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2011.6.1~。大津波、宮古市、鍬ヶ崎復興計画。陸中宮古への硬派のオマージュ。 藤田幸右(ふじたこうすけ) 管理人

達増拓也知事宛、宮古市区画整理案への意見書

2013年03月22日 | どうなる鍬ヶ崎

 

宮古市「鍬ヶ崎・光岸地地区土地区画整理事業」に関する意見書
●印は要旨
 

 

 <経 過>

 ・復興まちづくり計画がいつの間に鍬ヶ崎地区土地区画整理事業と重なり、UR都市機構の請負となる。(2012.7.12 地区説明会)

・区画整理事業意向調査説明会。(2012.9.19 地区説明会) ──いまだに調査結果の説明はない。

・復興まちづくり計画がいつの間に土地利用計画に移り市による土地の買い取りが始まる。(2012.12.19 地区説明会)

・「鍬ヶ崎・光岸地地区土地区画整理事業を都市計画決定」の広報。(2012.12.28 広報誌)

・同じ内容のものが都市計画案と事業計画案の二案として、それぞれ縦覧と意見書の提出を求められる。前者の意見書は宮古市長に、後者の意見書は岩手県知事に、と。(2013.2.21 地区説明会)

 
●何より鍬ヶ崎・光岸地地区区画整理事業を、震災前策定の「宮古市総合計画」や「都市計画」に繰り込む形で無条件的にスケジュール化している。この経過は違法でないかと思う。少なくともそれらの「計画」は被災住民の意向決定に代わりうるものではないはずだ。
 

 

 <意見書>

 宮古市は自らも復興まちづくりの意義を整理できないままに、混沌とした土地区画整理事業を進めるつもりのようである。光岸地・鍬ヶ崎地区住民の合意をとらず、説明会も終始アリバイ的でおざなりである。例えば「土地の買い取り」はその目的も内容も結果も明確でない。減歩率も名目20%を超えて当初の説明と違っている。防潮堤デザイン変更の説明がない。説明会への参加者も少なく集める努力も見えない。このように節目節目の決定事項や個々の計画変更の意味を説明することもなく、住民との合意形成がなされていない状態がつづいていているのに、ただただ形式的にスケジュールを前に進めている。

宮古市民の間で災害に対する意識の温度差があるとはいえ、当該地区以外の宮古市民への説明はまったく行われておらず、従って一般市民の同情の声も反発の声もだんだん薄れて光岸地・鍬ヶ崎地区住民の孤立感は深刻である。地区からの住民流出の加速要因にもなっているといえる。同様なことが宮古市議会でも起こっていると聞くが、市会議員のこの問題に対する不勉強、無関心は目を覆うばかりである。


 ●この計画は住民との合意形成がなく宮古市行政の前代未聞の独善的計画となっている。市議会案件にもならず、公聴会等も開かれていない。はじめから再検討の必要がある。



 
 そもそも宮古市長は市民にどんな利益があってこの計画を実行するのか? いつ、誰が、どんな手続きで事業の意向決定をしたのか? 全く説明されていない。近未来に、遠未来に、いまだに確信のない内容で、実際に事業を進めていいのかどうか?

なによりも地元住民との合意形成がないままである。岩手県知事にあってもそのところを精査して差し戻し判断を下していただきたい。

はっきり言って、このまちづくり事業は地区の特性を無視した、どこも同じ街並のUR都市機構の事業である。官×官と官×業(UR都市機構)主体で進めてきた事業である。市民や被災住民がはっきり忘れ去られている。事業のスケジュールを進めるより先きに、原点に返って、岩手県も宮古市と一体になって宮古市民に向かって再度この事業の説明責任を果たすべきだ。そしてもう一方の原点に返って、宮古市民の意思をていねいに確かめる必要がある。とおり一遍ではなく岩手県知事・宮古市長は被災地宮古市民の総意思の取りまとめに精力を注ぐべきではなかろうか? 遠回りのようであるがその方が近いのでは…

(2013.3.21)

以上

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
コメント (3)
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