11月2日発表になった宮古市東日本大震災復興計画【基本計画】も、9月30日の鍬ヶ崎地区復興まちづくり会資料の復興パターンも、資料4の高所移転経費も、読んだけれども、被災者の住宅再建について、納得できる記述はなかったのである。どこにでもあるパターンが書いてあるか、これがその事なのかと思われる事が2~3行書いてある程度。総論的に、間接的に書いてあるようであった。内容はほとんどないように思えた。多分、鍬ヶ崎地区のように、まちぐるみで家がなくなった人の立場で復興計画はつくられていない。これからも役所の上の人や選ばれた人にまかせておいたのでは、そこは素通りしてしまうようにおもう。だから、被災者は、今は、自分たちの住宅の事を声だかに一途に言うべきである。
私が前に書いたように、「宅地造成にかかる経費はもちろん国、県、市の復興予算でやってもらわなくてはなりません。」「被災跡地は国、自治体による買い上げが基本ですが、新しい造成土地は同面積交換とします。」(このあたりの基本線が決まれば事態は一気に進む気がしますが、話し合いはあくまでも前向きに有利な原則で進める事が大事だと思います)
「建設費を含め移転経費補助を厚くすることを一時も忘れてはなりません。国も県も復興事業に上限なしと言っているのではありませんか?」、「地域をあげて官民で陳情を繰り返す意気込みが必要だと思います。われわれには住むべき後がないのですから」
…等と書きましたが、あたり前のことです。それを復興計画やまちづくり計画の中にくわしく、しっかり取り入れてもらわなければなりません。
冒頭の見出しに、「復興予算は、被災住民とコンクリート族の取り合い」と書きましたが、それは流失した家屋の再建予算と、かさ上げや防潮堤のいわゆる多重防災のまちづくり工事予算との予算の取り合いのことです。設計、建設、土木、資材などの会社は今、大手は大手なりに、中小は中小なりに国土交通省、復興庁、県庁、市、に、復興計画のアプローチをしているのです。学者も、役人もその後押しというか、同調というか、その方が顔が立つというのか、便利だというのか、そっちに傾く傾向があります。それがあの、鍬ヶ崎地区復興まちづくり会の4つのパターン案だと思います。
道路のかさ上げや防潮堤などいろいろな工事計画には、皆さんも自分たちに直結することですから考えたり、口を出したいと考えていると思いますが、ほどほどにして(別に充分に時間を取って議論もできると思いますから)、まず自分の家の再建の方に予算を向けるように強く考えようではありませんか。今は、公共防災事業より、被災者の自宅確保の方が大事だと思います。
注意)「宮古の方と話をしていると、紳士的というか、公共心というか、大人のしっかりした発言をされる方が多いと感じました。首都圏では、自分のプライベートな部分、利害の意見になりますが、決してそうではないということを実感しました」。これは宮古市総合アドバイザーの大学の先生の復興計画検討委員会での発言ですが、言うようには必ずしもよいことだけではないわけで、紳士的であるということが感心しないこともあるわけです。先生にとっては都合がよいわけですが…。