まず人命と本当の安心を高所移転で守ろう。その後に初めて諸策を打てる
私は,鍬ヶ崎は高地移転がよいと思う。以下、その理由、方法、お金を述べる。
理 由
● 職住分離をしっかり見すえて<住まい>は安心の高地に、職場は基本的に下の被災跡地にするべきである。鍬ヶ崎は伝統的に住まいと職場が一体であった。時代的にそのような理想的とも言える幸福な環境は維持できなくなってきている。この機会に職住分離は鍬ヶ崎復興の一つの柱となるのではなかろうか?
● 津波襲撃後の跡地はどこから見ても人が住める土地ではない。あまりにも破壊され過ぎた。あまりにも海に近すぎる。かさ上げ、防潮堤も信頼性に欠け、景観的に我慢できない。伝統的な職住接近のあわいこや屋号のある家・商家はもう昔のようにはもどらないだろうと思う。
写真はブログ「半径10メートル」より
● 政府が、住民を危険地帯に住まわせた後悔と謝罪の意味も込めて増税までしていち早く復興予算を準備した、と言えないか?二度とこのような災害に遭遇させない、という気迫は甘受すべきではなかろうか?
● あの惨事を脳裏に焼き付けた子どもたちの心理的後遺症がないとは言えないのではないか。直面した体験もさることながらマスコミによる映像や写真、大人たちの体験談、街並の変容が延々とつづいていて、内面の傷は深いのではないかとおもわれる。家族を亡くした人もいる。お年寄りの心配は終わっていない。高地に安心・安定の住まいがまず必要ではないだろうか?有職者の住居としても高地移転は安心である。
● 鍬ヶ崎の跡地は再整備して漁業基地、港湾、工業地、商業地として別に活用すべきである。今以上の活気とにぎわいになるだろうが、さらに、復興特区として外部からの企業誘致に乗り出す事も課題である。※この項は別に書く。
● 最低でも高所移転に覚悟を決めて、力を合わせて新生鍬ヶ崎をつくらなければならない。これまでの高所移転はどのでもいつの間にか住民は、低地平野部に戻ってきて再度、再度の被災を繰り返している。それは中途半端な高地移転だったからである。快適な「移ってきてよかった」と言う街並でなければ同じ事が起きる。
方 法
● 移転先の家が建ち引越が完了するまでの工程表が、役所だけでなく(ものによっては役所より早く)住民の頭の中に具体的に共有されていなければならない。
● まずもって地所。鍬ヶ崎の被災世帯が全世帯、家を再建できる土地をまずさがさなければならない。鍬ヶ崎地区復興まちづくり会で宮古市から提案されたらしい浄土ヶ浜道路沿線の土地(このブログで前に失礼な言い方をしたが)ももちろん候補地の一つである。
● 大事な事は市役所から示される土地だけでなく、被災者自ら適切な土地をさがす必要がある。結局、土地の選定、住む、住まないをふくめて全て住民が最終決定者になるわけだから、あとくされなく積極的に複数候補地をさがす事が大事である。そのほか民間の不動産会社、開発デベロッパーにも専門家としての候補地をはば広くプレゼンテーションしてもらうことも必要である。
● グーグル地図、民間や市役所の地図など既存地図を見る事は必要であるが、住民自らの足で県道路沿い、国道沿い、三陸北リアス線沿いなど、鍬ヶ崎の後背地はくまなく踏破する必要もあろう。土地選定に移転成功の90%があるといっても過言ではないと思うからである。
● 平行して考えることがある。ソフト、ハードの町づくりである。宅地造成や区画割りの仕事も、その究極の管理は住民の仕事である。道路、上下水道、公園、公共施設などのいわゆるインフラの整備も同様である。通勤、通学、りクリエーション。店舗についても、大型スーパーからコンビニ、専門店をどうするのか、店舗兼住宅の場合など──
● 新生鍬ヶ崎をつくるには、これからもまだまだ難問が出てくると思われるが、住民同士がよく話合って進める事が大事である。もちろん役所の方にはそのノウハウがあるが(ないかもしれない)住民の判断、協力がなければ前に進まない。
経 費