1、閉伊川河口水門 2、宮古湾のディレクション 3、防災施設
2、だれが宮古湾のディレクションをするのか?
a、宮古湾の津波防災グランドデザインのイメージ
図は「広報みやこ」(2011年12月1日号)特集からの下記(☆)方々の体験談の抜粋をさせていただいたものである。宮古湾における津波の進行方向というのか、津波の沿岸襲撃の様子というのか、矢印で置いてみたものである。宮古湾で長年住んできた海のベテランの方々が津波と向き合った証言である。
※ここでは宮古湾内の沿岸に限り、重茂や大沢、崎山、田老など、直接外洋に向いた港湾などからの証言には触れなかった。
この図はまた何かを実証しようとして書いたものではない。地区ごと、場所ごとの津波対策ではなく、宮古湾全体の中での地区、場所を考えていかねばならないから、そのようなグランドデザインの必要性をイメージしたにすぎない。宮古湾レベルの、より正しい詳細の記録を関係機関や学識者に調べてもらって公表していくべきだと思う。役所やコンクリート族の業者は、学者まで、目先きの防災施設にだけ意識が向いているように思われるからだ。それにはまず、これら地域住民の実体験をより数多く詳細に記録していく事からはじめなければならないはずである。
☆
あの日、地震が発生してまもなく、
地域の住民は町内会で整備した7カ所の高台のうち最も近くへおのおので避難した。波は湾奥部へと進みながらあふれるように角力浜地区にも入ってきた。“大変なことになった。長丁場になる”。すぐに浄土ヶ浜パークホテルへ向かった。
角力浜町内会の会長を務める鳥居清蔵さん
☆
大きく長い揺れの後、
(宮古市魚市場)場内のコンクリートの継ぎ目から水が2㍍以上噴き出した。初めて目にする液状化現象。水揚げは中断し避難を呼び掛け、場内を最終確認した後、漁協ビルに避難した。竜神崎を見ていると潮が軽く引くのが見えたが、初めのうちは大したことはないなと思う程度だった。しかし、それから一気に海面が高くなり陸地に到達した。第一波の後は、海底がむき出しになるほど水が引き、繰り返し鍬ヶ崎のまちを襲った。家々が滝のように湾内に流れ出て、閉伊川河口では大きな水柱が上がった。
宮古漁業協同組合参事の佐々木隆さん
☆
藤原の
高台にある比古神社へ避難する住民の様子を撮影。急いで自
宅に戻ったが遅かった。自宅のすぐ後ろに隣接する堤防にぶ
つかった波は、はるか頭上からものすごい勢いで落ち自宅を
破壊した。100㍍ほど流されたが自力でがれきの中から脱出、
近所の住民一人を何とか助けた。
民放テレビ局の宮古支局員も務める澤口功さん。
☆
宮古湾内の海水は底が見
えるほど引いていった。間もなく対岸の白浜地区で白い波し
ぶきが空高く上がり、次に高浜を襲うのを目にした。金浜は、
白浜からの跳ね返りの波と沖から直進する波が合わさって盛
り上がる場所。高台へ急ぎ、間一髪助かった
刺し網漁を営んでいた金浜の山本正輝さん
☆
残された方法は一つ。
水門の上屋に直接行って手動降下させるしか
ない。団員の長洞正人さんとともに急いで水
門に向かい、7つある門を法の脇側から運動
公園側に向かい順に閉鎖させた。そのときす
でに藤の川に波がぶつかり、高いしぶきを上げているのが見えた。避
難は間に合わない。“残るぞ”。上屋に残る決断をした。波はとてつも
ない勢いで白浜、赤前、金浜になだれ込みながら水門を越え津軽石川
上流へと向かった。上屋にいるのも危険と感じ屋根に登った。
市消防第20分団長を務める津軽石の中野規男さん
☆
上司の指示で着の身着のまま避難所の赤前小学校に走って避難した。
高台から見た宮古湾内は金浜周辺まで水がなく、まるで干潟のようになって
いた。避難所に到着後は、赤前小学校の先生方とともに従業員の皆で高齢者や負傷者の避難の手助けをした。その後、眼下を目にしたときには、辺り一面が海と化していた。
赤前地区の(株)ウェーブクレストに勤める遠藤伸司さん。
地域の住民は町内会で整備した7カ所の高台のうち最も近くへおのおので避難した。波は湾奥部へと進みながらあふれるように角力浜地区にも入ってきた。“大変なことになった。長丁場になる”。すぐに浄土ヶ浜パークホテルへ向かった。
角力浜町内会の会長を務める鳥居清蔵さん
☆
大きく長い揺れの後、
(宮古市魚市場)場内のコンクリートの継ぎ目から水が2㍍以上噴き出した。初めて目にする液状化現象。水揚げは中断し避難を呼び掛け、場内を最終確認した後、漁協ビルに避難した。竜神崎を見ていると潮が軽く引くのが見えたが、初めのうちは大したことはないなと思う程度だった。しかし、それから一気に海面が高くなり陸地に到達した。第一波の後は、海底がむき出しになるほど水が引き、繰り返し鍬ヶ崎のまちを襲った。家々が滝のように湾内に流れ出て、閉伊川河口では大きな水柱が上がった。
宮古漁業協同組合参事の佐々木隆さん
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藤原の
高台にある比古神社へ避難する住民の様子を撮影。急いで自
宅に戻ったが遅かった。自宅のすぐ後ろに隣接する堤防にぶ
つかった波は、はるか頭上からものすごい勢いで落ち自宅を
破壊した。100㍍ほど流されたが自力でがれきの中から脱出、
近所の住民一人を何とか助けた。
民放テレビ局の宮古支局員も務める澤口功さん。
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宮古湾内の海水は底が見
えるほど引いていった。間もなく対岸の白浜地区で白い波し
ぶきが空高く上がり、次に高浜を襲うのを目にした。金浜は、
白浜からの跳ね返りの波と沖から直進する波が合わさって盛
り上がる場所。高台へ急ぎ、間一髪助かった
刺し網漁を営んでいた金浜の山本正輝さん
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残された方法は一つ。
水門の上屋に直接行って手動降下させるしか
ない。団員の長洞正人さんとともに急いで水
門に向かい、7つある門を法の脇側から運動
公園側に向かい順に閉鎖させた。そのときす
でに藤の川に波がぶつかり、高いしぶきを上げているのが見えた。避
難は間に合わない。“残るぞ”。上屋に残る決断をした。波はとてつも
ない勢いで白浜、赤前、金浜になだれ込みながら水門を越え津軽石川
上流へと向かった。上屋にいるのも危険と感じ屋根に登った。
市消防第20分団長を務める津軽石の中野規男さん
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上司の指示で着の身着のまま避難所の赤前小学校に走って避難した。
高台から見た宮古湾内は金浜周辺まで水がなく、まるで干潟のようになって
いた。避難所に到着後は、赤前小学校の先生方とともに従業員の皆で高齢者や負傷者の避難の手助けをした。その後、眼下を目にしたときには、辺り一面が海と化していた。
赤前地区の(株)ウェーブクレストに勤める遠藤伸司さん。
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津波につよい海辺のまちづくりが必要です
国、県、市、町でさまざまな「復興計画」がでそろってきています。
今回の震災はその規模も範囲も広すぎて当初は手をつけようがなかったと思いますし、「復興計画」の提言内容は広範囲にならざるをえないと思います。
でもどうしても解らないのはどの提案・提言を読んでも津波に対しては「高台に避難する」「住宅の高台移転」としているところです。
さらに国の「復興提言」では「人的被害を最少化する「減災」を提言し災害との遭遇に際しては一人一人が主体的に「逃げる」という自助が基本である。一人一人が「逃げる」ことが「生きる」ことを意味する」と言っています。
この意味は極言すれば「逃げられない人」は「死」を覚悟しなければならないといっているのでしょうか。
さらに私は震災後、どうしても「学識経験者」「専門家」「学者」の意見を鵜呑みにしてはいけないと思うようになりました。「福島原発」に対する「学者」「専門家」の対応を見ても明らかです。
「学問」「研究」「技術」は、ある状況を「想定」することから始まっているものであり「想定外」を初めから「考えない」か「排除する」としてきたからだろうと思います。「想定外」に対しては、ただただ驚いているだけのような気がします。
思うに「想定外」を「想定」することは「想像力」が必要です。
想定を超える問題の解決には「専門家」「学者」の立場の「想定内」の意見ではなく、発想豊かな、今までにない「アイデア」があり「想定を超える発想力」をもつ人々の「豊かな、心打つ提言」と「新しい技術開発力」が必要だと思います。
そして国の「復興への提言」のなかで言う「いわゆる専門家、学識経験者でない埋もれた人材の知恵が必要になる」の言葉が重要になってくるのでないでしょうか。
いま私はあえて被災地の復興計画は「住宅の高台移転」ではなく「海辺のまち」「津波につよい海辺のまち」を目指した「まちづくり」が必要であり、その可能性を提言することが「被災者の夢」をかなえる道ではないかと思っています。
大津波に対しての「高所に逃げる」の問題点
3・11大津波はこれまでの防災施設の「安全神話」を打ち砕いたのは確かです。よって「減災」「逃げる」という津波対策が基本になると提言されています。
しかしこの対策も多くの問題点があります。
①「逃げられない人」がいます。
「災害弱者」「社会的弱者」と呼び名は様々ですが、いわゆる高齢者、病人、障害者、児童は「逃げろ」といっても、すぐには逃げることができない現実があり、今回の犠牲者の多くは逃げられなかったのだと思います。
②「逃げ遅れる人」がいます。
津波を「想定」することはできず、いつ、どこで来襲するかわからず、またその津波のスピードは走っただけでは逃れることはできません。すべては「想定外」で起こるのであって、そのときのおかれた状況は様々であり「高所に逃げろ」は机上の空論になりかねないと思います。
③「逃げる場所が近くにない人」がいます。
人がどの場所にいて、どの場所で津波に遭遇するかわかりません。自宅であったり、職場であったり、学校であったり、車内であったり、海辺であったりと様々です。日ごろ逃げる場所を想定していても全ての状況において逃げる場所を確保することは不可能だと思います。
「高所に逃げる」は津波の規模、スピードにもよりますが、現実的には社会的弱者に対しては非情な対策ではないかと思います。「逃げられない人」への対応・防御策として再考が必要ではないでしょうか。
高台移転・職住分離のまちづくりの問題点
大津波に対する平地での有効な対応策がないために「安全・安心のまちづくり」のためには「住宅の高台移転」という提言になっています。そのためには「職住分離」という「ライフスタイル」を住民に強いることになります。
あるアンケートによると、津波被災者がもっとも望むことは「元の場所で、元の生活をしたい」が第一にあげられています。
本当に沿岸部、とりわけ漁業従事者にとって「職住分離」は可能なのでしょうか。それが住民の多数の意向なのか疑問です。さらに「集団移転」は土地所有権、コミュニティ形成、宅地造成、住宅建設・移転費、道路建設、自然破壊、と「大規模な開発」「多額な土木事業」が必要です。
今、日本の置かれた現状は今後も高成長は望めず、より縮小社会に入っていくのが現実ではないでしょうか。復興のための事業といえども、また「箱物」や「大規模タウン」をつくるのは無理でありこれまでの多くの再開発が「ゴーストタウン化」した失敗に学ぶべきではないかと思います。また「高台移住」においての「土地問題」は「命」に次ぐ権利問題に発展するため、より一層の困難が予想されます。
この「高台移転」「職住分離」「多重防御」の再構築はあまりにも無謀な政策であり、いわゆる「現状肯定型の学識経験者」の画一的、平面的な意見なのではないかと危惧しています。
今こそ、平地や沿岸部において、よりコンパクトで自立的な「安全・安心なまちづくり」「大津波に耐えるまちづくり」の革新的な建築的技術開発の可能性を、日本の技術者の「英知」を結集して検討したほうが「災害につよいまちづくり」の復興モデルになるのではないかと思います。
建設産業・住宅メーカー・建築家も反省が必要です
津波が予想された地域にも多くの住宅が建設されてきました。そして今回の3・11震災の大津波でその多くの住宅が流され、破壊・倒壊し、住むこと自体が不可能になり、さらに多くの犠牲者を出してしまいました。
住宅を建設した側は、住民に対して「この住宅は安全です」と言ってきたと思うし、住宅業界にも「安全神話」がありました。そして3・11津波被害にたいしては「想定外」を主張すると思います。
しかし問題なのは「流された住宅」を造った側が、同じ地域に同じ住宅を建てようとしていることです。提言の「高台移転」の計画にただ乗りし、抜本的な津波対策を考えようとせず、「津波によわい住宅」をまた造ろうとしています。
これまで「耐震」「耐火」構造の推進をおこなってきた全建設産業・住宅メーカー・建築家は、現状の津波被害状況を目のあたりにするとき、「耐津波」性能をもつ住宅の開発を急ぐべきです。
さらに建築基準法は「耐津波性能基準」を定めるべきです。また、たとえば耐津波住宅を「公募」することも可能です。住宅産業界が反省して「津波につよい住宅」を提供することを求めます。
沿岸地域の漁港・漁民・漁船・漁場が守れるのか
これまで多くの資本を投入してきた護岸提・防波提の津波防災施設の壊滅状況をみるとき、その機能・性能・施工技術について疑問を持たざるをえません。それは「5Mの防潮堤が壊れたので、10Mに」で済む話ではなく、津波対策・施設のあり方の抜本的な再考が必要だと思います。
日本の沿岸部の歴史は地震・津波被害との戦いであり、多くの被害者を生み、破壊・再生のくり返しを乗り越えてきたのだと思います。そして人の造る「防災施設」は限界があり、「絶対的安全」は不可能であり、自然の脅威は受け入れなければならないのです。そして長い歴史の中で「生き抜いてきた」漁民・沿岸地域の人々のほうが、まわりの安全な場所でただ見ているだけの人より自立的に再建することができると信じています。
これが「減災」の考え方の背景ですが、でもなお最低限「人の命」を守ることが必要です。
私は津波の脅威に対しては「受け耐える」より「受け流す」考えが重要だと思っています。
10Mの防潮提を造っても15Mの津波が来たら乗り越えられてしまいます。
「15Mの津波がきても受け流し、人命だけでも守る」必要があります。「人の命」を守ることを基本とする防災施設が必要です。
沿岸地域の人々は今後も必ず来る大地震・大津波に直接対峙しなくてはならず、守るべきは、海岸地域にすむ漁民や漁業関連住民であり、その生活手段である漁港・漁船・漁場です。そしてその住民、施設を未来に引き継いでいかなければならないと思います。そのためには既存の耐津波施設の性能を根本的に見直す必要があり、
「想定外」が「人の命」を守れない理由とすることは、今後は許されないと思います。
津波につよい建物が必要です
3.11震災の悲惨な被害状況を目にするとき、同じ過ちを繰り返してなりません。そのためには「津波につよい建物」が必要です。これまでの大きな災害の後、日本の建築業界は新工法、新構造(免震工法、耐火構造等)を開発してきました。
だからこそ、津波からただ逃げるのでなく全力で対津波構造を新たに開発しなければなりません。
今後も津波は必ず来るだろうし、それも日本全国の沿岸地域に突然来襲します。
3.11震災は大きな代償を払いましたが、これまでの津波に対する防災施設の脆弱性を明らかにしました。津波のたびに、町や家や人の消失を繰り返してはなりません。今こそ「津波につよい建物」をつくらなければなりません。
津波を「受け流す」新しい構造技術の提案
巨大津波に対して、これまでにない新しい視点で開発された「耐津波」性能をもつ建築構造体・装置として
「津波シェルター装置」 (特許出願中)を提案したいと思います。
その特徴は
① 三角形の平面形状をもち、その頂点が船舶の舳先のごとく巨大な津波の波圧を「受け流し」、避難空間であるシェルターの倒壊を阻止する。
② 可動基礎をもち、建物全体が風見鶏のごとく回転し、常に津波の来襲方向に三角形の頂点が対向し、巨大な津波の波圧を減少させ、シェルターの倒壊を防止する。
③ 避難空間としての防水シェルター内に太陽光発電・蓄電池、食料庫、貯水タンクを装備し非常時に最低限の人の生存を可能にする装置を装備しています。
この「津波シェルター装置」の新しい構造が「津波につよい海辺のまちづくり」を可能にする基盤構造になることを信じています。
これまで工法、施設として「耐津波」を視点にした建築物は、私の知るところでは「避難タワー」「避難ビル」ですが、その性能として「想定外」の大津波に対しては、本質的には「逃げ切れない」状況が想定されます。それは津波の「高さ」に観点があり「想定外の高さ」の津波には対応していません。