夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

獣の数字666の独断的乱暴解釈

2012年05月17日 13時42分15秒 | 日記
 ヨハネの黙示録13章に7つの頭と10の角があり、それ自体は8番目の頭で、獣自身でもある野獣が出て来る。その体は緋色で、神を汚す名で覆われ、それに大いなるバビロンなる大淫婦が乗っていると描写されている。さらに別に現われた子羊のような二本の角を持つ別の獣がその野獣の像を作り、息を与えて生きたものにする、とある。二本の角のある獣は”それにもの言わしめ、その像を拝せぬものをことごとく殺さしむることを許され、またすべての人をして大小、貧富、自主、奴隷の別なく、或いはその右の手、或いはその額にしるしを受けしむ。このしるしを持たぬ凡ての者に売り買いする事を得ざらしめたり、そのしるしは獣の名・・・”とある。
 ”像”を作ってそれを礼拝させる、しないものを殺す、と言うことですぐに連想するのがダニエル書3章である。バビロニアのネブカドネザル王が高さ60キュビト、幅6キュビトの金の像を作ってドラの平野に置いた。そして”諸民、諸族、諸音よ汝らはかく命ぜらる・・・・ひれ伏してネブカドネザル王の建てたまえる金像を拝すべし 凡てひれ伏して拝せざるものは即時に火の燃える炉の中に・・・”とある。
 八番目の頭とは国際連合(これはものみの塔で習った、そうであると思う)7番目までは人類史に登場した世界的覇権国家、10の角とは終わりの時代つまり現代における同野獣を構成する主要政治勢力、二本の角のある野獣とは英米二重覇権国。英米が主導的役割を以って国連に自分たちの意思を代弁させ人智を集めての世界平和を主張、同組織の機関として(宇宙の創造者にして主権者・・・つまり地球の家主を埒外に置いたまま)ユネスコ、ユニセフなどなどがある。かつ、国連決議に従わない国に経済制裁を課し、売ったり買ったりできないようにして国連にひれ伏させる、場合によっては武力発動を決議させる。(ものみの塔での学習の記憶、当たっていると思う)
 つまり時代と様式が違うだけでやっていることはそっくりネブカドネザル王と同じである、で、60と6即ち66の部分は”神、天をも畏れぬ政治的所業の像、つまり組織”となる。では頭の6は何か?創世紀1章を見ればアダムとエバ、つまり人間が地上世界に出現したのが創造の第6日目であった。
 即ち黙示録はこの緋色の野獣に”人間による統治”と言うことを暗示する666と名をつけている。

聖書に書いてあること

2012年05月17日 09時00分32秒 | 日記
 私が持っている文語体聖書は39+27の書をまとめたものだが・・・、その文字を読んでいると、真剣に読めば読むほど”見えなく”なる。剣術の極意とは”相手を目で見ない”ことであると言うが聖書もまたそうではないかと思う。額の真ん中、眉間にある三番目の目で、聖書の行間を通して時間空間の無限遠を見るときひとつのイメージがわきあがる。『私』・・・これを、これが着ている竹の皮を剥いでゆくと何もなくなる。にもかかわらず『私』が在る。それが時間空間無限域の一部として在る。そこに歪みが生じると無限域全部がおかしくなる、よどみが出来る。おかしくならない正常な状態を解説しているのが聖書である、そしてそれは非常に簡単な言い方で”知恵の樹の実を食べてはならない”と解説している。
 ところが人間社会はそのはじめから知恵の実を食べることによって構築されて来た。そこで全宇宙においてこの地球の部分に歪みが生じて、結果、宇宙全体が正常に機能しなくなっている。正さざるべからず、と言うことになる。随って私は人間世界が過去の歴史の延長上にさらに延びてゆく可能性はもはや無いと考えている。
 これは考えて見るとこれほど単純明快なこともない。家屋や部屋を借りる時”やってはいけないこと”が規定されているはずだ、・・・例えばペットは飼えない、などと・・・。それを遵守しなければ追い出される。全く同じことだ。
 宇宙は宇宙の意識に同調しない意識を排除して”平衡を取ろうとする”、自然界のあらゆる事象は平衡へ向かって動く。それがどんなものかを手を変え品を変えて解説しているのが聖書である。
 随ってまた、”私とは何か?”を問い詰め、悟りに到る所謂”覚醒”なる状態が全く無意味とは考えないがそこから全宇宙の根本理念、その、”場の意識と力学”に沿ったものとなるか否かは必ずしも言えない。それは極めて個人的な、”人間として生きる諸々の苦”からの脱却と言う”個人的な都合”が主眼であって全宇宙の論理が命題になっては来ない。至極簡単に言えば、”会社人間として自分は如何に悩み少なく生きるかを模索するのか、それとも会社の中での正常な位置とはどうあることかを模索するのか”の違いになる。どちらが会社に歓迎されるかはすぐわかるはずだ。