宮古on Web「宮古伝言板」後のコーケやんブログ

2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

パブリックコメント 異論、反論、解説(2)

2012年08月24日 | どうなる鍬ヶ崎

※条例案にある危険性より災害危険区域の規制のない住宅建設の方がはるかに危険である。それが鍬ヶ崎地区という事である。宮古市は鍬ヶ崎地区住民に「防潮堤整備により津波の越流が抑えられるため、現地再建が可能となり(高台移転は)事業導入出来ないと判断しました」と根拠の薄い方針を繰り返している。津波無害を信用できない人の鍬ヶ崎からの(実際の、そして心の)流出が止まらない。だから条例案骨子に対する私の基本的立場は宮古市が鍬ヶ崎地区の浸水深0(ゼロ)の方針を撤回する事である。そのためにパブリックコメントは県土整備部のシミュレーションを検証する意見とした。そして、つけ加えた下の『市役所など指導者の消極性』以下に述べる二三の意見は条例案とは一見無関係のように見えるだろうがそうではない。
第一に、この条例案がよりどころにしている建築基準法の「危険の著しい区域」から鍬ヶ崎地区は決して除外することが出来ないからである。「地方公共団体は、条例で、津波、高潮、出水等による危険の著しい区域を災害危険区域として指定することができる」(第39条)。…この事は誰でも理解して納得してくれるはずである。
第二は、条例案から鍬ヶ崎地区を除外する理由になった鍬ヶ崎地区の高台移転不可論=「鍬ヶ崎の高台移転は…防潮堤整備により津波の越流が抑えられるため、現地再建が可能となり事業導入出来ないと判断しました」(7/12 鍬ヶ崎区画整理説明会資料)には正に以下のような行政の明らかな不作為が色濃くからんでいるからです。宮古市民はこの事から目をそらしてはいけないのです。多少の行き過ぎがあるかもしれないが予測できない津波災害、命そのものにかかわる事ですから…



市役所など指導者の消極性 : 実際はどういうつもりだったのだろうか? 昨年来の鍬ヶ崎地区まちづくり検討会の期間を通じて,コンサルタント、市長、副市長、市会議員、市職員など市政の指導者が鍬ヶ崎の高台移転に積極的でなかった。まともに議題に取り上げられた事はなく、真剣に討議された記憶もなく、鍬ヶ崎人自身が真綿で首を絞められたようにその問題からいつも遠ざけられて今日に至っている。今回の条例施行によってその傾向が固まるようなことがあってはならない。
 国の最大の復興事業は被災地区の高台移転でありました。たとえ国がそれを忘れても被災自治体政治の中心課題は「高台移転」でなければなりませんでした。まず高台に市民を落着かせ生活の基盤をつくることが政治の第一歩なはずでしたが、このところが最初からの煮え切らない姿勢はなんだったのでしょうか? それが地区まちづくり検討会のリーダーたちにも伝染して地区住民をまとめるどころかコンサルタントの単なる補助、補完機能に終始したように思います。コンサルタントは住民の立場に立って高台移転をやる気はなかったと思います。決断的な事は政治がするするしかないのです。政治はコンサルタントに魂を売ったか、最初からそのようにコンサルタントを操ったか? 疑問が残る。


移転実務の面倒さ : 移転先の土地の選定、交渉、造成実務、コミュニティづくり、移転元の合意形成、個別相談、防災集団移転促進事業等の運用など、時間不足、専門職員不足の中で面倒な実務が多い事は分かる。しかしその事と初めからこの問題を投げ出す事は違うはずである。移転先の土地一つとって見ても、広大な後背候補地から得られる情報は少なかった。唯一浄土ヶ浜県道沿いの土地も塩漬け状態であるように思う。これでは移転意欲はわいてこない。問題が上の方で投げ出され(放棄され)ているのでないかの不安がある。
 これまでの高台移転実務の経過を早急に情報公開していただきたいと思う。といいながらこの一年間では手に余るほどの実務実績、また情報の出し入れがあったのかとつい悲観的に考えてしまうが上位政府とのやりとり、候補地選定の経過、などなど、なるべく詳しく示すべきである。正すところは正して、官民協力して再出発をしなければならない。


アンケートの設問 : 被災者への度重なるアンケートがあった。しかしその設問はどれも高台移転を前提にしたものではなかった、高台移転への希望の余地のあるものでもなかった。単に住みたい地区を求めたり何人家族かなどの設問では高台移転の住民の考え方は出てこない。もっとしっかりした高台移転政策があり、高台の団地、住居構想が宮古市にあればアンケートの設問も回答も劇的に変わったものになると思われる。被災住民は本当はそれを望んでいるのではないかと思われる。
 3.11大津波から17ヵ月、当初から高台移転は国の復興計画の筆頭であったが、宮古市の被災者へのアンケートを何度読んでも「高台移転」に関する質問がない、アンケートの答にも「高台移転」がない、アンケートのまとめにも「高台移転」がない。「高台の公営住宅」はあるが「高台移転」はないという徹底ぶり。これでは被災者から意識的に高台移転を引き離しているようなものだ。正面から高台移転についての意見や、意欲、意向、に向き合っていない。意識調査というこれまでのアンケートとはなんだったのか? 繰り返すが、もっとしっかりした高台移転政策があり、高台の団地、住居構想が宮古市にあればアンケートの設問も回答も劇的に変わったものになると思われる。被災住民は本当はそれを望んでいるのではないかと思われる。


真剣に移住を考えている : 「住居の現地再建が可能」とか言われても言葉は軽いし住宅建設は事実上非常に困難である。鍬ヶ崎の住民は高台移転にかぎらずに今必死で非危険区域への移転を考え、候補地をさがしている。近くの高台、宮古市内、盛岡など、とにかく津波から遠い場所を安心な住まいとしてこころから望んでいる。
 高台移転は集団でも、また個人でも、なんらかの国の支援が得られるものと思われるが、それら国の事業、法律には宮古市に橋渡しをしてもらうことになる。宮古市がそれをしないというのであれば、鍬ヶ崎住人はそのようにどこそこに自分で見つけて出て行くしかない。


土地の値下がり : 区画整理事業によって土地の値段が上がるとか言われてもいるが津波地帯には変わりがなく市場原理からすれば人為的にそのようなことは望めない。鍬ヶ崎に吹く風はそのように依然として逆風でそれに防潮堤によって海への視界が遮られ昔の情緒が消えてしまえばますます住む人も居なくなり外からの移住者もなくなって街が消えてしまうのではないかと心配される。そうなればそれは仕方がない事でもある。



──高台移転には将来の防災の意味もあり、過去のコミュニティ維持の意味もある。同時に当面する被災者の経済的理由もあるわけです。鍬ヶ崎の再建復興はいろいろな理由で公の防災集団移転促進事業等を活用した高台移転にすがるしかないように思われる。津波によって崩壊した街が最後に消えてしまう前に早急に高台に生活基盤(住居)を移し、被災跡地は基本的に経済(職場)に特化した産業立地地帯として再建、復興するべきである。

以上



編集つづく











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