
妻籠へ行く途中に福沢諭吉の娘婿、福沢桃介によって架けられた桃介橋を見ました。重要文化財ですが、老朽化のためかっては通行禁止でした。しかし、今は復原され、その年の土木学会賞を受けました。バスは脇の道を一瞬に通過したので、写真は撮れず、この写真は、日本建築家協会東海支部が発行した、「保存情報」の表紙です。
橋の支柱はコンクリート製で、本体はロープ以外は木で造られています。大正11年に造られ、当時はわが国最大級の吊り橋でした。
木曽川上流は水量といい、高低差といい、水力発電には理想的な所です。この近くに発電所を造るために、資材の運搬が必要になり、電力王の福沢桃介が橋を架けたのです。
橋の支柱はコンクリート製で、本体はロープ以外は木で造られています。大正11年に造られ、当時はわが国最大級の吊り橋でした。
木曽川上流は水量といい、高低差といい、水力発電には理想的な所です。この近くに発電所を造るために、資材の運搬が必要になり、電力王の福沢桃介が橋を架けたのです。
私の短歌の師の1人も鴎外心酔者で、その著書の文体まで鴎外そっくりです。誰も批判しないでここまで来たのも余りの権威の大きさによるものかもしれません。一介の女が書き込むことではないのに、書き込む自由があるのがネットのよさでしょう。
私は津和野からバッシングを受けると思っていました。
当時ドイツへ行くだけでも稀有なことですから、どんな論文でもよかったのでしょう。
あ、又偉人にご無礼なこと書いてしまいました。
昔、津和野の森林太郎の墓まで行ったのに・・・
けんちゃん、たびたびコメントありがとうございます。あの橋の前で下車して写真が撮りたかったのですが、よくばりコースで時間の余裕がありませんでした。橋の写真があったらblogで公開して下さい。
風光明媚なところで気持ちよかったです。
森鴎外の短編も読んだ事がありますが、現代からすれば、読むに耐えぬものでした。ドイツ物はどうも珍奇なようです。それでも先日触れましたように鴎外研究家が芸者研究家の様に、フンボルト大学にはいらっしゃるようで、流石に東ドイツと思わせたのです。鴎外の文章を批判すると教養ある年配の方から激しい抵抗に遭いますね。
年表を見て気が付いたのですが、1884年からの1888年の滞独ですから、上の文学傾向もある程度仕方が無いのかもしれません。医学では、その博士論文の内容も授与者も分かりませんが、コッホ研究所で見聞して来ていますから、新参者が独断に陥りやすかったのが納得出来ます。
それでも永く権威を保って来たのは、軍医の代表格であった社会風潮があったものと想像します。権威者がその分野を時代遅れにしていくのは、日本の海外からの文化輸入では、今でも頻繁に見られるようです。