3月13日リリース、佐野元春ニューアルバム”ZOOEY”。
前作”COYOTE”以来、約6年ぶりのオリジナルアルバムとなる。
彼のMUSIC、彼のWOAD。
沁み入る、という感覚。
スパイスの効いたエスニック料理や即座に美味いと感じるラーメンのような初見で強烈なインパクトのようなモノはないが、聴けば聴くほど深まってクセになる印象が、彼の作品にはある。
正直言うと、佐野元春というキャラクターは個人的にはあまり好きではない。
メディアにたびたび登場する”年老いた”彼は、何か相手を見透かしているようで、世界を達観しているようで取っ付きにくい印象が強い。
自分が、作品を通して彼を最も近くに感じられたのは、”ハートランド”の頃までだろうか。
実際にそれ以降、彼の作品からはしばらく離れていた時期がある。
彼はいつも時代とともに歩いている。
その鋭敏な感覚で、それを表現する。
いつからだろうか。
再び、佐野元春は私の中に還ってきた。
私が彼に追いついたのか、それとも彼が少し優しくなったのか。
彼のキャラクターは好きではないが、彼の作品は確実に私の心の中のほころびから沁み入ってくる。
”THE SUN”、”COYOTE”、そしてこの”ZOOEY”。
オリジナルアルバムがリリースされるたび、彼の作品独特の世界観は深まっていく。
それでもそれは、抜けられない悪夢のような類のものではない。
直接的な表現は何も無い。
間接的に、抽象的に、それでも確実に、私の背中をそっと押してくれる。
そんな心地良い感覚である。
ヘッドフォンで畏まって聴くよりも、ひとりの車の中でBGMにさりげなく流しておきたいと思わせる曲だ。
ここ数作の彼のオリジナルアルバムは、若者に対して歌っていると思われるフレーズが多々ある。
それでも、こんな中年オヤジの心に響く。
それはたぶん、もしかしたら、私の心の中からいつまでも消え去らない”Young Bloods”に届いているからなのかも知れない。
音のひとつひとつが重厚で、言葉のひとつひとつが濃厚で。
それでいて軽やかなメロディに重なり合って乗っている。
深く考えるよりも、感じること。
そんなインスピレーションが刺激された。
それは数年後、或いはもっと先かも知れない自分自身の在りかたを示してくれているように思う。
欲望に忠実なこの世界のために
言葉を飾った偽善者たちのために
聖者をきどった預言者たちのために
若くて未熟なアナキストたちのために
いますぐ君の窓を開け放ってくれ
「世界は慈悲を待っている」より
もう一度信じていいか、迷う
君が愛しい
理由はない
「ラ・ヴィータ・エ・ヴェラ」より
いい時も そうでない時も
時の運河を渡ろう
あるべき理由で あるべき場所に
たどり着くまで
その心の糸を張り替えて
今から静かに支度しておこう
その日が来たら
何もかも
すべてうまく動き出すように
「ポーラスタア」より
人間なんてみんなバカさ
いくら語ってもたりないぜ
笑っている恥知らずたち
眠っている権力者たち
かまわないぜ
「君が一緒でなけりゃ」より
眠りなれた
このベッドをたたんで
明日の旅の支度を
旅の支度をするときが来た
かたくなな空を蹴って
さよならと席を立って
革命は静かに始まっているよ
「詩人の恋」より
彼女はまぎれもなく
生まれついてのスーパー・ナチュラル・ウーマン
そうさ その柔らかな××××で
世界を抱きしめている
「スーパー・ナチュラル・ウーマン」より
誰だってそう 殴られたら悔しい
誰だってそう なじられたら悲しい
誰だってそう 無視されたらむなしい
「ZOOEY」より
ひとつに選べないほど、どの曲も良いネ。
前作”COYOTE”以来、約6年ぶりのオリジナルアルバムとなる。
彼のMUSIC、彼のWOAD。
沁み入る、という感覚。
スパイスの効いたエスニック料理や即座に美味いと感じるラーメンのような初見で強烈なインパクトのようなモノはないが、聴けば聴くほど深まってクセになる印象が、彼の作品にはある。
正直言うと、佐野元春というキャラクターは個人的にはあまり好きではない。
メディアにたびたび登場する”年老いた”彼は、何か相手を見透かしているようで、世界を達観しているようで取っ付きにくい印象が強い。
自分が、作品を通して彼を最も近くに感じられたのは、”ハートランド”の頃までだろうか。
実際にそれ以降、彼の作品からはしばらく離れていた時期がある。
彼はいつも時代とともに歩いている。
その鋭敏な感覚で、それを表現する。
いつからだろうか。
再び、佐野元春は私の中に還ってきた。
私が彼に追いついたのか、それとも彼が少し優しくなったのか。
彼のキャラクターは好きではないが、彼の作品は確実に私の心の中のほころびから沁み入ってくる。
”THE SUN”、”COYOTE”、そしてこの”ZOOEY”。
オリジナルアルバムがリリースされるたび、彼の作品独特の世界観は深まっていく。
それでもそれは、抜けられない悪夢のような類のものではない。
直接的な表現は何も無い。
間接的に、抽象的に、それでも確実に、私の背中をそっと押してくれる。
そんな心地良い感覚である。
ヘッドフォンで畏まって聴くよりも、ひとりの車の中でBGMにさりげなく流しておきたいと思わせる曲だ。
ここ数作の彼のオリジナルアルバムは、若者に対して歌っていると思われるフレーズが多々ある。
それでも、こんな中年オヤジの心に響く。
それはたぶん、もしかしたら、私の心の中からいつまでも消え去らない”Young Bloods”に届いているからなのかも知れない。
音のひとつひとつが重厚で、言葉のひとつひとつが濃厚で。
それでいて軽やかなメロディに重なり合って乗っている。
深く考えるよりも、感じること。
そんなインスピレーションが刺激された。
それは数年後、或いはもっと先かも知れない自分自身の在りかたを示してくれているように思う。
欲望に忠実なこの世界のために
言葉を飾った偽善者たちのために
聖者をきどった預言者たちのために
若くて未熟なアナキストたちのために
いますぐ君の窓を開け放ってくれ
「世界は慈悲を待っている」より
もう一度信じていいか、迷う
君が愛しい
理由はない
「ラ・ヴィータ・エ・ヴェラ」より
いい時も そうでない時も
時の運河を渡ろう
あるべき理由で あるべき場所に
たどり着くまで
その心の糸を張り替えて
今から静かに支度しておこう
その日が来たら
何もかも
すべてうまく動き出すように
「ポーラスタア」より
人間なんてみんなバカさ
いくら語ってもたりないぜ
笑っている恥知らずたち
眠っている権力者たち
かまわないぜ
「君が一緒でなけりゃ」より
眠りなれた
このベッドをたたんで
明日の旅の支度を
旅の支度をするときが来た
かたくなな空を蹴って
さよならと席を立って
革命は静かに始まっているよ
「詩人の恋」より
彼女はまぎれもなく
生まれついてのスーパー・ナチュラル・ウーマン
そうさ その柔らかな××××で
世界を抱きしめている
「スーパー・ナチュラル・ウーマン」より
誰だってそう 殴られたら悔しい
誰だってそう なじられたら悲しい
誰だってそう 無視されたらむなしい
「ZOOEY」より
ひとつに選べないほど、どの曲も良いネ。