えそらごと 前ページの野立て看板の写真はスケールの貧弱さに新防潮堤の思想の貧弱さを見る思いであった。このページのこの写真の方は、あまりにもその描写がリアルで、圧倒的決定打的押し出しである。もうすべてが決まったような…。一方では描いてみただけの絵空事(えそらごと)であることを免れない。
完成図はブログ<きたさんのブログ>(2013.3.21)より ※赤字はきたさん
せかせられ なぜここにきて忙(せわ)しいのかといえば防潮堤の計画は市街地の復興計画(区画整理、高台移転等)とセットになっていて予算とその執行期限に追い立てられているからである。しかし追い立てられ追い立てているのは行政である。そのせいで住民の地区からの流出も止まっていないのだ。住民はあくまでも慎重でなければならないと思う。セットであろうと個別であろうと中途半端な計画は将来に禍根を残すだけである。まさにここからの住民の判断が大事になる。完成図はただ一途に住民に決定へのスピードを促しているだけのようだ。
全戸移転 この絵では私には右上の移転高台の街並みが輝いて見える。全戸移転であれば地区の団結ももっともっと高まりもっとよかったと思う。非浸水世帯の場合でもコミュニティ復興の意味からも希望世帯は移転可能とすべきだったのだ。しかしこの高台には大きくひとくくりついた安心感があるように見える。希望世帯の移転を果たすべきだ。
国道からは見えない 絵を見れば見えるように思うであろうが国道を走るクルマからは何も見えない。震災前もそうであった。潮のにおいも波の音も聞こえなかったように思う。地元の人はこの絵を見て海も港も工場も理解できるが、国道のクルマや三鉄のお客さんはそれがわからない。田老には海がないと思うようになる。
城の城壁 まえに長城といわれた防潮堤はこの完成図では大きな城の城壁に見える。海側は絵では色彩豊かな明るい港湾に見えるが、実際は、灰色に沈下して、壁が海側に寄った分砂浜も完全になくなり、親水どころか風通しも見通しも落ちて人を寄せない船泊まりや作業場になるように思う。いまはわからないが震災前の岩泉町小本港海岸はテトラポットがゴロゴロした汚い海岸の印象であった。なぜ第1線堤を海側に移したのであろうか? と思う。