兵庫のみなさん 能登のみなさん 東北のみなさん こんにちは
1995年1月17日に発生した阪神淡路大震災から30年目の朝を迎えました。当時私は35歳、30歳で家業の造花卸売業に転職しなじみだした頃です。梅田からだと神戸まで新快速でわずか20分余り。そんなに近い距離なのに、豊中周辺を除くと大阪側はほとんど被害がなく日常が続いていました。西宮、宝塚、伊丹、尼崎などでも被害の大きかった地域があり神崎川を越えたら天国と地獄のようなことも言われました。我が家は本棚が2台倒れただけ。会社や社員には何ら被害がありませんでした。それでもその日の仕事は午前中で切り上げました。
神戸には5軒ほどのお得意先があって、1週間経つか経たなかった頃に神戸担当のIさんと一緒にワゴン車に、ミカンやシート、ガスボンベなどを積み込んでお客様のお店やご自宅をお見舞いに回りました。一軒のお客様の居所が分からず避難所となっている小学校の体育館を訪ねました。床一面に被災者の方々が押し合いへし合いするように肩を寄せ合っていました。行き帰りの道中に見た倒壊家屋やビルの姿は今でも焼き付いています。早朝出発して帰り着いた夕方にはほとほと疲れていました。あれから30年。もう神戸に行ってもほとんど震災の傷跡は見られません。半面、神戸の方の心の中には、あの災害がまざまざと残っているでしょう。
もう14年目を迎える東日本大震災の復興は進んでいるのでしょうか。原発事故による放射能汚染が続く地域はそのまま放置されています。能登のみなさんも少しずつ少しずつ地震と大雨被害から立ちなってきていらっしゃってるのでしょうか。少しでも早く以前のような暮らしに戻りますようにお祈りします。
大阪生野今里の自宅3階で寝ていた私は、大きな揺れを感じました。それまでで一番の揺れです。止まりません。隣の部屋で寝ていた娘と息子の所に飛んで行き、二人の上に覆いかぶさりました。幸いすぐそばのタンス類は倒れることはなく何の怪我もしませんでした。もし地震が神戸でなく大阪の直下型だったら、大けがをしていたでしょう。たまたま無事だったでけです。そして30年経ちました。
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