野田聖子が第三者の卵子提供を受けて出産したという。
50歳という高齢での出産。
非嫡出子の出産。
他人の卵子による出産。
どれをとっても今の日本社会では差別的に見られる事項ばかり。
少しインターネット上での野田議員の評価を見ると、どれを読んでもバッシングばかり。
自分勝手で子供のことを考えてない。
お金があるからできたことだ。
海外でしかできないことは、日本の法律の穴を自ら証明しながらその改正にはなにもやってない。
少なくとも結婚くらいするべきだった。
など等、すごい批判の数々。
っということは、日本人はみんな野田議員がやったことに否定的な目で見ているのだろうか?
私は彼女の勇気ある決心を高く評価したいし、出産を心から祝福したい。
日本という保守的な社会に真っ向から戦いを挑んでいるように見える。
お金があるからできたとかできなかったとかは別にしても、不妊治療をしているたくさんの人を勇気付けたと思う。
籍が入っていたって、崩壊した家庭なんて五万とある。
そんな家庭に生まれた子より、籍が入ってなくったって幸せな家庭に生まれたほうが幸せに決まってる。
遺伝子が入っていようが入ってなかろうが、産んだ子であろうが養子であろうが、我が子は我が子。
我が子を自分のお腹で育てて産みたいという女性の気持ちは自然だと思う。
卵子を提供してもらうことの何が悪い?
どうしてそんなに"かたち"が重要なんだろう。
「生まれた子がかわいそうだ。」っというのは、かわいそうだと思うそいつらたちが、そういう偏見の目をもってその子をかわいそうな子に仕立て上げているだけじゃないか。
子供をかわいそうにしているのは、産んだ野田議員ではなく、そう言っているそいつらじゃないのか。
生まれてきた赤ちゃんには、野田議員の勇気ある行動と、日本の社会のゆがみを証明している自分自身に誇りをもって堂々と生きて行って欲しい。
モデルの佐藤かよが実は男の子として生まれたことを発表したとき、日本ではその勇気ある告白に拍手を送った。
このニュースはアジアを中心に大きく取り上げられ、アメリカにも届いたけど、ほとんどの国での反応は「うぇ~きもちわり~」というもので、なぜ日本人が彼女に拍手を送っているか理解できないという見方のほうが多かった。
私はこのとき、日本をすごく誇りに思った。
何が普通で何が異常だとか、男は男らしく女は女らしくなくてはならないとか、夫婦は同姓でなければならないとか、子供は遺伝子あって初めて我が子だとか、そういう定義に沿ってなければ人並みの人権を得られないなんて社会は古すぎると思う。
赤ちゃんが欲しいのであれば、どんなかたちをとってもいいじゃないか。
自然妊娠、人工授精、体外受精、卵子提供、養子。。。
これは良くてこれはだめとか、ここまではOKだけどここからは行き過ぎとか、誰が線を引いているんだろう。
野田議員には今後大いに頑張ってもらって、夫婦別姓を法律上可能にし、日本でも卵子提供が受けられるように法律改正し、そしてさらには卵子提供を含めた不妊治療すべてに保険がきくように頑張って欲しいと思う。
不妊治療に頑張っている友達が言っていた。
少子化対策とかなんとかで、子供をこれ以上つくるきがない人たちにばらまくお金があるんだったら、今赤ちゃんが欲しくても欲しくても経済的理由で不妊治療を継続できないカップルに補助金を出せばいいじゃないか、保険が体外受精にきくようにすればいいじゃないか。
まず欲しいという人たちに、子供を持たせてあげる努力をするほうが先決なんじゃないか。
野田議員がやって世間を騒がせたことで、より多くの人たちがこのことに関心をもち、日本が変わってくれたらいいなぁっと思う。
・・・・う~ん、でもこれだけ批判的に見ている人が多いところからすると、まだまだそう簡単にはかわらないだろうなぁ~~~。
50歳という高齢での出産。
非嫡出子の出産。
他人の卵子による出産。
どれをとっても今の日本社会では差別的に見られる事項ばかり。
少しインターネット上での野田議員の評価を見ると、どれを読んでもバッシングばかり。
自分勝手で子供のことを考えてない。
お金があるからできたことだ。
海外でしかできないことは、日本の法律の穴を自ら証明しながらその改正にはなにもやってない。
少なくとも結婚くらいするべきだった。
など等、すごい批判の数々。
っということは、日本人はみんな野田議員がやったことに否定的な目で見ているのだろうか?
私は彼女の勇気ある決心を高く評価したいし、出産を心から祝福したい。
日本という保守的な社会に真っ向から戦いを挑んでいるように見える。
お金があるからできたとかできなかったとかは別にしても、不妊治療をしているたくさんの人を勇気付けたと思う。
籍が入っていたって、崩壊した家庭なんて五万とある。
そんな家庭に生まれた子より、籍が入ってなくったって幸せな家庭に生まれたほうが幸せに決まってる。
遺伝子が入っていようが入ってなかろうが、産んだ子であろうが養子であろうが、我が子は我が子。
我が子を自分のお腹で育てて産みたいという女性の気持ちは自然だと思う。
卵子を提供してもらうことの何が悪い?
どうしてそんなに"かたち"が重要なんだろう。
「生まれた子がかわいそうだ。」っというのは、かわいそうだと思うそいつらたちが、そういう偏見の目をもってその子をかわいそうな子に仕立て上げているだけじゃないか。
子供をかわいそうにしているのは、産んだ野田議員ではなく、そう言っているそいつらじゃないのか。
生まれてきた赤ちゃんには、野田議員の勇気ある行動と、日本の社会のゆがみを証明している自分自身に誇りをもって堂々と生きて行って欲しい。
モデルの佐藤かよが実は男の子として生まれたことを発表したとき、日本ではその勇気ある告白に拍手を送った。
このニュースはアジアを中心に大きく取り上げられ、アメリカにも届いたけど、ほとんどの国での反応は「うぇ~きもちわり~」というもので、なぜ日本人が彼女に拍手を送っているか理解できないという見方のほうが多かった。
私はこのとき、日本をすごく誇りに思った。
何が普通で何が異常だとか、男は男らしく女は女らしくなくてはならないとか、夫婦は同姓でなければならないとか、子供は遺伝子あって初めて我が子だとか、そういう定義に沿ってなければ人並みの人権を得られないなんて社会は古すぎると思う。
赤ちゃんが欲しいのであれば、どんなかたちをとってもいいじゃないか。
自然妊娠、人工授精、体外受精、卵子提供、養子。。。
これは良くてこれはだめとか、ここまではOKだけどここからは行き過ぎとか、誰が線を引いているんだろう。
野田議員には今後大いに頑張ってもらって、夫婦別姓を法律上可能にし、日本でも卵子提供が受けられるように法律改正し、そしてさらには卵子提供を含めた不妊治療すべてに保険がきくように頑張って欲しいと思う。
不妊治療に頑張っている友達が言っていた。
少子化対策とかなんとかで、子供をこれ以上つくるきがない人たちにばらまくお金があるんだったら、今赤ちゃんが欲しくても欲しくても経済的理由で不妊治療を継続できないカップルに補助金を出せばいいじゃないか、保険が体外受精にきくようにすればいいじゃないか。
まず欲しいという人たちに、子供を持たせてあげる努力をするほうが先決なんじゃないか。
野田議員がやって世間を騒がせたことで、より多くの人たちがこのことに関心をもち、日本が変わってくれたらいいなぁっと思う。
・・・・う~ん、でもこれだけ批判的に見ている人が多いところからすると、まだまだそう簡単にはかわらないだろうなぁ~~~。
子供が育つのは早いもので、気付けばもう7歳。
誕生日を楽しみに、楽しみに、楽しみにしていたマー君のために、今回はボーリング誕生日パーティーを開きました。
ちょっとお金はかかったけど、向こうがいろいろやってくれるので、準備は断然楽。
1時間ボーリングを楽しんだところで、面白い気ぐるみが出てきて、音楽がなりだしダンスが始まった。
子供達は誰でも知っているダンスのようで、みんなボーリングマン?と一緒に、リズムにのってダンスダンス。
それからピザが運ばれてきて、みんなでランチ。
今回はママが張り切ってケーキを作りました!!!
まぁ、アメリカのケーキが嫌いだから作ったんだけど。
最近どこのご家庭でも子供の誕生日を派手に祝うもので、子供の期待も大きい。
子供の期待に応えるのも容易ではありません。。
とりあえず終わって親としては、『ほっ』
誕生日を楽しみに、楽しみに、楽しみにしていたマー君のために、今回はボーリング誕生日パーティーを開きました。
ちょっとお金はかかったけど、向こうがいろいろやってくれるので、準備は断然楽。
1時間ボーリングを楽しんだところで、面白い気ぐるみが出てきて、音楽がなりだしダンスが始まった。
子供達は誰でも知っているダンスのようで、みんなボーリングマン?と一緒に、リズムにのってダンスダンス。
それからピザが運ばれてきて、みんなでランチ。
今回はママが張り切ってケーキを作りました!!!
まぁ、アメリカのケーキが嫌いだから作ったんだけど。
最近どこのご家庭でも子供の誕生日を派手に祝うもので、子供の期待も大きい。
子供の期待に応えるのも容易ではありません。。
とりあえず終わって親としては、『ほっ』
アメリカは英語の国、そして英語はいまや国際語として通用している。
この英語のおかげでアメリカは多大な利益を享受してきたと思う。
人も、国家も、経済も。
ただ海外旅行に行って便利だなんて、レベルじゃない。
直接的なところで言えば、英語産業とでも言おうか英語の教師派遣、語学学校や留学生の受け入れ、教材販売でもかなり儲けている。
一般企業も英語ゆえに海外進出しやすく、英語ゆえに取引が優位に立つ。
ものやサービスを売るのだってそうだ。
こっちが相手に合わせなくても、相手がこっちにあわせてくれる。
インターネットの普及でボーダレスになり、それがより顕著になった。
日本のウェブサイトは日本語で書かれている限り、いくらインターネットでもやっぱり市場は日本だ。
それが英語で立ち上げれば、立ち上げたその日から市場は世界になる。
本当のボーダーレスを享受しているのは、英語を日常使う人々だろう。
子供たちだって、英語を勉強するために費やす時間や労力や費用をもっと他のことにつかうことができる。
もちろんアメリカ人の子供も外国語を勉強はするけど、お遊び程度。
私たち日本人が通らなければならない英語の過酷さとは比較にならない。
あれはほぼ我慢大会に近かった。
こうやって、アメリカは英語の国というだけで、私たちには計り知れない利益をこうむって来たわけだけど、今ここに来て国際語だから面している驚異がある。
仕事がどんどん低賃金の国に取られていっている。
中国が世界の工場となり、モノ作り日本では産業の空洞化が起こったように、アメリカでは今サービスも空洞化しつつある。
たとえばカスタマーサービスやセールスの電話。
実は電話でしゃべっている相手は、インドにいるインド人だったりする。
電話代なんて無料に近くなった今、コールセンターをアメリカにおいておく意味なんてない。
大手の会計士事務所では、税務申告書作成をこれまたどんどんインドに委託している。
インドでは米国CPAを取る人が急増しているらしい。
この前うちの会社にコンサルティング会社の人が来ていた。
彼の会社は、企業の多国籍化のコンサルティングをしているらしく、進出しようとしている国の事情を調べ、弁護士会計士を手配して、現地支社を立ち上げるところまで手助けする。
その仕事のほとんどを実はインド、マレーシア、フィリピンなど、英語を話す低賃金の国でやっているんだから、なかなかやりてだ。
この傾向が今加速度的に進んでいる。
私の仕事だって、いつインドに取られるかわからない。
インターネットと電話とファックスがあればほとんどの仕事はどこにいてもできるんだから、アメリカにいる必要はない。
いったいどれくらいの速さで進行するか、検討がつかない。
一旦始まったら早いはず、そしてそれはもう始まっている。
もちろん日本にこの驚異がないとは言い切れないけど、ひどい訛りの外国人をカスタマーサービスの窓口にはしないだろう。
日本語は大変特異な言語なため、日本人にとって外国語を習得するのはたいへんだけど、同時に外国人にとって日本語を習得するのは大変難しい。
それに英語のように、いろんな訛りで話されている言葉とちがって、日本語は『標準語』の発音でなければビジネスで使いにくい。
そういう背景を考えると、サービス業まで外に取られる心配は、アメリカの比ではない。
英語ゆえに利益を享受してきたアメリカ。
今、英語ゆえに苦しむ時代に直面している。
この英語のおかげでアメリカは多大な利益を享受してきたと思う。
人も、国家も、経済も。
ただ海外旅行に行って便利だなんて、レベルじゃない。
直接的なところで言えば、英語産業とでも言おうか英語の教師派遣、語学学校や留学生の受け入れ、教材販売でもかなり儲けている。
一般企業も英語ゆえに海外進出しやすく、英語ゆえに取引が優位に立つ。
ものやサービスを売るのだってそうだ。
こっちが相手に合わせなくても、相手がこっちにあわせてくれる。
インターネットの普及でボーダレスになり、それがより顕著になった。
日本のウェブサイトは日本語で書かれている限り、いくらインターネットでもやっぱり市場は日本だ。
それが英語で立ち上げれば、立ち上げたその日から市場は世界になる。
本当のボーダーレスを享受しているのは、英語を日常使う人々だろう。
子供たちだって、英語を勉強するために費やす時間や労力や費用をもっと他のことにつかうことができる。
もちろんアメリカ人の子供も外国語を勉強はするけど、お遊び程度。
私たち日本人が通らなければならない英語の過酷さとは比較にならない。
あれはほぼ我慢大会に近かった。
こうやって、アメリカは英語の国というだけで、私たちには計り知れない利益をこうむって来たわけだけど、今ここに来て国際語だから面している驚異がある。
仕事がどんどん低賃金の国に取られていっている。
中国が世界の工場となり、モノ作り日本では産業の空洞化が起こったように、アメリカでは今サービスも空洞化しつつある。
たとえばカスタマーサービスやセールスの電話。
実は電話でしゃべっている相手は、インドにいるインド人だったりする。
電話代なんて無料に近くなった今、コールセンターをアメリカにおいておく意味なんてない。
大手の会計士事務所では、税務申告書作成をこれまたどんどんインドに委託している。
インドでは米国CPAを取る人が急増しているらしい。
この前うちの会社にコンサルティング会社の人が来ていた。
彼の会社は、企業の多国籍化のコンサルティングをしているらしく、進出しようとしている国の事情を調べ、弁護士会計士を手配して、現地支社を立ち上げるところまで手助けする。
その仕事のほとんどを実はインド、マレーシア、フィリピンなど、英語を話す低賃金の国でやっているんだから、なかなかやりてだ。
この傾向が今加速度的に進んでいる。
私の仕事だって、いつインドに取られるかわからない。
インターネットと電話とファックスがあればほとんどの仕事はどこにいてもできるんだから、アメリカにいる必要はない。
いったいどれくらいの速さで進行するか、検討がつかない。
一旦始まったら早いはず、そしてそれはもう始まっている。
もちろん日本にこの驚異がないとは言い切れないけど、ひどい訛りの外国人をカスタマーサービスの窓口にはしないだろう。
日本語は大変特異な言語なため、日本人にとって外国語を習得するのはたいへんだけど、同時に外国人にとって日本語を習得するのは大変難しい。
それに英語のように、いろんな訛りで話されている言葉とちがって、日本語は『標準語』の発音でなければビジネスで使いにくい。
そういう背景を考えると、サービス業まで外に取られる心配は、アメリカの比ではない。
英語ゆえに利益を享受してきたアメリカ。
今、英語ゆえに苦しむ時代に直面している。
一日にいったい何度カレンダーを見るだろう。
「あと2ヶ月、あと2ヶ月」と一日にいったい何回唱えるだろう。
あ~、待ち遠しい。
「早く赤ちゃんが産まれて来て欲しい。」という待ち遠しさと、
「この妊娠の苦痛から早く開放されたい。」という待ち遠しさと、
「産休に入って、仕事とおさらばしたい。」という待ち遠しさ。
このどれか一つだけでも十分待ち遠しいのに、3本立てですから待ち遠しさも3倍、いや3乗倍。
一分一秒が待ち遠しい。
まだあと2ヶ月。
ながぁ~い2ヶ月になりそう。
「あと2ヶ月、あと2ヶ月」と一日にいったい何回唱えるだろう。
あ~、待ち遠しい。
「早く赤ちゃんが産まれて来て欲しい。」という待ち遠しさと、
「この妊娠の苦痛から早く開放されたい。」という待ち遠しさと、
「産休に入って、仕事とおさらばしたい。」という待ち遠しさ。
このどれか一つだけでも十分待ち遠しいのに、3本立てですから待ち遠しさも3倍、いや3乗倍。
一分一秒が待ち遠しい。
まだあと2ヶ月。
ながぁ~い2ヶ月になりそう。