白杖のトライリンガル

難聴だけじゃない?網膜色素変性症を併せ持つアッシャー症候群の息子達の日常を母の目からつづります。

ラスベガス3日目。

2008-12-29 14:35:49 | 仕事
ラスベガスって、南のほうで砂漠の中で暑いとばかり思っていた。
結構寒いのにびっくり。

タクシーの運ちゃんに聞いてみると、やっぱり例外に寒いらしい。

なぁんて、言ってたら午後になって雪がちらほら。
5時ごろ、さて空港に向かおうかというところで、見知らぬおっちゃんが、「空港は雪で閉鎖されたらしいよ。」

「はぁ~~~~?雪って、たったこれしきで閉鎖はないでしょう。」

ど、どうしよう。
帰れないじゃん。

おどおど、パニック。

とりあえず、すぐにホテルを取る。
それからボスに電話でいきさつを知らせる。

じつは同じ日に例の昭君はユタ州にこれまた仕事で行っていました。
ボス曰く、彼も雪のため足止めになっているとか。
でもあちらは大雪ね。
携帯にメールを送って、励ましあう。

まぁ、帰れないものはどうしようもない。
せっかくだからもう一晩ラスベガスを楽しんでいきましょう。

雪で外に出たくないし、きーちゃんとは連絡がつかないしで、私は一人バーにでも出かけることにした。

そういえば、会社を出る前同僚の一人に
「ラスベガスに一人で行くのに、結婚指輪をはめていかないのか?」
っとあきれたように言われた。
結婚指輪をはめてないのは、わざとじゃなくて太って入らなくなったから仕方ないのよ。

夫にメールで
「バーにでも行ってビール飲んでくる。スロットマシーンでもやってみるよ。」
っと入れるとその答えは
「どうぞ楽しんで」とのこと。
同じようなメールを昭君に送ると。
「え?バーに一人で?危ないよ止めときなよ。」
とのこと。
どっちが夫や?

この夜、一人でうろうろして軟派された数は5回。
あの、私既婚30代二児の母ですけど。。。
まぁ、まだまだ女としていけるということで、嬉しく思おうではありませんか。
もちろん、その一人と遊ぶなんていう勇気も度胸も興味もなく、10時にはホテルに帰ってきて寝ました。

結婚して9年近くが過ぎ、初めての一人旅。
独身気分を満喫した出張でした。

あとで聞いた話だけど、ラスベガスに雪が降るのは8年ぶり、雪で空港が閉鎖されるのは29年ぶりだそうです。
キーちゃんとの旅行と重なるし、なんていうタイミング。

ラスベガス

2008-12-29 14:28:06 | その他
仕事の関係でまたラスベガスに行くことになった。
でも今回は私一人。
前回は文句言いながらも連れがいた。
一人の出張ほどつまらんものはない。

なんてぶーぶーふてくされているたところ、なんときーちゃんがたまたま同じ日にラスベガス旅行を計画していたことがわかった。

え~、こんな偶然ってあるの?
いや、もう本当にびっくり。
私は2泊の予定だから、夜仕事が終わってから一緒にショーでも見に行こうということになった。

仕事が終わって一旦ホテルの部屋に帰ってからおめかししなおして出る。
ちょっとがんばってミニスカートなんかはいちゃう。

待ち合わせの場所についてもキーちゃんはまだいない。
まったくもう、いつも時間に遅れんるんだから。

ぼけーっと待っていると、白人の男が寄ってきた。
"Hi, are you Japanese?"
"yes"
「こんにちは」

来たー、日本人好きの外人。
いるんだよねぇ、日本人を狙って軟派してくる外人。
でも、携帯に電話がかかってきてすぐにどっかへ行ってしまった。

また孤独に待つ。
5分。まだこない。

また違う白人男がやってきた。
"Hi, are you Japanese?"
"yes"
「こんにちは」

まったく同じせりふ。

"are you lonely tonight? do you have a company" (君今夜は一人?連れはいるの?)

あまりにも久しぶりの軟派で、私のほうはちょっとしどろもどろ。
昔番茶も出花だったころは、こんなの慣れっこで、ちょちょいとあしらっていたものなのに。

こいつは結構しつこくいろんな質問をしてくる。
きーちゃん、まだぁ???

っとそのとき、きーちゃんときーちゃんの妹さんが、くすくす笑いながらこっちを見て、通り過ぎるように歩いているじゃないですか!
まったくぅ、何してたのよぉ!!!

この軟派の話は、結構後まで話題になりました。
だって、私30代二児の母よ。ギャグでしかないよ。
でもさぁ、私が軟派されてどうするよ。
独身のキーちゃんがされなきゃ意味ないじゃん。
同じところに15分くらい立ってたら?


そんな冗談を交わしながらシルクドソレイユのゴージャスなショーを楽しんで帰ってきました。
いやぁ、今までいろんなショーを見たけど、これはすごかった。
お勧めです。

ショーが終わってからも、喫茶店に入ってまたしゃべるしゃべる。
久しぶりに会うと、話したいことが山ほどで、いくらしゃべっても尽きない。
話題に持ち上がるのは?もちろん男のこと。
独身のきーちゃんと一緒にいると、私も若返りした気分になる。

出張でいやいやながら行ったラスベガスが、楽しい旅行になりました。

遅くなりましたがご報告

2008-12-24 10:51:00 | その他
ご報告

無事、私の同僚昭君(台湾人27歳)と大学時代からの親友きーちゃんを会わせることができました。
約3時間半、いやぁ、なかなか面白かった。

待ち合わせは5:40、私たちは仕事を早めに切り上げて出ることに。
心の準備のためと思って、2年前日本に行ったときの写真を見せる。

「これが私の女子寮時代の親友たち。きーちゃんはこの子ね。いつも私を含めたこの5人でつるんでたのよ。」
「へぇ、じゃぁみんな30代?」
「うん、でも、私以外みんな独身。」
「それって。。。」っと言いながら紙に何かを書き出した。
「こう言うんじゃないの?」見るとそこには
『負犬』と書いてあるじゃぁありませんか!!!

「こら!そんな言葉なんで知ってんのよ!そんなこと言ったらだめだからね!!!」
恐ろしや台湾人。
何でも知っている。。。

さて5:40分になって二人で待ち合わせのロビーに降りたものの、きーちゃんはまだ来てない様子。

「ねぇ、何語で話したらいいの?」っと昭君。
「昨日電話で話したんだけど、中国語が久しぶりに聞きたいって言ってたよ。」
「中国に1年住んでたんでしょ?」
「うん、でも10年も前の話だから、どれくらい覚えているか知らないけど、本人が聞きたいって言ってんだから、中国語で話してあげたら?」

そこへきーちゃん登場。
とりあえず簡単な挨拶を交わし、サンフランシスコの町に歩き出す。
優しい昭君、すこしかがむようにキーちゃんを覗き込んで言う。(昭君は178cmアジア人にしては背が高いほう。一方きーちゃんは155cmといったところ。)

昭:「妳晩餐想要吃什麼?」(夕飯何が食べたい?)
昭君しゃべるのちょっと早すぎ。

きーちゃん:「え?」
準備ができてなかったきーちゃん。

すかさず私が仲に入る。
私:"Hey, you need to speak slowly and clearly. "(ほらちょっと、もっとゆっくりはっきりしゃべらなきゃだめじゃない。)

昭:"Oh, sorry soryy."(あぁ、ごめんごめん)

また覗き込むようにキーちゃんに言う。
昭:「 晩餐想要吃什麼?」

きー:「え、え~~?わかんない、何て言ったの?請再説一遍?(もう一度言ってください。)」

再度トライ
昭:「妳・晩・餐・想・要・吃・什麼?」
きー:「あ、は、はい。」

あ~だめだ、きーちゃん完全に緊張している。

私が訳す。
私:「何食べたいか聞いてるのよ。」
きー:「え~、良ちゃんに中国語まで訳されるなんてなさけなぁ~い。」


結局行き先はチャイナタウンに決定。
やっぱり中国人と一緒のときはチャイナタウンでしょう。

昭君に連れられてレストランに入る。もちろん中華料理、本物の中華料理。
オーダーは昭君にお任せ。
中華料理のお店では、中国語ができる人しか頼めないメニューがいっぱいあるのよね。

歩いてここまで来る間に、すこし緊張がほぐれたのか、きーちゃん進んで昭君に話しかける。

きー:「你為什麼来美国?」(なぜアメリカにきたのですか?)
ちゃんと通じたご様子で、昭君が答える。

昭:「ニエン シュー」
は?ニエン? そこで私ときーちゃんが想像したのは「年」

通じてないと察した昭君はもっとゆっくり繰り返す。
「ニエン シュー」
やっぱりクエスチョンマークが飛んでいる私たち。
通じてないと気づいた昭君、すかさず英語で言う。
"study"
ここでやっと分かった私たち。
「あぁ~、ニエンは『念』なのねぇ。ニエンシューは「念書」。私てっきり1year 2 years の年かと思った。」
きーちゃんも
「私もそう思った。」

昭:“What? Did you both misunderstood in the same way?” (何?君たちどっちも同じように勘違いしてたの?)


めげずに頑張って会話を続けようとするきーちゃん。
きー:「你的主修是什麼?」(専攻はなんだったんですか?)

昭君、にやっと笑って一言
昭:“What do you think?”(何だと思う?)

ん~、きーちゃんナイストライ、でも会計士に向かってその質問は愚問というもの。
きー:「あ、そっか。会計に決まっているよね。なはは」


何度聞き返されても、いやな顔ひとつせずに何度も言ってあげる昭君。
英語と中国語を混ぜながら必死でしゃべるきーちゃんに、これまた必死で耳を傾けて理解してあげようと努力する昭君。あ~、君は本当にええやっちゃ。
私はきーちゃんに「訳して」と頼まれるまでは、黙って見守ることに。
片言でがんばっているきーちゃんにエールを送る。

「加油、加油 (がんばって)」

まぁ、こんな感じで始まったものの、どんどん場がなごんで、きーちゃんも台湾訛にすこし慣れてきて、少しずつスムーズに会話が運ぶようになっていきました。

昭:「中文講得很好!」(きみの中国語すっごくうまいよ。)

きー:「我去中国遊学了十年以前」(でも中国に遊学したのは10年以上も前よ。)

昭:「什麼?十年前的事了?真令人吃驚!妳的記性真好!是日本女性記憶力特別好嗎?」(え?10年も前なの?それは驚きだなぁ。君の記憶力はすごくいいね。日本人の女性は特別記憶力がいいの?)

きー:「不是,所有的女人記憶力都很好的。」(ちがうよ、女はみんな記憶力がいいの。)

昭:「我絶対不能得罪女人.....」(女には絶対悪いことはできないなぁ。)

この会話を聞いていた私も、なんとか聞き取ることができました。。。


昭:「妳在日本的家在哪裡?」(日本のお住まいはどこですか?)

きーちゃん:「スーグオ(四国)」

四国なんて絶対分からないだろうと想定していた私たち。

昭:oh, it’s famous for noodle, right? U・do・n? (あ、ヌードルで有名だよねぇ。う・ど・ん?)

わ~すごいすごい。四国がうどんで有名なこと知ってるんだぁ。

昭:and dogs!
と言いながら手で前掛けみたいなジェスチャーをする昭君。
一瞬考えて、

私:「あ、土佐犬!Right! Wow, you know a lot! Great!」(そうよ、すごいじゃん、きみよく知ってるね。)

昭:Sorry, I don’t know anything other than that.(ごめんでもそれだけしか知らないんだよ)

私:yeah, because those are the only things they have”(うん、だってそれだけしかないもん。)
一同爆笑

私ときーちゃんは日本語でしゃべって、私と昭君は英語で話して、昭君ときーちゃんは中国語で話して、お互い聞こえてきた知っている単語から、想像に想像を膨らませて会話をする。

私は中国語を勉強しているし、きーちゃんだって英語はそれなりに勉強したわけで、それで会話がどうにか成り立つのはわかるけど、なぜか日本語を勉強したことのない昭君も、私たちが日本語で話していると会話に入ってくる。まるですべて理解しているように完璧なタイミングでその話題についてコメントを言うからぎょっとする。

いやぁ、3ヶ国語を交えての会話は、エネルギーをかなり費やすけど楽しかった。

っで?2人を無事くっつけることができたかどうかというと???
それは本人次第でしょう。

Eメールアドレスを教えて、今後も連絡を取り合うように何度も念をおしておいたけど、私ができるのはここまで。
二人ともお互いに対して悪い印象は持ってないと思うんだけどなぁ。

ただ2人がこっそり私に言った気になる一言。

きー:「ねぇ、昭君って良ちゃんの舎弟?」

昭:「君はかなりのボスざるだったみたいだね。きーちゃんとのやり取りを見ていたら分かるよ。」

ん?なにぃ?ちょっときみたち誤解してるよ。
私はそんなんじゃないわよ~~~。


いよいよ今日がその日

2008-12-13 09:53:15 | その他
私の大学時代の友人と、会社の同僚を会わせるという作戦が、ついに決行される日が来た。

どきどき、わくわく。
2人には、すでに相手のいい話を吹き込んでおいたから、相手に対する印象は悪くないはず。
さてこれで会うことでビビビとくることを期待しよう。

これでくっついて結婚することになれば。。。。うひひひ、笑いが止まらん。
絶対に成功させて見せるわ。

続きはお楽しみに。

くっつけて見せるぞ!!!

2008-12-09 08:02:10 | その他
大学時代の友人が今サンノゼに遊びに来ている。
妹さん夫婦が仕事の関係でサンノゼに赴任していて、彼女はその妹さんのところに遊びに来ているというわけ。

日本を離れて外国に住んでいる私にとって、学生時代の友達が遊びに来てくれることほどうれしいことはない。
話したいことがたくさんたくさんあって、何時間あっても尽きない。
できれば、そんな友達がアメリカに住んでくれたらいいのにっといつも願う。

そう、この友人まだ独身なのよね。
恋人募集中。
ちょっと、誰かを紹介して、それで結婚してこっちに住んでくれたらこれほど嬉しいことはないんじゃないの。

そう考えるといてもたってもいられなくなった。

よし、だれかいないかしら?

とりあえず、手っ取り早いところで彼女のいない同僚に声をかけてみることにした。
今いちばん仲のいい、台湾人の男の子27歳。
ん?ちょっと若すぎ?まぁ、良しとしましょう。

今サンノゼに来ている友達は、中国に一年留学していたこともあって、少々中国語ができる。
完璧な組み合わせと思いません?

早速彼女にこの話を持ちかけてみた。
27歳でもOKとのこと。
よっし、次は男のほう。
合コン文化のないアメリカや台湾、友達を紹介するというのもこっちではあまり聞かない。
どう説明したらいいものか。。。。

「ねぇ、6歳年上の女性ってどう思う?」
私の手前もあってか、彼の返事は「ぜんぜんOKだよ。」とのこと。
「今私の日本の友達が遊びに来てるのよね、前日本人の女の子でもいいって言ってたでしょ、ちょっとあってみない?ランチを一緒にするだけよ。私も行くからさ。もしタイプの子じゃなくっても、友達になるだけでも楽しいんじゃない。」
どきどき、なんと答えるか。
「面白そうだね。」
よっしゃ~~~、来たぞ~~。
「じゃ一緒にランチね。」

どきどきわくわく、絶対にくっつけて見せる!!!っと持っていた矢先。。。

「でもさ、コミュニケーションはどうやってとるの?彼女英語しゃべれるの?」
ぎくっ
「あ、結構理解できると思うよ、ゆっくりしゃべれば。。。」
彼女の英語力をまったく知らない私。
「でもね、彼女は中国語ができるのよ。」
「ホント?」
たぶん、これまたどれくらいできるか知らないし、留学したのはずいぶん前だからもう忘れているかも。。。
「うん、だから中国語と英語でコミュニケーションは取れると思うよ。」
適当に答える。

「でもね、コミュニケーションなんてそんなに問題じゃないって。重要なのはフィーリングよ。私の友達には国際結婚カップルがたくさんいるけど、みんなはじめから言葉が通じたわけじゃない場合が多いのよ。でも、付き合ううちに相手の言葉をマスターしていくのよ。」
「へぇ~そんなもんなの?」
「そうよ、だから大丈夫。」
説得、説得。
まずはここがスタートなんだから、ここはどうにか切り抜けなければ。

適当な言い訳を並び立てて、どうにかランチに会うことは決定。
この続きは後ほど。

絶対にくっつけて見せるぞ!!!!

中国語その後

2008-12-07 08:24:43 | その他
中国語にのめりこんで早一ヶ月以上が過ぎた。
しかし、言語というのはそう簡単ではなく、会話を楽しむまではまだまだ道のりが長いといった感じ。
でも、書き言葉だと、ずいぶんと理解ができるようになった。

YahooやGoogleでチャットをするようになった私。
会社で仕事が大変じゃないときや、夜子供が寝静まってから、相手もログインしているとすかさずチャットを送る。
相手には中国語で返してもらう。
私は読んで理解できるものの、まだ上手に文章が作れないから私のお返事は英語。

この中国語と英語のチャットが面白くて面白くて。
漢字のおかげで、結構理解できるのよこれが。
気づくと2~3時間経ってたりもする。
おいおい、忙しい忙しいといいながら何をしているのか私は。
おかげで最近ずっと寝不足。

最近ブログをサボっているのもこのせい。
いつでも時間があれば中国語と英語のチャットを楽しんでいるわけです。

夫は「さぁていつまで続くことか。仕事が忙しくなったらおしまいだろうね。」っという。
まぁ、そうかもしれないけど、それでもいいの。
ただ、私に中国語を教えてくれている相手のほうが先に飽きるかも。
それを何とか食い止めなければ。。。

2008-12-01 05:39:22 | その他
私のブログの常連読者さんは知っていると思うけど、私はもうすでに両親を亡くしている。
それをいまさらどうこう言うつもりはないし、人に同情されるのも面倒くさい。
同情されるのが面倒で「負担がなくて開放されていいよ。」なんて言っているけど、この言葉はまんざら強がりばかりでもない。
親の命日なんて完全に忘れているし、写真を飾ったことも、仏さんに手を合わせたこともない。

でもたまに(本当にたま~に)、めちゃくちゃ親を・・特に母を恋しく感じることがある。
まぁ、親子ですからね。

母が生きていたら。。。っとは考えないようにしているけれど、たまに考え出すと止まらなくなる。

親子愛を見せ付けられると、ちょっと切なく感じる。
不思議と一番それを感じるのは、私同様祖国を離れアメリカに住んでいる友人や同僚が、親をアメリカに呼んだり電話をしたりプレゼントを贈ったりといったことをしているのを見せ付けられたとき。

私も親が生きていたら・・・これも言いたいあれも言いたい、ここにもあそこにも連れて行ってあげたい、きっとこのブログも親に自分のアメリカ生活を報告することが目的の半分で書いていることだろう・・・とそう思う。

そして、もっとも言われて苛立つ同情の言葉は、「旦那さんの親がいるじゃない。旦那さんのお母さんが今はあなたのお母さんでしょ。」っといった言葉。
姑が好きか嫌いか、仲がいいか悪いかといった次元の問題じゃない。
所詮他人である夫の家族が、愛おしい自分の親になりうるわけがない。

喜びも悲しみも何もかもをすべて共有してくれた、私の生い立ちをすべて知っている親。
喧嘩もいっぱいしたけれど、親なしに子供時代の思い出は語れない。
親子というのは、ころっとほかの人に取って代われるような、そんな安っぽい関係じゃないでしょう。。。

でも、みんな言う。
みんなみんな声をそろえたように、同じことを言う「今では旦那さんの親がいるじゃない。」っと

私がさびしいとぼやいたとき、夫も同じことを言った。
「僕のマァムやダァッドを自分の両親だと思って。」
ふざけんな!
彼にとっては、この上ない最高の優しさをこめた言葉だったのはわかっている。
でもその一言は、私の気持ちをなにもわかってないことを代弁していて、それが余計に私を悲しみのそこへと突き落とした。

夫の親と食事をするとき、会話の半分以上は、夫の子供時代の話だ。
耳にたこができるほど、いろんなエピソードを聞かされた。
でもたまにそれをうらやましく思う、私の子供時代のことを語ってくれる人はいない。。。

たまには、3年に一回・・いや5年に一回くらいは、母を思って泣くのもありなんじゃないかな。
今日はその5年に一度の日。
なぜかたまらなく切なくて、母と話がしたくて涙があふれてくる。

母は49歳で亡くなった。
私は絶対にそんなに早くは死なない。
自分の息子たちに、自分と同じような思いをさせたくはないから。