山賀兵藤次秀遠(ひでとう)、数千騎で御迎えに参る。平家は秀遠に具せられて、山賀の城にぞ籠り給ふ。
山賀へも、又敵寄すと聞えしかば、取る物も取りあへず、平家は、小舟どもにとり乗つて、夜もすがら、豊前国柳が浦へぞ渡られける。(平家物語巻八)
山賀と山鹿は同じ。麻生氏が城に入ったのは、江戸時代の頃である。言葉の音があってから文字がある時代ですね。
地図の右下の小さな丘の上に城址がある。城は北九州最大といわれる遠賀川(おんががわ)に面しており、響(ひびき)灘の海につながる。
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川沿いに「大君」というバス停があった。里山に100mほど近づくと、碑が立っており、満開の桜のある辺りに鳥居が見えた。
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いい道路があるが、私有の土地なのか、車は入れないように柵がしてあった。
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昭和9年建立の鳥居には「大君神社」とある。資料館の学芸員の言う御所のあった位置であろう。山鹿氏は壇ノ浦で、平家方につき戦さ破れて、故郷に帰ってきて、安徳天皇を祀ったという。
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山鹿秀遠のパネルも資料館に展示されていた。
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さて
8月1日(八朔)に秋の稔りを願うとともに、わが子の健やかな成長を願って、藁馬(イグサ)をつくり、近所に配る風習が300年以上前から伝わっていると言う。
藁馬には武将の名や世に出た人の名を書いた幟を背負った武者を乗せる。芦屋町独特のものらしく、福岡東海大学などの応援もあって、ふるさと興しで、盛んになっている。
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ところで、この芦屋町で映画「トラトラトラ」のロケが行われたことがある。
ロケの名残りか、誰かが持ってきたのか、大きな碇が砂浜に置いてある。平家が難渋した砂浜である。
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空母「赤城」 ゼロ戦3機
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戦艦「長門」 撮影の合間に訪れる一般の人々。
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当時の撮影のジオラマが展示されていた。芦屋町の「何でもあり」の歴史民族資料館であった。詳しく語ってくれた学芸員さんに感謝である。
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当時はCGなど無いですから
こういう大掛かりな作品は撮影が大変だったでしょうね
あの大きなテーマの映画が、ひっそりとこんな所で出来ていたとは驚きでした。
先日TVでやっていましたが、発泡スチロールで軍艦を制作していましたよ。北陸のほうの注文だったようで、大きな実物大でした。また、テーマパークが増えそうです。
いるのですね。素晴らしいことです。
現在内戦のないわが国は、平和に過ごしていますが
朝鮮半島や先日訪れた台湾など世界では、まだ同民族の戦争が続いています。早く世界中が平和になると
いいですね。
親子連れが入館して射ましたが、ぱらぱらと見学する人もいるようでした。
小さな町でしたが、曰く因縁の一杯詰まった町でした。