復興特区はどこに?
なぜ復興特区の声が上がらないのか? 田老地区でも鍬ヶ崎地区でも、産業や経済や雇用が間に合っているようには見えないのに…どこからも復興特区の声が聞こえてこない。地区地区がすっかり津波に流されて、住居もなし、工場も、商店もすっかりなくなって、どこから手をつけて復興の足がかりにするのか? 誰もが途方に暮れている時、政府も呼びかけて、マスコミもはやし立てている復興特区の問題はどこをどう回っているのか? 産業特区、経済特区、漁業特区、わかめ特区…そんな特区があるのかどうか分からないが、東北各地、宮城県や岩手県沿岸南部の方では熱く燃えている。特区、特区と私も書いているが本当は詳しい事は分からない。特区というからにはなにか特典、税金や土地代やインフラあたりになにか優遇でもあるのかどうか? 素人でもなにかやれる事でもあるのか? 宮古、鍬ヶ崎、田老レベルで何がどうなるのか分からないのであるが、ただ、そのような流れがあるのであれば当然手を上げて乗るべきではないかと思う。復興を願う人、起業を願う人、進出を計画している人は特に流行(はやり)には乗るべきではないのかと思うのである。宮古出の代議士は、市長は、副市長は、役人は、市(県)会議員は皆その専門家であるのだから率先して市民にひろく説明するべきであろう。市民、特に被災地市民はとりあえず説明を聞き、関心を持ち、また聞いて、調べてみてだんだん分かる事もあるのだから。
復興を害するもの
はっきりいって内向きの鎖国思想です。外からの参入は、外国からも、国内からも、近隣からも,ひどくは身内からも喜ばない風土が宮古市経済にあるのではないかと思う。ガソリンや軽油、灯油は宮古は高い。それは競争がないからです。やりようがないと考えていると思いますが、やりようはなんぼでもあって、なんぼでも安くなるのです。まちの隅々まで既得権益、公(おおやけ)の私物化がはりめぐらされて、政治家や市役所や監督所がそれを保守、助長している疑いもあります。だから外から経済を入れる復興特区などには身動きが取れないといえます。経済界はどこもかしこも、なさけない内輪体質ではないかと危惧します。私はあるブログに次のようなコメントをしました。
なさけない宮古漁協 。(鍬ヶ崎岸壁や赤灯防波堤の工事計画について)復興工事ですって!? 私には土建屋に、こそこそと工区工区を分配しただけの役所仕事にしか見えませんが…。どこの役所の仕事でしょうか? どこが工事主体か自分を名乗る事も無く、市民に工事全体の展望を知らせるメッセージも無く、液状化し、地盤沈下した岸壁をなにか後ろ暗く修復する応急処理にしか見えません。将来蛸の浜から波が来て三たび鍬ヶ崎が全滅しても役人はこうして工事発注だけをしているのです。税金をはらっている市民にもその意図が分からない工事だらけ、いやになりますね。地域への徹底した秘密主義、土建屋も利権だと思ってやっている限りろくなものはつくらないだろう…。
もっとなさけないのは宮古漁協やその役員。護岸工事を問われて「さんまの時期までに…」程度の発言しか出来ないのだ?! なさけない!!!漁協の役員といえばどこから見ても地域のリーダーなのに…。組合員を号令してして大難の地域復興にリーダーシップを発揮すべき立場であろうに、現実は組合員といっても個人が個人的にこうしてがんばっているだけだ。重茂も、田老も山田の漁業組合も、いや東日本沿岸の組合はどこもかしこも上も下も協力して漁業復興だけではなく、地域に対して、また漁港、港湾復興について先頭に立ってやっているではないですか?! 効果も上げている。ネットやテレビや新聞を見てますか? 役所と一緒になって工事情報を隠したり情報をて加減したりするだけですか?
宮古の漁業協同組合として、鍬ヶ崎の津波防災のために、どんな赤灯堤防、どんな出先ふ頭、どんな龍神崎堤防、どんな鍬ヶ崎岸壁をつくるべきか、頭をしぼってもらいましたか。そして宮古湾全体の防災をどうするのか? まさにあなた方が死んでも果たすべき社会的使命ではないですか?! 職員事業や、施設財産、宮古市との談合、岩手県との利権談合にあぐらをかいていませんか? 漁業復活だけでなく津波防災、鍬ヶ崎地区まちづくりでは貴職たちがプロ中のプロとして、本当の復興のカギを握っているのだ。みかけだけですか? こんな貧弱な岸壁工事や堤防工事など、大きめの波が来たら吹っ飛んでしまうではないですか。宮古市や岩手県や国に率先してものを言うべきではないですか、こんなのやめれ! と。あなたがたには漁業施設と「地域防災」ネットワークをつくる先決使命があるのです。(2/23)
鍬ヶ崎の経済復興
コンサルタントが机上で色分けしただけの田老や鍬ヶ崎の産業ゾーン、商業ゾーンをまだありがたがっている人がおりますか? そこに費やした時間。半年から一年。いや無意味だったという意味で何年分も貴重な時間が失われました。私は、あるブログに次のようにコメントしたことがあります。
私は旅で何十年も過ごしているけどあなたが言うとおり鍬ヶ崎ほど良いところはないのです。
その一。旅で何十年も過ごしているが、よその地方(くに)の人の舌はおどろくほど肥えていないのです。はっきりいって貧しい人がおおい。そう思えるのは幼少の頃、ろくなものは喰わなかったし、満腹ではなかったが、へんぴな漁師まちで何でも喰って舌だけは鍛えられたのだと思う。鍬ヶ崎人は名物にうまいものなしを一発で分かっている。鍬ヶ崎の人は名湯ホテルの特別料理をうらやましいとは思わない、そのかわり、そこの変ながにや肉や菜っ葉の切れ端の方がうまそうだと思ってテレビを見ている。沖縄で沖縄そばを食ってみたいと思っている(おれのこと)。私は鍬ヶ崎で弁当屋をやって、高台の高齢者住宅に配達する仕事をしたい。朝、昼、晩の食事はどこでも大変だ。注文があれば一般家庭でもいい。一食でも届ける。味も値段も量も手頃だからもうかると思う。鍬ヶ崎以外の宮古衆や田老衆のよその人には一人では無理だから何人かでやって、ほかに季節のものを出す店もする。…とまあ、地元の人に売って儲かる店です。そうすれば観光客にもあであわせれる店にもなるとおもう。(本当は弁当でなくスウィーツで始めたいのだったが先にシュクなんとかという繁盛店があるので変えた。すしやもあるし…)。地場産業とは地場でもてて地場ではやるものでなけれはなりません。鍬ヶ崎は漁業、水産業と思われていますが、それは間違い。鍬ヶ崎は消費のまちです。消費産業の拠点地区として発想を転換しないと…、先が見えないのです。考えを変えれば鍬ヶ崎の新しい面も見えてきます。その昔は遊興特区の時代もありました。フード産業などはとてもよいと思います。家庭食、家庭料理、食堂、カフェ、飲食店、日本料理、西洋もの、エスニックもの、ご飯もの、麺類、加工品、スウィーツ、ケーキ、和菓子等、原料など食品を中心にすえれば人もものもあふれるほど集まります。(3/6)
PS. …誰がやるのかって? 心配はないです。若者、よそ者、変わり者がおります。ご支援を!
もうひとつ書いておきます。
漁師のつぶやきブログ<沿岸の復興には、漁業が必要!>(2012.3.8)へのコメント
面白い記事でした。漁業と漁業問題はいつも深刻ですがいつも面白いです。
昔の記事の方もよかったですよ。パチンコ屋を宮古市が経営するとしたら鍬ヶ崎でお願いしたい。
宮古は子育ての地。は、ちがいないですね。しかし、わるくはないです。問題は大人の方です。楽しく、有効に仕事ができる仕事が育ってほしいです。漁業、パチンコ屋。マウスと言いましたか? スーパー銭湯など、面白そうな仕事が集まってほしいです。どんどん出てきてほしい! 鍬ヶ崎に!
PS)もう二つ目も書いておきます。
漁師の徒然なるブログ<爆弾低気圧の被害は>(2012.4.4)へのコメント
低気圧が来るたびに宮古港の漁船はこうして閉伊川に身を寄せるのですね。前々からそうしていたようにも思います。今度の爆弾低気圧を前にして船は行く場所がなくて「磯鶏・高浜・赤前・田老・小本・田野畑の船も、この閉伊川に係留しています」はいささか驚きました。今は各漁港が壊れていて鍬ヶ崎の赤灯防波堤も壊れているからという事もあると思います。しかし閉伊川河口はそれほどに避難に適しているのかと不思議でもあります。なにか不安感はあります…
私が鍬ヶ崎だからというのではありませんが、宮古港(鍬ヶ崎港)を大改造して、そこをバンとした漁船避難港にしたらどうでしょうか。気象変動はこれからも地球規模で激しくなるようです。低気圧のたびに母港を横目に風や高波、溢流を心配して右往左往するのではなく、そこをきっぱりと避難定位置にしたら…と思います。今閉伊川に身を寄せている船だけでなく、操業途中の県内の他の漁港の漁船、もちろん他県の漁船も安心して入港できる避難港です。広さがたりませんかね? 三陸漁場の最強の避難インフラ設備(ハブ避難港)として名乗りを上げたらよいと思います。位置条件も地勢も最適だと思いますが…。ほとんどの港が被災して、今、復興のタイミングで、この事を真剣に考えるべきだと思います。昔とはまた違った風待ちの良港を再現したいものです。
条件があります。港をそのように作ればよいといっても、どのように? 防波堤や岸壁、魚市場などの港湾施設をどう設計するのか? 安全安心のソフトのサービス等をどうするのか? と考えると思いますが、それではだめなのです。(自己目的的なアイディアは他者の協力も理解も得られないで原理的に実現不可能なのです)。結論的に言えば、港湾後背地の鍬ヶ崎地区の津波防災施設としての機能を同時的に港(みなと)に持たせなければなりません。鍬ヶ崎地区の3.11以降の深刻な問題意識はここにあります。後背地住民の一番強いこのニーズと連帯しなければ、自己目的的な避難港構想は先細りになって破綻します。漁民や港湾関係者は避難港をほしいと思っていると思いますが、考えがその立場からするエゴから抜け出ることが出来ないのであれば無理でしょう。港の改造だから港を改造すればよいという短慮がついて回ると思いますが、それだけではだめなのです。
港の改造構想とは、普通の都市づくり構想と同じです。地区復興まちづくりと同じプロセスをたどって、それ以上に広くかつ根本的に設計しないと実現しないと思います。鍬ヶ崎は直接の後背地ですが、宮古市自体が漁業産業都市ですからその主要なビジョンとして鍬ヶ崎地区の防災復興を考え、ハブ避難港としての鍬ヶ崎港を考えるして、両にらみでしっかり設計しなければならないのです。後背地の陸(おか)の市民は港の改造なんて…、岸壁の修繕をなるべく早く安く仕上げたらいいという程度にしか考えていないとおもいますよ(陸エゴ)。見返してやるべきです。未来の宮古にとって人や経済や海洋文化の波及効果は大きいと思います。
了
話は変わりますが、私は、鍬ヶ崎地区の津波防災のハード面はサッカ-でいう高い位置でのディフェンスが効果的だと考えています。つまり既存の実用の港湾施設を充実する事だと思います。龍神崎防波堤、出先(赤灯)防波堤、出先ふ頭、鍬ヶ崎ぐるりの岸壁、それぞれの機能充実と相互の連携をもって津波防災は可能だと…
少子高齢化、温暖化による海面上昇、産業の空洞化、人口減少による社会構造の変化、のなかで本当に「防波堤」を造っていれば「安全・安心」の地域になるのか。既得権をもつ階層はまず「自分だけの都合」でものを考える。将来のことなど「知らんふり」であることは、もう判っていることです。今は既得権者のほうが「力」をもっているが、まだ日本には「隠れた才能」をもつ人々がいる。
なにが正しいのか自らが理解し行動するときが来ていると思う。
下記のHPの内容を是非とも読んでいただきたい。
その「隠れた才能」の一端が見えます。
http://home.a02.itscom.net/coffee/basic_style01.htm
私は「ブログ」「ツイッター」の短小文化はあまり好みません。ツイッターの人は、少ない言葉を使って、なにか「参加」してる気分を味わっているだけで、本当に物事を真剣に考えていないようだし、余りにも自己満足、いいぱなしで良しと考えている人が多いと思います(そうでない人もいますが)。
当然、意見を言う場合は、その人の「バックグランド」が重要で、言葉の端は端にそれは見てとれます。「この人は何を言いたいのだろうか」と考えることが重要です。でないと「ことばの真の意味」が解ってきません。
そう考えてみると、先日の「埼玉の足場が倒れ、子供の死傷事件」がありましたが、私なりの解釈では、元請が「経済性と金」だけを考えて、下請けに「金がかかるから、足場つなぎなど取るな!」と職人に命令したと思う。最近は職人の技量も低下しているため、命令に従ったのだと思う。素人が考えても、壁からの支持が無ければ倒れるのは当然です。
どうなるのかの想像力がなく建設業界は「思考停止」しているのです。短小文化はこの「思考停止」を助長させている思っています。
この日本はあらゆるレベルで「想像力」が欠如してきています。漁業の現場でも「金もうけ」「補助金」「援助金」等の金、金だけにまみれて、本来の「母なる海」に対しての畏敬の念が見えてこない。
だから「どうでもいいから、かっこだけでも防潮堤を造ってくれ」となるのかな思います。
こんなこと言う私は「変わり者」です。
私のメガフロートも覗いてください。自分でボツにしたものです。
http://blog.goo.ne.jp/traum2011/c/9e4e62872aadf20da1b55d8055b912bf/1
逆に「考えない人」は積極的であり、楽天的で行動が素早い。そして、今の日本はこの「考えない人」に支配され、言ううがままで「現実」という提示に押し流されているように思う。
「夢」は人それぞれではあるが、なにごとも「夢の実現」は難しく「現実」に押し流されてしまう。だから「考える」ことに疲れてしまい、「現実」だけを受け入れようとし「思考停止」の社会が進行する。大事なのは、「危機感」を持つことです。でも「今は幸せです」なら結構だが、現状への「危機感」なき所に「革新」は絶対に在り得ないと思うのです。さらに「責任感のない人」が多数を占めてきます。なんと「言われたことをやっておけば良いや」と思う人が多く、この「無責任」が浸透した社会が生まれています。「先の事を考えるのは疲れる」ので「今が良ければよい」とし「将来への責任」は放棄して、「自分(自分の家族だけ)だけ良ければよい」となる。
「自分だけ良ければよい」と、「自分で勝手にやっています」は近いですが、
「言われなくても、自分で勝手にやっています」が、一つの「対抗手段」だと思うので、勝手にやっています。
釜石市と大船渡・陸前高田・住田の2市1町の気仙広域が政府から指定された環境未来都市構想は2012年から、具体化に向けた動きが始まる。釜石は多様なエネルギーの利用拡大と産業創出が柱。気仙は広域連携で環境や高齢化に対応したまちづくりを目指す。国の関連予算の集中投入や規制緩和で、関係者は被災地復興につながると期待。年度内に具体的な計画づくりに入る予定だ。(2012/01/05web岩手日報)
■宮城沿岸部に先端農場構想
農水省は津波で被害を受けた名取市、岩沼市,亘理町,山元町の宮城県沿岸部に2012年度から6年間,最先端技術を実用化するための大規模農場をつくる。敷地は200~250haで津波による塩害で早期復旧が難しい農地を国が借り上げる。富士通や日立製作所、シャープなど民間企業と提携、ITやロボットなどの技術を融合させ農業の生産性を高める。農水省は12年度の予算に7億円強の費用を盛り込んだ。6年間で国が40~50億円、民間資金を会わせると100億円規模の実験農場になる見込み。(2012/01/05日経新聞)
「宮城沿岸部に先端農場構想」等
今後様々なより具体的な「復興事業」が始まってくることでしょう。
ただ手放しで喜んでもいられない。
これらの多くの計画は「国の方向性」と「企業の方向性」と「被災地の方向性」がマッチしているのかの検証が必要です。
たとえば「企業の利害」だけで「大規模開発」が進むことも考えられます。
大企業はドラスチックであり、一方で「地域住民のため」といいながら「アメとムチ」を使い分けることは平気でやります。いいどこ取りされかねません。
心配していることは、これまでの地元の資源や環境を根こそぎ企業が持っていてしまうのでないかとの「危惧」があります。どの企業も今が「チャンス」と思っています。
このように「具体的な復興」を地元は見つめていくことも必要だと思います。