夜汽車

夜更けの妄想が車窓を過ぎる

日を着て月に乗る女

2012年05月28日 10時36分05秒 | 日記
 黙示録12章に ”日を着たる女ありてその足の下に月あり その頭に12の星の冠あり、かれはみごもりおりしが子を産まんとして産みの苦しみとなやみのために叫べり・・・”とある。
 3章9節には”見よ、我サタンの会、すなわち自らユダヤ人ととなへてユダヤ人にあらず ただ偽りを言うもののうちよりある者をして汝の足元に来たり拝せしめ・・・”なる記事についてここに言われているヒラデルヒヤにある教会とは日本のことであるとの記事をネット上で見た。
 日ユ同祖論と言うのがあるが私はエホバの証人の頃からものみの塔で説明される神殿と神社が奇妙に似ていることに気がついていた。
 そこで大胆な仮説を立てて論証してみようとの野望を持った。
 ”日を着る”は旗を思い出せばすぐ判る。世界のどの国、民族も日章旗ほど強烈な”日”の印象を与える旗、或いはその類を持っていない。頭に12の星の冠も、日本人がダビデ王の下にあった民族の子孫であるとすれば了解可能である。ただ一つ説明し難いのが”月に乗る”であるが偶々息子が占星術に詳しいので”日本と月の関係”が何かないかを聞いてみた。すると”マンデン占星術で観る日本という国”と言うサイトがあることを教えてくれた。
 そこの説明を少し引用させてもらう。曰く、
”現在の日本は、日本国憲法、通称平和憲法が公布された1946年11月3日で観ます。
特徴は国民を表す1室に月があり、非常に受動的で、国民が女性的な考え方、感情的で受身であるという事。国民の代表者としても女性の声が幅を利かせ、消費動向にしても女性がカギを握っています。
また甘えの構造が社会の基本部分にあって、感情の絆を大切にする日本人は、ビジネスの面でも一緒に飲み交わし絆を作ってから契約をする等、接待の習慣にもそれが表れていると思います。・・・”さらに日本列島は三日月の形をしている。
 これで合点が行った、”日を着て月に乗り頭に12の星の冠”の女は日本である。その女は男の子を生んだ、これは鉄の杖で諸国民を治める・・・と書いてある。”杖ユダを離れず法を立つる者その足の間をはなるることなくしてシロの来るときにまでおよばん、彼にもろもろの民従うべし”と出エジプト記49章にある。その子はサタンに食われないように天に上げられた、つまり神以外には認識できない何かだろう。サタンは怒って女の後ろに水を吐き出して・・・はオウムによる液体であるサリン流出による日本転覆陰謀(それは潰えた)、朝鮮人による日本実効支配の目論見(まだやっている)等であろう。
 後に残っている事象は何か?”龍、サタンは女のすえの残れるもの、即ち神の戒めを守りイエスの証を持てるものに戦いを挑まんとて出で行き、海辺の砂の上に立てり”・・・。オウムの事件から20年ばかり経っている。随って女の末の者たちがサタンに戦いを挑まれる時代は始まって進行中であるかそろそろ終了でありそうだ。
 日本と言う国が極めて危ない状況を細々とかいくぐっているここ20年あまりの姿が重なる。

 
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オウム真理教

2012年05月28日 09時52分24秒 | 日記
 先日NHKでオウム真理教の記録を見た。最終的に最も印象に残ったのは”何故???””どうして???”と言うことのようだ。”あのように優秀な人々がどうしてあんなものに引っかかったのか??”、”教祖は一体どんな動機で・・・??”と言うもののようだ。
 これを見ていて”さてもものを知らない人々よ・・・何十年も生きて、人間をやっていて何も勉強してないじゃないか”と僭越傲慢ながら思った。
 聖書創世記の6章に”神の子たちが人間の女の美しいのを見て・・・”と言う文言がある。これは、この我々が住む世界に我々の五感に感知されない別の存在が居て、且つそれがそちら側から人間にアクセスできることを暗示している。そのことを神道系のある宗教は”魂を飛ばした状態に居ると自分自身の操縦席を悪霊、低級霊の類に乗っ取られる”と言っている。この様子は福音書にも記載がある。
 ここに洞察・邪推の手を伸ばさなければならない。司直の目に見える、耳で聞くことの出来る、表現では説明不可能な動機があってあのようなことになった。多分それはあの教祖の激しい思い込みか何かに付け入った我々には感知できない何モノかが彼を自らの意図に沿って操縦し始め、おそらく同様のものが多数そこに集合して一つの”雰囲気”を醸成したのだろう。”不可解”な犯罪等については、いや全ての事柄について司直はここを洞察しなければならない。
 さて、地下鉄サリン事件は国家転覆陰謀の一環であったのだろうとあの報道から薄々感じる。サリンも日本人全部を損なうことが可能な量あったらしい。戦前も戦後も世界の何処でもこのような一国そのものを転覆するような陰謀があったことは知らない、せいぜいクーデターである。仮にそれが成功しても国民全部を損なうわけではない。
 何モノがあの組織に憑依してこれを成さしめたのか?と考えを巡らすうちにまたしても黙示録の12章15節が頭に浮かんだ。”ヘビはその口より水を川のごとく、女の後ろに吐きて之を流さんとしたれど、地は女を助け、その口を開きて龍の口より吐きたる川を呑みつくせり”
 聞けば教祖は自前で排泄も出来なくなっているらしい。そこいらの低級霊ならやることも暴走や刃物を振り回す等の”個人的な”事に終始してやがて正気に返る、返って”何故あんなことをしてしまったのか”と悔恨に打ちのめされることもあろうがどうやら教祖に憑依したのはとんでもない大物であったのではあるまいか?
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聖書とは何か

2012年05月28日 09時14分20秒 | 日記
クリスチャンでもない、むしろそれを敬遠、訣別して出て来た者であって宗旨を聞かれれば神徒と答える自分が何故聖書に拘るかどうもよく判らない。ここでおそらくクリスチャンを以って自認する人々から激しい軽蔑と怒りを以って見られるような事を陳べる。聖書についての理解である。
 結論として、それは全ての時代の全ての人類に向けて語られた創造神の言葉であってこの地球上の場の論理を説明しているものである。人間が置かれている世界の定義、定理、法体系、力学、などを実例を交えて語っているものである。キリスト教と称する組織、集団、人々は実際には縁もゆかりもない。そのことは新約聖書中、福音書に書いてある。”私に向かって主よ主よと言う者でなく、・・・私の意思を行うものが・・・”と。
 ”宗教”なるものは神の人類に対する語り掛けをはぐらかそうとする何者かのすり替えによって世に出て、存続しているものである。”汝姦淫する勿れ”と書いてあるのを、それがどういう根本的な意味を持つかを洞察せず、・・多分本当は”洞察させないように”短絡思考、人間世界での不品行の戒めとしてしまったところに宗教のワナがあった。
 神は人類に主権国家を造れとか、貨幣経済を成り立たせよとか、カンパニーと言う集団を組織して利益なるものを蓄積するために仲間を隷属させよとか、してよい、とか自分を崇拝する組織を作れなどとは言っていない。それらは全て、”人が自治権獲得・擁護・維持”のために編み出したもので黙示録に言うところの”大いなるバビロン”に集約されて”その行いが神の前に思い出されて、激しい怒りの杯を与えられる”と書いてある。
 ところがキリスト教徒を自認する立場になれば”既に自らが正しい”との前提であらゆる事象を捉え、聖書を開いてもその一字一句に囚われ、むしろ一字一句に精通することをもって正当クリスチャンとの刷り込みによって視線を誤る。最近有名になった憲法学者とか称する焚書坑儒予備軍のアホのバカ乗ムダメシ食いもその仲間だ。その清算は必ず到来する。そのことはダニエル書のネブカドネザル王の”切り株7年の夢”や”金銀銅鉄鉄と陶物の像の夢”で予告されている。それが近いことは黙示録を、その全体を包括的に見れば判る。北の王は既に南の王の金銀財宝を掌中にし、北と東からの知らせに狼狽して東アジアに軸足を移し、太平洋島サミットなどを主催、”海の間”に”壮大な天幕”を張ろうとしている。
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