5月29日、宮古港内の地盤調査中に起こった死亡事故は次のような経過、環境で起こった。素人が、生半可に資料を眺め、推量を重ねても本当の事は分からないが、しかし、岩手県当局の配布した資料の粗末さから、またその設備の見るからに危なげな作りから、当局の防災行政、港湾行政の姿勢が見えてくる。本気度が伝わってこないのだ。通りいっぺんと言える。
[資料画像]
岩手県から現地地区に配布されたチラシ、あるいは説明会資料チラシ
「防潮堤ができる関係で、最後の画像の赤い線で囲った所まで、船揚場が増設されます。」(ブログより)
以上「ダイエイ住器&夏桜丸のブログ」<日立浜町付近の船揚場のボーリング調査>(2014.5.11)より
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写真は「漁師のつれづれなるブログ」<市道前須賀~日立浜線道路改良工事が>(2014.5.23)より
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【写真=やぐらが倒れ、下敷きになった作業員を救出する宮古消防署員や宮古署員ら=29日午前9時44分、宮古市日立浜町】(2014/05/30 web 岩手日報)
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『宮古on web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ』<連続する不祥事=鍬ヶ崎>(2014.5.30)の
自己コメントより ※加筆有り
死亡事故は県庁による人災です (コーケやん)
2014-06-01 14:52:10
2014-06-01 14:52:10
ここ宮古港(鍬ヶ崎港)は今コンクリートでどこも直線的に固まっているように見えますが、それは長い間の埋め立てや護岸工事によるもので、地盤の実態は相当複雑です。もともとの岩盤のほか、小島、大島と言われた大岩塊、海中の岩礁なども爆破され、ならされて地盤になっています。清水川、小山の沢などの扇状砂州も深く深く広がっているはずです。江戸時代(元文年間1736~)以来の埋め立て工事で外部からかなりの土砂も投入されており、護岸、築港のためにコンクリートブロック、コンクリートケーソンがいかほどの量、いかほどの広がりで埋設されているのか分かりません。膨大だと思います。地下地盤、海面下海底は今も複雑に成長し、空洞のかさも想像を絶するものがあるはずです。写真のような盛岡県庁の仕掛けの装置はイージーすぎて複雑な地盤そのものが受け付けなかったのだと思います。こころさんの見解はうなずけます。
今回の調査は船揚場移動の極地的調査と言われていますがだまされてはいけません。
いま計画されている鍬ヶ崎防潮堤の調査(今回調査はその一環でした)、特に、鋼管杭で支えるという直立式防潮堤のための地盤調査は規模を(広範囲に全面的に)極め、厳密さ(江戸以来の複雑さ)を極めるもので、岩手県県土整備部、沿岸広域振興局、宮古地域広域センター、宮古地区土木センターなど、一言では盛岡県庁では、この仕事はできないと思います。広範囲の調査、複雑な調査と言葉だけ聞けば人は盛岡県庁でも出来ると思うかもしれませんが、それが海の地底の、海の波力の、海の陸上の、巨大津波の測量・地盤調査だから出来ないのです。岩手県庁には海の沿岸の専門部局もないのです。何度も私が言っているように、津波に直面する構築物のための調査は貯水ダムの調査、河川堤防の調査のどんなアナロジー(類推)も役にたたないのです。田老など崩壊した港湾、防災施設は全て盛岡県庁の河川設計、ダム設計のコピー&ペーストの思想で出来ていたといっても過言ではないのです。今回の事故も海の砂上である事を知らなかった類いの無知の屋上屋が原因です。地盤調査のやぐらを地盤調査もしないで組んでしまった!ダムや河川や地上の調査ではよくやる事ではないですか?
蛇足ながら、岩手日報では「県発注の震災復旧工事のための」となっていますが、そうではなく、はっきり鍬ヶ崎防潮堤工事のための(海をせばめる)船揚げ場の沖合移動のための、地盤調査のボーリングなのです。ここにもそそくさ感を感じます。
注意2)一番最初の写真の奥の小さいふ頭はこの「北防波堤」ではありません。