明治8年三陸津波の当時、閉伊川左岸の埋め立て護岸の工事中であった。それが津波のためきれいに洗われ、岩肌が現れた。上の建物は今の宮古漁協の地にあった旧測候所。(「写真集宮古」国書刊行会 昭和54年刊)
そこにはふれられていないが箱状の白いものは岸壁の基礎になるケーソンでないかと思われる。岩盤の上に並べられたものが津波でまくれ寄せらている…
明治8年三陸津波の当時、閉伊川左岸の埋め立て護岸の工事中であった。それが津波のためきれいに洗われ、岩肌が現れた。上の建物は今の宮古漁協の地にあった旧測候所。(「写真集宮古」国書刊行会 昭和54年刊)
そこにはふれられていないが箱状の白いものは岸壁の基礎になるケーソンでないかと思われる。岩盤の上に並べられたものが津波でまくれ寄せらている…