元日弁連会長の中坊公平さんは、「歴史の批判に耐えられるか」を尺度に判断や行動を起こしたそうです。
目先の利益だけでなく、十年後百年後千年後の子孫から「中坊のやったことは正しいことだった」と言われるような判断、行動を常に心がけていたそうです。
これは難しいことです。
卑近な例で言うと、バブル経済の時に、「株や土地に手を出すのは当然で、しなくて利益を生まないのはバカだ」と言われました。しかし、今となるとその後遺症は日本経済を覆い、多くの企業は潰れました。
また、高度成長期に工場の煙突から出る煙は発展のシンボルとしてあがめられました。しかし、それは公害をもたらし国民の健康に被害を与えました。
第二次世界大戦では「大東亜共栄件圏(八紘一宇)」のスローガンの基、アジアを侵略し、アメリカと戦いました。結果、アジアを含め他国の人たちに多大な被害を与え、日本人も犠牲を払いました。
「歴史の批判に耐えられる行い」と言っても、実際、バブルの時に自分だけがそれに乗らず冷静な判断を下せたでしょうか。高度成長の始まりから公害を予測して反対できたでしょうか。太平洋戦争時に非国民扱いをされても反戦を訴えられたでしょうか。中坊さんのおっしゃることは難しいことです。
時代の風潮に乗らず、十年先、百年先を見つめ行動する。凡人の私などほとんど守れません。ただ、それでも敢えて、かすかな希望を抱いて「自分は歴史の批判に耐える判断、行動を続けたい」と、心に刻み付けています。
歴史に足跡を残そうなんて大それたことは考えていません。10人ほどの会社の経営者として、また個人として日々の判断、行動を律する一番根っこに近い基準として「歴史の批判に耐えられるか」を常に置いていたいのです。
これは2002年8月に、異業種交流会フォーラム・アイの仲間に宛てたメールです(少し修正しました)。
あれから約4年経ち、世の中も変わりました。住専問題の救世主と言われた中坊さんも、やり過ぎたのでしょうか、最後はその名を自ら汚しました。
あれほど能力のある中坊さんにとっても「歴史の批判」に耐える行動はとっても難しいことでした。
今も私は「歴史の批判に耐える」行動を、と考えています。しかしながら、中坊さんが仰ったやり方ではありません。そのやり方は到底無理です。
たった一世代後の大学生の娘、高校生の息子が何を考えているのかさえよく分からないのに、何十年も何百年も先の子孫の考えをおもんばかった上で、その子孫が納得してくれるような行動をするなんて出来ようがありません。
次の機会に、中坊さんとは違う、私が今考える「歴史の批判に耐えられる」行動の仕方をご紹介します。
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卑近な例で言うと、バブル経済の時に、「株や土地に手を出すのは当然で、しなくて利益を生まないのはバカだ」と言われました。しかし、今となるとその後遺症は日本経済を覆い、多くの企業は潰れました。
また、高度成長期に工場の煙突から出る煙は発展のシンボルとしてあがめられました。しかし、それは公害をもたらし国民の健康に被害を与えました。
第二次世界大戦では「大東亜共栄件圏(八紘一宇)」のスローガンの基、アジアを侵略し、アメリカと戦いました。結果、アジアを含め他国の人たちに多大な被害を与え、日本人も犠牲を払いました。
「歴史の批判に耐えられる行い」と言っても、実際、バブルの時に自分だけがそれに乗らず冷静な判断を下せたでしょうか。高度成長の始まりから公害を予測して反対できたでしょうか。太平洋戦争時に非国民扱いをされても反戦を訴えられたでしょうか。中坊さんのおっしゃることは難しいことです。
時代の風潮に乗らず、十年先、百年先を見つめ行動する。凡人の私などほとんど守れません。ただ、それでも敢えて、かすかな希望を抱いて「自分は歴史の批判に耐える判断、行動を続けたい」と、心に刻み付けています。
歴史に足跡を残そうなんて大それたことは考えていません。10人ほどの会社の経営者として、また個人として日々の判断、行動を律する一番根っこに近い基準として「歴史の批判に耐えられるか」を常に置いていたいのです。
これは2002年8月に、異業種交流会フォーラム・アイの仲間に宛てたメールです(少し修正しました)。
あれから約4年経ち、世の中も変わりました。住専問題の救世主と言われた中坊さんも、やり過ぎたのでしょうか、最後はその名を自ら汚しました。
あれほど能力のある中坊さんにとっても「歴史の批判」に耐える行動はとっても難しいことでした。
今も私は「歴史の批判に耐える」行動を、と考えています。しかしながら、中坊さんが仰ったやり方ではありません。そのやり方は到底無理です。
たった一世代後の大学生の娘、高校生の息子が何を考えているのかさえよく分からないのに、何十年も何百年も先の子孫の考えをおもんばかった上で、その子孫が納得してくれるような行動をするなんて出来ようがありません。
次の機会に、中坊さんとは違う、私が今考える「歴史の批判に耐えられる」行動の仕方をご紹介します。
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