えびす顔の造花卸売問屋元社長からの手紙

かすかな希望を抱いて幸せを自慢する尊大な手紙。重複掲載御免。造花仏花の造花輸入卸売問屋ニューホンコン造花提供

掃除

2004年11月30日 19時54分44秒 | チコロナイ
北海道でアイヌの方とナショナルトラスト運動をしているNPO法人チコロナイの会報に私の投稿が載りましたので転載します。記事はある方の投稿への応答のスタイルですので、そのまま載せると分かり辛く、少し変更しています。
チコロナイにご興味をお持ちの方は以下のホームページをご覧下さい。
http://cikornay.hp.infoseek.co.jp/

以下本文です

 私の会社は一年半ほど前から全社員が月に一回、会社の周辺を掃除するようにしています。全社員といっても10人程の会社ですし、強制でもありませんのでしない社員もいます。それでも一週間に一度くらいは誰かが掃除しています。

 最初は大きな倉庫を持っていて、トラックの出入りもある。ご近所の方にご迷惑をお掛けすることもある。こうして商売をやらせて頂いているのも地域のお陰だ。少しでもみなさんのお役に立てばと始めました。
 
 それが続けていると、
「掃除させて頂けるのはありがたいことだ」と
思うようになってきました。

 先日も、会社の周りでウンチを拾っていて、
「こうして綺麗にできる。ありがたい」と
心が言っていました。
売上が芳しくない時などは、掃除をしている暇があったら、他にすることがあるんじゃないかとも思いながらですが。

 掃除をしない社員にも、
「営業に出荷に忙しく働いてくれているから私がこうして掃除させて頂ける」と
考えたりします。
  
 半面、腹立たしい思いをすることもしばしばです。会社の前の道路は交通量が多く、掃除をした側から吸殻や空き缶が捨てられます。共同のゴミ置き場に清掃車が持っていかない粗大ゴミが捨てられるのはしょっちゅうです。
人に見つからない夜間に捨てるのでしょうか。
整理すると、「また誰かが片付ける」と、また捨てるのでしょか。
迷惑をはばからずゴミを捨てる人は何を考えてんねん、と思います。
でも、それはそれで「人間って不思議やな」と勉強になっています。

 なんやかんや色んなことを思いながらも、
「綺麗にさせて頂ける。幸せなことだ」と、
ひと月に一回だけ、お掃除させて頂いています。
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サンティアゴ

2004年11月29日 21時29分50秒 | ドンキホーテ
友に「水呑地蔵日記を読んで頂戴」と頼んだらメールが来た。

 先日、APEC首脳会議取材のため、ブッシュ米大統領同行でチリのサンティアゴを訪れた際、日本側プレスセンターでA君に遭遇しました。地球は狭いものです!白髪が増え、少しやせたもののほとんど変わっていないので、すぐに分かりました。
 会議終了後、A夫妻と昼食を共にし、君のウェブ開設などを含め、いろいろと話をしました。Aは来年1月に帰国するとのことです。君の言う通り、メールで近況をそれぞれ報告できればいいですね。また、近くメールを送ります。         


A、B君とは学生時代に机を並べた。
大学院でも一緒に国際法を学んだ。
夢を語り合った。
A君は外務省に入り、今はサンティアゴ在住。
ペルーのあの事件ではリマに飛んだ
B君は通信社に入り、ワシントン支局。
ロシアの激動期にモスクワにいた

20数年前、三人は大阪から世界を見ていた。
彼らはまさに今もサンティアゴから、そしてワシントンから世界を見ている。
そして私。負けじと生野から世界を見続けよう。
ドンキホーテよろしく
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韓国から おまけ

2004年11月28日 01時12分11秒 | コリア
今回の韓国旅行をなぜか私以上に詳しくリポートされている方がいらっしゃる。
素性は不明だが、彼の方のブログは必見。
http://blog.livedoor.jp/gantakurin/
一度ご覧あれ
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韓国からⅣ

2004年11月27日 14時52分14秒 | コリア
11月23日
ソウル・南大門市場

行く前に父が、
「朝鮮行くんやったら、ニンジンこうてきて」
「なにすんねん」
「焼酎に漬けるんや。お金払うから」

仕事がら出張や旅行が多いが、これまで父に土産を頼まれたことは一度も無かった。
それがである。
ぜひ、一等のニンジンを買ってこなければと思った。

南大門市場で太った生の六年根二本で約5万ウオン。
意外と安かった。

父は早速、焼酎と漬け瓶を買ってきた。
歯ブラシを使って水洗いし、少し乾かして漬け込んだ。
「三年漬けてから呑もう」
側で母が
「それまでに死んでまうわ」

そうなら、私が飲み干してやる

エピローグ
人から気配りが利くと言われる。
ただ、私の気配りは相手に分かるような気配りだ。
15人の参加者の中で、私以上に気を配りながら、
相手にそれを感じさせない方がいらっしゃった。
旅行中、自然と体が動き、言葉を掛けられていた。
ちょうど一回り上の先輩だ。
一回り経ったら、この方のようになるのだろうか。
たいした方です。

プロローグで、「楽な気持ちで釜山に降り立った」と書いた。
のだが、文章は気負ってしまったようだ。
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韓国からⅢ

2004年11月26日 23時24分56秒 | コリア
11月22日
木浦
早朝、市内を見下ろす儒達山に登った。
傾斜こそ急だが、それこそ水呑地蔵ほどの軽いハイキングだ。

旅立つ前、父と訪問地を話した。

「モッポ、西の方の漁港やな」
「何で知ってんねん」
「小学校で習ったがな。
千島列島から満州、インドネシア、ボルネオ、インドまで
毎日毎日、地図ばっかり書かされとったんや。
産業がなんやとか、何が取れるとか全部習うたわ」

国民学校の上の二年制の高等学校(正式名は違うかもしれません)を出る時、
「家業を手伝うと」と書き、
校長から
「お前は国賊か」と言われた父。

港町モッポにどんな想いを馳せて地図を書いていたのだろう。
一枚だけ残る父の小学校時代の写真。
ランニングシャツ姿のやんちゃそうな顔が浮かぶ。

それから60年を経て息子の私がモッポを訪ねる。
父のモッポと私のモッポ。
二つのモッポはどう交わるのか。
歳月を紐解く作業をさらに進めよう。
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韓国からⅡ

2004年11月25日 22時24分19秒 | コリア
11月21日
1980年5月18日、光州
政権交代の正当性を巡って市民らが蜂起した。
10日間にわたる市民と軍隊との攻防の末、
戒厳軍は戦車を使いこれを鎮圧。
市民の死者、行方不明者は数百人。

その犠牲者が追慕されている
「国立5・18墓地」を訪ねた。

蜂起のきっかけは不法に政権獲得を謀った新軍部勢力への拒否と民主化の要求。
前の軍事政権から次の軍事政権へと連なる中で起きた。
戦後(韓国では独立後)35年を経ての事件だが、
果たして私達はこの出来事に無垢でいられるのだろうか。
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韓国から

2004年11月24日 21時51分38秒 | コリア
プロローグ
大阪生野は住民のうち四人にひとりが在日韓国・朝鮮人の方です。
国籍がどうあれ、ご本人が朝鮮民族だと思われている方は朝鮮民族の方です。
その段で言う日本に帰化された方、登録はされていなくとも相当にわたり滞在されている方を含めると、割合は到底四分の一では留まりません。
大阪商工会議所東成・生野支部異業種交流会フォーラム・アイは朝鮮半島の方との交流を二年前から続けています。韓国語講座、研修旅行と。
昨秋、グループで初めてソウルを訪ねました。
私にとっても初めての訪韓、ずいぶん意気込んでいました。
今回は二度目です。その気負いは減り釜山には楽な気持ちで降り立ちました。
四日間の旅を四回にわたって記します。

11月20日
楽安邑城民俗村への景色は地方の高速道からの眺めとたがわなかった。
屋根や壁のけばい彩りを除いては。
30年前の中学生時代。
在日の友人が初めて故郷を訪ねた率直な気持ちを語ってくれた。
「古里の田舎はまだ貧しい」
その彼の顔が遠景の車窓に重なった。

夕餉の民俗村。
かまどのほこらで童子が佇む。空に半月。
炎は空の茜のように群青に消えていくのだろうか。
40年前、母方の里では祖母がかまどで飯を炊いていた。
童子が幼い私と重なる。
今だ半月 既に半月
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単一民族国家発言と生野

2004年11月19日 22時47分31秒 | 大阪、生野
大阪市生野区は人口約14万人の内、約3万5千人が在日韓国・朝鮮人の方です。
(生野区のホームページから http://www.city.osaka.jp/ikuno/about/status.htm )
つまり4人に1人が在日韓国・朝鮮人の方です。

「日本は単一民族国家だ」と言う発言が繰り返されます。
生野に住んでいる私はなぜそんな発言をするのか理解できません。
それで、この種の発言を耳にした時は、発言をされた方に
「『生野区を除く日本は単一民族国家』に改めていただけないでしょうか」
とお手紙やメールを差し上げていいます。
もちろん、「生野を除く日本は単一民族国家」だと、アイヌの方や日本民族でないと思っていらっしゃる沖縄の方、在日の外国人の方を無視した発言にはなりますが。

明日から3泊4日で韓国を訪問します。
大阪商工会議所東成・生野支部異業種交流会フォーラム・アイの視察旅行です。
釜山に入り、西海岸の港町モッポと全羅南道の中心地・光州を巡り、最後にソウルを訪ねます。

一年半学んできた韓国語が少しは通じるでしょうか。
楽しんできます。

「水呑地蔵日記」を3、4日お休みします。
行って来ます
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煮しめ

2004年11月18日 18時07分07秒 | 我が家
母がもうお正月の煮しめの話をしだしました。
毎年、師走の30日早朝から下ごしらえを始めるのですが、
主婦にとっては年末の忙しい時に大変。
で、今年は家で作らずに買って来ようかどうか悩んでいるようです。

それにしても気が早い。まだ11月半ばです。
実はうちの家族は全員、気が早い。
遺伝なんでしょうか。

妻もこの家でもまれたせいか、これまた遺伝なのか、気が早い。
先日もテレビの部屋のカーテンを洗っていたので、
汚れたからかなと尋ねると、「年末の大掃除」だと言う。
いっぺんにすると大変なので、
先月から毎日少しずつ始めていると言います。
昨日は水屋の一番上の段
今日は台所の窓
明日は寝室の箪笥の回り
と言う風に。

それなら、
「来年はお正月から始めたらどうや」と水を向けると、
「そうやね、2月からやったらええかも」
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【腰痛と悩み】吉村誠司の地球日記

2004年11月17日 22時45分56秒 | ドンキホーテ
吉村誠司さんから新潟・塩谷地区のレポートが再び届きました。
転載します。
長文ですが、司元の話とは比べようもありません。
できればお読みください。

●塩谷地区の4時間半の一時帰宅を終えて

ようやく一時帰宅できた方々の表情は、
すこし穏やかになった感じだ。しかし、余震で崩れた
家もあり、この先の雪を思うと、本当に大変だ。
共通して言えることは、「腰や身体が痛い・・」

「疲れた身体を少し休めませんか?」と湯沢温泉の日帰り
企画を急遽作ったら、40人も参加していただいた。
湯沢温泉旅館組合の協力で、今回は駅近くの「イナモト」ホテル
さんだ。迎えのマイクロバス2台の1台は、ホテルスポーリア湯沢の
方で、先日、塩谷へのボランティアにも参加していただいた方だった。
ヘルメット姿から、ネクタイに戻った姿で最初分からなかったが、
あの日、共に汗を流した顔は覚えていた。

「湯沢では、ちょうど夕食の最終準備をしていた時間で、その後の
停電で宴会や宿泊についても朝まで対応が大変だった・・・
その後、キャンセルが9割半になってしまい、辛い時期です。
しかし、小千谷市、塩谷地区に入ってみて、本当に辛い現状を見て
やれることはしたいです!!」と言ってくれた。

是非、新幹線で行ける、この湯沢温泉もご利用してほしいと思う。

●ヘリの爆音の中へ
地震直後に「とにかく集まれ!」と地区の一角に集結したまま
自衛隊のヘリコプターに乗せられたという方に話を聴いた。
「これからの話と思ってなんも持たずに行ったままだったので、
お金も免許証も着替えも無しで・・・本当の着の身、着のままだった」

だから、夕方までに出ないといけない時間の中で、みんな動き続けた。
貴重品出し、お米運び、生き残った錦鯉救出、雪囲い、車の雪用タイヤ換え作業、
短時間で終わるはずが無い。

「畑の野菜を収穫したい・・・」

山を見ながら、水と土を大切にしながら生活していた方々は、
自分の土の味を知っている。
そして、心を込めて作った米や野菜を家族のように、
思っている。

温泉に浸かりつつ、立教大学から来た3人の学生たちは、
その夜の避難所までマッサージ隊としてがんばってくれた。
マッサージをしながら、いろんな話が聴ける。

「吉村さん、何をすればいいですか?」と最初聴いてきた学生に
「今日は、一番近くで話を聴くことができるから、自分で次を
見つけてくださいね。私が、被災地に入るときは、いつも指導してくれる
ボランティアはいないよ・・」

夜、避難所に溶け込んで、お酒を勧められている学生達の顔は、
今朝の緊張顔は無くなっていた。しかし、今までいろんな被災地に行ったが、
日本酒を良く飲んでいる方々多いのは、やはり米どころ、酒どころだからか?

もし、救援物資を考えている方がいれば、日本全国の地酒を送ってほしいものだ。
朝、2から3度まで冷え込む中で、寝酒は欠かせないようだ。
(クロネコヤマト 新潟県 小千谷支店止め 吉村宛で届きます 090-9386-9879)

これからの悩みは、仮設住宅が出来て行く中で、もう1度は塩谷地区へ戻って、
荷物を運び出すお手伝いをしてほしいと頼まれた。引越しボランティアだ。
しかし、いつ戻れるか分からない。仮設住宅も、1300世帯以上の希望があるが、
まず800戸しか出来ないという。

今は、置き場所が無いので、沢山は持って来れなかったのだ。
先日、国会議員が来たので、コンテナや倉庫などのストックヤードを労働組合などに
協力要請して、早めに確保してほしいとお願いしたが、何も答えが帰ってこない。

湯沢を後にしたとき、谷川岳はもう雪化粧をしていた。

●本日11月17日17時から、関東地区のフジテレビのローカルニュースに。
私が塩谷地区で撮影したビデオ画像とコメントが「スーパーニュース」中で
使われるそうです。倒壊家屋の様子や作業状況が分かります。

先ほどフジテレビより連絡があり、関東地区のみだそうですので、
間に合う方は、どうぞご覧ください。

吉村さんからの報告はここまでです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

毎日新聞大阪社会事業団(大代表06-6345-1551)は
「台風23号救援金」
「新潟中越地震救援金」
を募っています。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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三十二歳 男性 独身会員

2004年11月16日 22時52分32秒 | 我が家
ご近所さんが写真クラブの展示会に出品していると聞き、妻が見に行きました。

会場をうろうろしていると、クラブの会長が寄って来て作品の解説を始めたそうです。
さらにクラブへの入会を勧め、最後に
「三十二歳の男性独身会員もいますし」

帰って来た妻は私に
「どういう意味であんなことを言わはったんやろう」
と不思議がる振りをしながら、顔は自慢でいっぱいでした。
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司元は私です

2004年11月15日 23時32分25秒 | 我が家
今日、水呑地蔵日記を読んで下さっている友人のキリンさんが日記の感想を語ってくれました。
キリンさんが言うのには
「水呑地蔵日記は司元でなく、司元の配偶者が司元を騙って書いている」
言われてみれば、日記は食べ物やお花、旅行、家族の幸せなどなど。
主婦・主夫の話題ばっかりですね。
誤解の無いように言っておきます。
「水呑地蔵日記は司元の配偶者ではなく司元本人が書いています」

えっ、でも、司元って誰だっけ???


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幸せ 2004.11.14「六つの鍋」

2004年11月14日 19時56分10秒 | 幸せ
夕食に家族六人が揃いました。
話題は大好きな鍋。
父  スキヤキ
母  カニちり
妻  うどんすき
長女 キムチ鍋
長男 豚のしゃぶしゃぶ
私  てっちり
六人六様です。
日に日に寒くなってきました。
六つの鍋が交互に我が家の食卓に並ぶ季節の始まりです。
ちなみに今日は手巻き寿司でした。
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チコロナイ・貝澤さん来阪

2004年11月13日 21時45分04秒 | チコロナイ
NPO法人「ナショナルトラスト・チコロナイ」の理事長・貝澤耕一さんが来阪され、久し振りにお会いしました。
チコロナイは北海道でアイヌの人達と一緒に森林を買い取り、自然の山に戻そうと運動しています。
貝澤さんもアイヌの方です。
この運動が始まった10年前の正月に北海道平取町ニ風谷を訪ねました。
思い出は、
鮭を丸ごと焼いた料理のおいしかったこと、
早朝、山に入り体験したマイナス13度の極寒。
チコロナイへは寄付はもちろん、山の下草刈り、植林、ドングリ植えなど色々な形で参加できます。
ご興味のおありの方は下記のブログを一度ご覧下さい。
http://blog.goo.ne.jp/cikornay
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「吉村誠司の地球日記」から新潟の今

2004年11月12日 22時38分12秒 | ドンキホーテ
私が購読しているメルマガ「吉村誠司の地球日記」で
新潟から報告が届きました。
少しでも多くの人に知って頂きたく、転載します。
長文ですが、よろしければお読みください。
以下本文です。

【塩谷へ】
一昨日、塩谷地区の会長から直接電話が入った。
「明後日、初めて自動車での一時帰宅が認められました!!
是非、ボランティアの力を貸してください!」

いよいよ、ふるさとへの一歩が始まる・・・

●湯沢温泉旅館組合へ
先日、被災者の日帰り入浴などの受入れ依頼で訪ねた
湯沢温泉は、組合としても、今まで受入れしていた、
十日町方面の被災者だけでなく、もっと広域で
小千谷方面での受入れを始めようと計画を作っていた。

組合長と話をした2日後、最初の送迎バスが、小千谷高校
の避難所に来てくれた。40人の方々が、日帰りでの
のんびり温泉を満喫できた。
「心の洗濯ができました!」と笑顔で答えてくれた。

そして今回、その旅館組合の皆さんに、お力をお貸しくださいと
お願いをした。「この温泉地は被害が無いが、キャンセルが増えて、
大変だけど、是非、お手伝いをさせてください」と総勢25人が
ヘルメット片手に来てくれた。

●信州中野のリンゴ農家の友人
リンゴの収穫で一番忙しい時期ではあるが、
自分達でログハウスも作ってしまうこの農家の方々に
支援のお願いをした。現場に強い、なんでも屋さんなのだ。

「チェーンソー、バールを持って来て下さい!」
「なんとか声かけします!」
当日、おいしいリンゴと7人の仕事人がやってきた。

【塩谷へ】
亀裂が入っているトンネルを抜ける前で、
入ってゆく車両のナンバーや人員を確認してゆく。
夕方3時半には、全員この地区を出ないといけないのだ。

土砂崩れの現場には、重機が入り、なんとか通行できるように
してくれている。こんな現場に入るのは、台湾地震で孤立していた
武界村に行った時以来だ。今回、東京三菱自動車販売さんから
借りている4輪駆動ワゴン車が活躍で、2台目も早朝スタッフと来てくれた。
「本当にありがとう!」
乗用車は、底がガリガリと擦っていて、大変な道だ。

前日の警察での打合せでも、危険箇所の状況を聞いていたが、
実際に目の前にすると、この地震の強さが分かる。
しかし、山の紅葉は悲惨な情景と反して、美しくなっていた。

●合掌
前のメールでも書いたが、この塩谷地区では、
11歳から12歳の子ども達3人が亡くなっている。
その全壊した家からの作業を中心に、そして独居や高齢者
世帯からの手伝いを優先してやることになった。

地震後のそのままの様子の地区に入ると、私が入った神戸の
遅すぎた4日目の情景とだぶってくる。
45人のボランティアを全壊班4つ、高齢者班2つに分けて、
瓦礫の中に入っていった。

まずは黙祷。
今日は涙無しには、出来そうもない活動だ。
今まで、気張ってがんばっていた会長の目にも、
涙が溢れる。

「闘牛の牛さんを埋葬して!」と会長の娘は言った。
瓦礫の下で、動けなくなって数日で亡くなったという
大切な大きな牛。形見に角を取った娘さん。
大きな穴に埋葬し、花束と食料の干草を入れて
土に戻っていった。

●宝探し
「この下に、子どもの形見が眠っている」
長野からの応援団は、あっという間に、屋根を開け、
柱を切って私のサポートをしてくれる。

ホコリにまみれた天井をはがすと、一階の床がに手が
届くほどで、何もかもが散乱し、潰されている。
子ども達に送った地球儀やランドセルが出てくる。
言葉にならない。

私は、状況確認の為に、次の全壊家屋に向かう。
「瓦礫から出して欲しいものは?」
「仏壇、遺灰、写真、印鑑、通帳、そして遺品だ」
完全に潰れた家から、運び出し作業を始めていたお父さんは
そう語った。

チェーンソーで柱を切り、バールでこじ開け、バケツリレーで
瓦礫を運ぶ。慣れたスタッフと人数が必要だ。
そして2時間後、ようやく仏壇と遺灰を無事に
運び出した。そして、撤収時間が近づくなかで、大きな柱を
重機を借りてきて動かし、最後の品物に取り掛かった。

「あいつが大切にしていたグローブを出したい・・」
退去時間が迫る中で、最後に瓦礫の1番下から出てきた。

「あの息子が、家族を助けてくれたのかも知れない、
先に逝かれてしまうのは、本当に辛いよ・・・・
そして、もう一度だけも、キャッチボールをしたい・・」

今日、何回目になるか分からないが、また一緒に泣いてしまった。
長野や湯沢温泉からの応援団もあちこちで泣いていた。

終わりに、無事に戻ったボランティアのみんなは、
「また来ます」と言ってくれた。
「本当にありがとう!勇気をありがとう!」

12日@小千谷より
レポート打ちつつ、また涙が出てしまった。

吉村さんからの報告はここまでです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

毎日新聞大阪社会事業団(大代表06-6345-1551)は
「台風23号救援金」
「新潟中越地震救援金」
を募っています。

最後までお読み頂きありがとうございました。
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